たぶん、中学生の時を合わせて考えてみても、ここまで勉強していないテスト週間は初めてだと思う。
この短期間で、色々なことが起こった。
つくしと一緒に病院へ行ったり、お母さんが会いに来てくれたり、青宮君とも想いを打ち明け合ったり、今回の件が起きたり。
松島さんと急速に仲良くなったのも、一つイベントなのかもしれない。
ただ、アタシは松島さんから『春ちゃん』なんて呼ばれ方をしてるけど、こっちは彼女のことを名字でしか呼べてないわけで。
早いところ名前で呼ばないといけない、と焦る気持ちがある。
松島さんのことだし、そろそろこのことを言ってきそう。『距離感じる』なんて感じで。
「っていうかさ、春ちゃん? 今さらだけど、私のことせめて下の名前で呼んでくれないかな? 寂しいよ? つくしだけ下の名前呼びとか」
不安に思っていた矢先、こんな風に言われてしまった。
あまりにタイムリー過ぎて、アタシは思わず目を丸くさせてしまう。
固まっていると、アタシは隣で歩いていたつくしに体を軽く引っ張られてしまう。
自然と体重がつくしの方へ行き、体を預ける形になった。こけそう。
「松、私の前で堂々と春を寝取ろうとするのやめてくれない? 重罪だよ? それ」
「いやいや、木下に唇を許す浮気者にそんなこと言われたくないから。ね? こっちおいで、春ちゃん? お姉さんとイチャイチャしようね?」
どうしてそこで赤ちゃん言葉……?
頬を引きつらせながら笑むアタシは、ただ固まってつくしに身を預けるしかなかった。
二人がワイワイと言い合い続けるから。
「ったく。ほんとにこんなので今から汐里と会って話せるのかねー? またすぐに空気悪くしない?」
「……いや、それはしないけど……」
松島さんに返しながら、つくしがチラッとアタシの方へ視線を向けてくる。
何が言いたいのかは何となくわかった。
たぶん、アタシが男子になってしまったことだ。
尾上さんとの会話でそれに触れて、真実が松島さんに伝わってもいいのか、とつくしは憂慮してる。
答えはイエスだった。
ここに来て、隠すことはもうしなくてもいいと思う。
アタシも覚悟が決まっていたし、松島さんと仲良くなってから、どこか色々な面で開き直ることができていた。
頼れる人が増えた結果かもしれない。
一応、青宮君にも相談した。
自分の体が男子になったことを松島さんたちに話してもいいかな、と。
彼は、あくまでも選択権はアタシにあるとしたうえで、それでも個人的に答えるならばと前置きし、別にいいんじゃないか、と答えてくれた。
『頼れる人が増えるのはいいことだ。君が幸せに生きていけるなら、僕はそっちへ行けるよう応援したい』
実際にアタシへ送ってくれた言葉だった。
だからアタシは、つくしに向かって小さく頷く。
それを見ていた松島さんはムスッとして、
「なに二人でコソコソやり取りしてんのー!? もー!」
と、なぜかジェラシーみたいなものを感じて、アタシの肩にすり寄って来る。
髪の毛がわしゃわしゃ頬に当たってくすぐったい。
「色々冗談は置いといてさ、松?」
「何が冗談よー。私はいつだって本気で生きてんだぞー? ちくしょー、ラブラブな二人めー」
酔っ払いみたいな返しをしてくる松島さんに、つくしは呆れるようなため息をついて、
「本気で生きてるのはわかるから。でも、これだけは言っとくよ?」
「んぁ?」
「尾上ちゃんとのやり取りで、もしかしたら松はびっくりするかもしれない」
「あぃ?」
どういうこと? とでも言いたげな顔で首を傾げる松島さん。
やっぱりアタシの推測は当たってたみたいだ。
つくしは続ける。
「春のことで、色々あるの。尾上ちゃんとの会話で、たぶんそれは明らかになるから。前もって言っとく。驚くよ、って」
曖昧で、抽象的な言い方。
パッとしない表現に松島さんがツッコんでくる――
……と思ってたけど、なぜか意外とそんなことはなくて。
「……へぇ。それ、今ここでは言えないことなんだ?」
さっきまでしていた冗談っぽい口調を止めて、真面目にそうつくしへ問いかけていた。
つくしもそれに対して真面目に頷く。
松島さんは「そっか」と一言呟き、やがて視線をアタシの方へ移してきた。
「いいよ、春ちゃん。何だかんだ言って、つくしと私とじゃあ一緒にいた歴史が違うのわかってるから。色々言ってるの、全部冗談」
にこりと微笑を投げかけてくれる松島さん。
それを見て、アタシは何となく罪悪感を覚えた。
不必要な罪悪感だし、お節介な罪悪感でもあると思う。
だけど、どこか彼女に気を遣わせたような気がして、申し訳ない気持ちを拭い去ることができなかった。
「それに、これも何だかんだだけど、二人は付き合ってるんだもんね。そりゃあ私の知らない事実を独り占めしてても何も言えませんよ。あるよね、そういう二人の秘密にしときたい隠し事みたいなの」
「ある……のかな?」
「あははっ。何でそこ疑問形~? そりゃあるでしょ~。現につくしはこう言ってるわけだしさ~」
松島さんにしては珍しい作り笑い。
どこかアタシに遠慮してるような、そんなものだった。
「ね、つくし? そういうことっしょ? その秘密とやらが、今からする汐里との会話の中で明らかになる。私はその衝撃に備えておけばヨシ、と」
つくしは少し間を作って、ゆっくりと頷いた。
歩いているアタシたちの100メートル先に、集まるのに約束してる建物が見えてくる。
「テスト勉強なのに何やってんだ、って感じだけど、これは大事なことだもんね。いいよ、話した後にみっちり皆勉強しよ?」
「だね」
つくしが頷いて、アタシも頷く。
松島さんは臨戦態勢を整えるように、伸びをした。
「勉強も青春も、何事も文武両道が大事っていうもんね」
さっき浮かべた遠慮してるようなものではない、晴れやかな笑みをその表情に浮かべて。
●〇●〇●〇●
約束の場所は、何でもない普通のファミレスだった。
けど、そこはいつもアタシたちが利用してる派手目なチェーンのお店じゃなくて、どこかこじんまりとした、食堂(?)と言う方が正しいかもしれないような小さめのところだ。
ここで、アタシたちは今から尾上さんを交えてやり取りをする。
話をしようと提案したのは松島さんだけど、尾上さんもよくこんなアウェーみたいな誘いを受けてくれたと思う。
木下君にしろ、すごいと思った。
アタシなら絶対に無理だ。
話そうと思っても、自分の言いたいことが言えなくて、場を変な空気にしてしまいそう。
「――とりあえず、席ここ取っとこうか。私はトイレに行ってくる」
アタシたちだけを座らせて、立ったまま言う松島さん。
ダメ、なんて言うつもりは一切ない。
アタシは頷くんだけど、つくしは「え?」と微妙そうな顔で疑問符を浮かべる。
「松、いきなりトイレ? このタイミングで尾上ちゃん来ちゃったらどうすんの?」
「は? そんなの普通にいつも通り相手すればいいだけじゃん? つくし、お前さん何言ってるんだ?」
言いながら、さっそくトイレの方へ向かおうとする松島さん。
それを止めるかのように、つくしは彼女の名前を呼んだ。
「えー! ちょ、待って! もうちょっとだけいてくんない? せめて尾上ちゃんが来るまで!」
「おバカ! 人にお漏らしさせる気か! 私はもう一丁前の高校生だぞ? 恥かかせようとするのはやめてくれ!」
なんて会話だろう……。
周りにも一応お客さんいるのに……。
そうやって、アタシが一人でため息をついている時だった。
出入り口の扉が開かれ、カランカランと鈴の音がする。
自然と視線がそっちへ行った。
当然、そこにいたのは――
「お。汐里来た」
一人で入店してきた制服姿の尾上さん。
彼女もすぐにこっちへ気付いたらしく、ハッとして視線を下へやった後、気恥ずかしそうにしながら、アタシたちの座っている席まで歩み寄って来る。
遂に役者が揃った。
ここからどうなるのか。
アタシの心臓はドク、と重く跳ね、やがて鼓動を早めていった。