まさか、こんなことになるなんて一ミリも想像してなかった。
木下君に呼ばれたとはいえ、主に会話するのはつくしと松島さんで、アタシは少しだけそのやり取りに参加する程度だと思ってた。
でも、実際には――
「ふざけてない! つくしに無理やりキスしたのなんて、全部木下君が悪いに決まってる! どこからどう考えてもあなたは悪者だから!」
過去に無いくらい、アタシは他人に対して本音をぶつけていた。
しかも、普段出さないようなボリュームの声で。
「そもそも……っ、尾上さんを利用してつくしを呼ぶっていうのも……アタシは気に入らない! ズルばかりだよ!」
出し慣れていない声は、喉に大きなダメージを与えるらしい。
すぐにアタシの声は掠れ始め、思わず咳き込んでしまった。
つくしがこっちへ寄って来て、心配してくれる。
木下君は、そんなアタシを見て、悔し気に唇を噛んでいた。
「……そんなこと……先川さんだけには言われたくなかった……」
「……?」
咳き込みながら疑問符を浮かべると、彼は一瞬縮めた声の大きさを元に戻し、また叫ぶようにしてアタシへ訴えてきた。
「君にだけはそんなこと言われたくなかったって言ったんだよ! 先川春!」
――と思えば、こっちへ歩み寄って来て、彼はアタシからつくしを引き剥がし、強い力で肩を押してきた。
「――っ!」
「お、おい! 何やってるんだよ木下!」
黙らされた松島さんも、こればかりは静かにしていられない、と声を上げる。
強い力で押され、壁に背を打ち付けたアタシの元へ駆け寄って来てくれて、鋭く木下君を睨んだ。
「っ……」
それを受けて、木下君はハッとする。
まだ、誰も手を出してはいない。
そんな状況で、自分が一番最初に物理的な攻撃を加えたこと、それを自覚し、後悔してるような顔を作っていた。
「お、俺は……」
何を言うつもり……?
続く言葉を待っていたのに、彼は自分で「いや」と首を横に振り、ひどい目つきでアタシのことを見下ろしながら叫んだ。
「俺は悪くない! 男が女に手を出すのは最低だけど、なんか先川さんは、いや、先川は同じ男子みたいなんだ! だから俺は反射的に手を出した!」
はぁ?
と、松島さんが眉間にしわを寄せ、大きな声を出した。
木下君は冷静さを失って、一気に口が悪くなって、幼稚な言い分を振り回す。
……だけど、その幼稚な言い分が、なぜかアタシの胸には深々と突き刺さった。
鋭利なナイフで柔らかいものを刺したみたいに。
「あんた、ほんと何言ってんの? 何、いきなり? バカじゃない?」
「うるせぇ! 声も低くなったし、前から男子っぽいとは思ってたけど、今の感じとかモロ男子だろ! 男子が男子に手出したって別になんてことはねぇんだよ! だから俺は悪くない! 悪くないんだ!」
「だからさ、いきなり何言ってんの、って! 春ちゃんが男子とか女子とか、そもそもこの子は女子だけど、男子だからって手出していいとか意味わかんないから! 悪いに決まってんじゃん!」
「だからうるせぇって! 口を開けばどいつもこいつも悪い悪い悪い悪い! 俺が全部悪いみたいじゃねぇか!」
「実際悪いじゃん! 春ちゃんもそう言ってただろ!? ていうか、もうつくしから離れろよお前!」
保身に走る木下君も、アタシとつくしのことを庇ってくれている松島さんも、お互いに肩で呼吸をし、瞳孔を小さくさせていた。
一瞬の沈黙が場に訪れ、二人の呼吸が鮮明に聴こえるだけになる。
つくしは、静かにまたアタシの元へ近付いてきてくれた。
構図は三対一。
木下君が一人になっていて、尻もちをついているアタシの傍には二人がいる。
「……っでだよ……」
「……何? まだなんかあんの……?」
松島さんがそう返すと、木下君は歯ぎしりして、アタシたちに背を向けた。
何を言おうとしてたのかは気になるけど、彼はそのまま走り去り、どこかへ行ってしまうのだった。
●〇●〇●〇●
「それにしても、とんでもない豹変の仕方だったな、木下の奴」
松島さんが、アタシと向かい合うようにして座ってる席で、コーヒーシェイクを飲みながらそう口にする。
昼休みから時間は経って、放課後。
本格的なテスト週間だというのに、アタシとつくしと松島さんは、三人でお馴染みのショッピングセンターに来ていた。
今いるのは、その中のフードコート。
一応、参考書は机の上に開いて置いているけど、この状況でまともに勉強することなんてできるはずがない。
アタシも松島さんと同じようにシェイクを飲みながら、重々しく頷いていた。
ちなみに、味の方はバニラだ。
「つくしさんやい。お前さんと一緒にいる時も、あの男はあんな感じだったん? 余裕なさげにキスされた感じ?」
松島さんに問われて、つくしはストローから口を離して首を横に振った。
つくしもシェイクを飲んでる。三人一緒。味はストロベリー。
「全然。もっと普通だった。なんか……これは私が言っていいのかわからないんだけど……」
「ん。何でも言いなよ。今はここ、私たちしかいないんだからさ」
松島さんはストローをカップから抜き取り、それをクルクルさせながら言う。
アタシも同じ思いだった。何でも言ってくれていい。
「……んっと……ちょっとショックだった……かな?」
「ショック? 何が?」
松島さんが首を傾げる。
つくしは言葉を選ぶようにして、迷いながら続けてくれた。
「私が好きなのは春で、それはどうやったって変わらないよ?」
「うん」
アタシと松島さんは同じタイミングで頷いた。
「変わらないうえで……ああやって私のことを好いてくれてた人が豹変するのは、なんか私が木下君をおかしくさせてしまったみたいで、罪悪感がすごいっていうか……」
つくしがそう言ったところで、松島さんは深々とため息をつきながら、テーブルに肘を突く。
手で顔を支え、何ともまあ悩ましい格好。
「羨ましいねー。モテる女っていうのは」
「べ、別にそんなひけらかそうとか、そういう思いは無いよ!? ただ、やっぱり自分に想いを寄せてた人がああいう風になるっていうのは苦しいっていうか……! そ、そう! 松も自分がそうなった時のこと想像してみてよ! なんか辛くなってくるから!」
「私はそんなこと絶対起こらんから想像のしようがない! つくしが羨ましい! ね、春ちゃん!?」
すごい無茶ぶりをされてしまった。
どう返していいのか一瞬わからなくなって、苦笑いで曖昧に頷いておくことにする。
松島さんは再度ため息をついて、テーブルの上に突っ伏した。なんか酔っ払いみたい。
「はぁー、もう! 私はこういう性格だし、モテないのわかってるけどさー! なんか周りの子たちばっか色恋色恋で羨ましいやら面倒やらでよくわかんないよー! 各々そのくらいちゃっちゃと個人で解決してくれればいいのにー!」
「それはごもっともです……」
つくしがアタシの方を見ながら言った。
本当。
松島さんの言う通りでございます。
「汐里も汐里で面倒だしさー! どうすんの、あの子ー! はぁー、面倒くさー!」
そういえばそうだった。
木下君のこともあるけど、尾上さんのこともある。
彼女はアタシの性別変化にも気付いてる疑惑があるし、放ってもおけない。
「ほんと、ありがとね、松。今回の件、松がいなかったら私、どうしようもなかったよ。感謝してる」
「マジでだよー? 感謝して感謝ー。そしたらもっと動かさせていただくからさー」
「あはは……期待しておりますー」
つくしは、テーブルに突っ伏してぐでっとする松島さんの手に触れる。
にぎにぎし合ってて、こんなちょっとした女子的なやり取りにもモヤッとするアタシは、何て心が狭いんだろう、と自分のことながら嫌になった。
はぁー、せっかく色々想いも確かめ合ったのに、アタシは成長しない。
悟られない声でため息をついていると、ふとフリーになっていた左手に何かが当たった。
「……?」
見れば、それはつくしの手で。
「……春も、ね?」
松島さんに内緒で、こっそりアタシの手を握ってくれるつくしは、きっと魔性の女で。
木下君は、もしかしたらつくしのこういうところに惹かれたのかもしれない、と思った。