その時のアタシは、自分でも驚くくらいに強くなれていた気がする。
「体が男子になっていってるんです。嘘じゃありません。本当のことなんです」
うるさくはないものの、周りの席の人たちの会話が聴こえてくる小さなファミレス店内。
そこで、しっかりと自分の体のことを話せた。
体は震えてる。唇も震えてる。
でも、声だけは震えさせなかった。
あくまでも堂々としていたい。
そこだけは譲れなくて、視線もしっかりと松島さんと尾上さんへ向けられてる。
覚悟は決まっていた。
「……え……? あ……? ん……?」
ポカンとしていた松島さんが困惑の声を漏らす。
怪訝そうにアタシをジッと見つめて、頭上から何個も疑問符を浮かび上がらせていた。
「………………」
尾上さんは無言のままつくしの方を見る。
つくしは、そんな彼女からの意味ありげな視線を受けて苦し気に頷いていた。
――認めるしかない。
アタシの言ったことを尊重してくれてる。
それが表情から伝わってきた。
「……ごめんなさい、先川さん。今さらつくしちゃんの言っていたことが嘘だったのか、なんて責めるつもりは無いし、そもそも私にそんな権利無いから何も言わないんだけど……正直びっくりしてる。『本当に?』って、何を信じていいのかわからなくなってる節もある」
冷静になろうとしながら、それでも早口の小さな声で言葉を並べる尾上さんは、明らかに困惑していた。
それはそうだ。
ずっと女子だと思っていた人が、唐突に『体が男子になってる』なんて言ってくるんだから。
「……本当、です。何も予兆なんて無しに体が男子になりました。身長は変わらないけど、声は低くなってる」
「……喉の調子が悪いっていうのも、あれは嘘だったってこと?」
松島さんが恐る恐る訊いてきた。
アタシは彼女の問い方に合わせた頷き方をする。
慎重に、あくまでもゆっくりと、だ。
「ま、まあ、それもそっか。喉の風邪は長引きがちだけど、そんなずーっと低いままとかあり得ないもんね。明らかに声変わりしてる」
「……うん。正直、いつか本格的に怪しまれると思ってました。だから、最近は学校でもあまり声出してないです。極力避けるようにしてる会話してるところを誰かに見られるの」
……なんて言っても、木下君とはハッキリ喋った。
たった一度きりだからいいけど、あれが何回もとなると、さすがに疑われ始めるはず。
たまたまだ。彼に怪しまれていないのは。
「……ふ、ふーん……なるほど……なるほどねー。春ちゃんは春君だったわけかー……」
あまりの衝撃からか、松島さんは気の抜けたような声で独り言ちる。
それに対し、黙り込んでいたつくしがすかさずツッコミを入れた。
「いや、それじゃあ最初から春が男の子だったみたいじゃん? 春は元々女の子だったの。それがなぜか急に朝起きると体が変わってて、って話だよ。間違えないで?」
「……そんなの、本当に起こる?」
ぽつり、と松島さん。
彼女の視線の先は、彼女自身の前に置かれている水入りグラス。
ぼーっとしながらつくしを疑っていた。
「現に起こってるから春もこう言ってるんじゃん。そこは嘘なんてつかない。つく理由がない」
「……なるほど……なるほどだけど……」
松島さんの目の色が変わる。
身を乗り出して、アタシの方へ顔を近付けてきた。
「失礼を承知で訊く。つくしってレズなん? それとも男好きなん? どっち?」
「……え」
「春ちゃん……いや、春君! ねえ、どっちなの? 嘘無しで教えて? お願い!」
松島さんの隣にいた尾上さんが即座に注意する。
いくら何でもそこは空気を読んで、と。
でも、アタシからすればそれは嬉しかった。
場が気まずくなるのを覚悟していたし、気を遣われるのも予想していた。
松島さんは、アタシの諸々の不安を全部簡単に吹き飛ばしてくれたんだ。
嬉しい以外の気持ちは無い。
笑みをこぼしてしまい、なぜか思わず涙目にもなる。
涙を目に溜めてしまっていることを察知されないように誤魔化し、アタシは松島さんの質問に答えた。
「つくしは……女の子が好き。そこは、アタシがどうなろうと変わらないみたいなんだ」
「ちょ!? は、春!?」
言うや否や、つくしの困惑する声が隣から飛んでくる。
松島さんは吹き出し、爆笑する。
周りの席にいた人たちがアタシたちの方を見てくる。
うるさい高校生だな、と思われたかもしれない。
申し訳ない思いを抱きつつ、今はそれがアタシからすれば楽しくて、頬をほころばせてしまう。
ニヤニヤしてると、隣にいるつくしがアタシの肩を掴んでぐわんぐわん揺すってきた。
あんなに沈んでいた尾上さんも、松島さんを注意しながらどこか楽しそう。
ため息交じりながら、その表情はどこか晴れやかだった。
「ていうかつくしはさ、なんでそんなに春ちゃんのこと好きなわけ? いい機会だし、そこんとこ詳しく教えてよ~」
「は、はぃ!? 何で今そんなこと話す流れになってんの!? 尾上ちゃんと木下君のことが話題の中心だったじゃん!?」
「つくしちゃん、それはもうういいの。木下君はあなたに振られたし、私も私で木下君にはどうせ何とも想ってもらえてないから」
「い、いやいや、笑顔でめちゃくちゃネガティブなこと言ってるし! どういうこと!?」
「今はあなたたち二人の話が聞きたい。いいでしょ?」
「よくないよ! 完全に尾上ちゃんまでおかしくなってるじゃん!」
ツッコんで、松島さんと尾上さんはさらに可笑しそうにする。
アタシも同じだった。
楽しそうにする二人を見て笑う。
会話は思わぬ方向に進んで行ったけど、心の底から思った。
本当のことを話してよかったってことと、それから――
「ん? 春ちゃん、今何か言った? あ、いや、違う! 春君か! 慣れないー!」
「いやいや、そこはもう普段通り春ちゃんでいいから! 余計に変えたらますますおかしくなるよ!」
――案外、周りにいる人たちは優しい。
自分が考えている以上に、皆優しくて、心の奥底ではアタシと同じ臆病で。
誰かの『本当』に触れたがってる。
すごく、すごく、はっきりと。
そう、わかった。
●〇●〇●〇●
結局その後、ファミレスには三木さんも来た。
松島さんが呼んで、彼女もアタシの事実について知る。
どんな反応をされるかはまた少し不安だったけど、困惑した後に、やっぱりつくしとのことを訊かれた。
「つくしって、実はレズじゃないとか?」
――なんて。
そしたらまあ、アタシが松島さんたちへ話した時と同じようにして説明するんだけど、二度目は許さない、とばかりにつくしがアタシの口を塞いでくる。
それを『密着してる』と見た松島さんが煽ってきて、つくしは顔を真っ赤にさせてその場で縮こまった。
『もう帰る……』
そんな冗談を漏らすほどに恥ずかしがっていて、すごく可愛い。
アタシが思わず頭を撫でてあげると、それでまた場が湧いた。
つくしは溶けかかり、アタシは顔を熱くさせる。
レズって言っておきながら、レズじゃない。
そんなことも言われていたつくし。
冗談も何もかもが入り混じった、本当に楽しい場所だった。