これは別に皮肉じゃない。
皮肉じゃなく、つくしのことをすごいと思った。
大胆なことが言えて、それを実際に行動に移すことができる。
アタシのお母さんと遊びに行きたいなんて、アタシがつくしの立場なら絶対に言えない。
気も遣うし、何よりどんなことをして遊べばいいかわからないし、そもそも何を話せばいいのかわからない。
どうするんだろう。
アタシがトイレに行って、一対一になったりした時。
もし自分がその立場なら、と考えただけでゾッとする。
想像するだけで冷や汗が出た。失言しかしない気がする。
「――お待たせ、春。スマホとにらめっこして何見てたの? もしかして私の写真とか?」
一時間ほど電車に乗ってやって来た都会の街。
そんな都会の街のとある百貨店内にて、アタシはつくしがトイレに行ってるのを待ってたわけだけど、お母さんとのSMSメッセージ画面をボーっと眺めていて、しばらく時の経過を忘れてしまっていた。
気付けばつくしがすぐそこにいる。
アタシをからかうような、そんな目をしてた。
「……う、ううん。そんなわけないよ。こんな人の多い場所で」
スマホの画面を隠すようにしてアタシは答える。
ただ、それがつくしからすれば何となく挙動不審に見えたんだと思う。
怪しまれて、顔を近付けられた。
「本当に~?」
と。
「ほ、ほんとほんと。……ていうか、近いよつくし。今言ったでしょ? ここ、人の多い場所なんだよ?」
「いいよ、そんなの。私たちのイチャイチャ、他の人たちに見せつけてあげたいくらいだし」
「……っ。そんなことするメリットないよ……」
恥ずかしいし。
でも、つくしはアタシの意思とは裏腹に「そんなことないよ」と首を横に振る。
「メリットならあります。私の可愛い春を自慢できて、私が幸せになります」
「……可愛い……かな……アタシ。どっちかっていうと今は……」
「カッコイイ?」
「っ……」
「どっちかっていうと、カッコイイの方が合ってるって? 今男の子だから?」
「だ、だから声が大きいってば……!」
アタシは小声で必死に訴える。
ほんと、周りの人たちに会話の内容を聞かれてたらどうするんだろう。
男の子の体に変わったとか、そういうのは外で堂々と言わないで欲しい。絶対周囲の人が聞いてたら『どういうこと?』って思うだろうし。
「まあまあ、とにかくね。私の春はとっても可愛くて、とってもカッコイイ子なんだ。それを叶うことなら周りの人に知らせたい。宣伝したい。春の素晴らしさを世界に広めるのが私の役目だなって最近思い始めたの」
鼻息を荒くさせて言うつくしだけど、アタシはひたすらに首を横に振っていた。
そんなことしてくれなくていいです。そもそも可愛くもカッコよくもないです、と。
「実際、春のお母さんにもプレゼンしてあげたいなって思ってるくらいだよ? あなたの娘さんはすごく可愛いですよ、カッコいいんですよ、って」
「絶対やめて。話がまたもつれちゃうし、体のことはまだ何もお母さんに言ってないから……」
後ろめたくて、つくしから視線を逸らして言うアタシ。
でも、つくしはそれも同調してくれず、「いやいや」と否定してきた。
「この短期間で松たちに明かせたんだから、お母さんにも言えるんじゃないかなって思うよ? 私は」
「明かせないってば。無理だよ。無理に決まってる」
「え~? そう~?」
「そうだよ。もう……色々わかってるくせに」
「ふふふっ」
無邪気にいたずらっぽく笑うつくし。
もちろん冗談だった。つくしの言ってることは。
だって、言うまでもなくアタシとお母さんの関係がどんなものなのか、よく知ってるから。
「ねえ、春? だけど、もしも本当にそういう話をお母さんにできそうな時は、私にも教えてね?」
「……教えなきゃいけないの?」
今度はアタシが少し意地悪っぽく言う番だった。
軽くジト目を作ってつくしに言うと、彼女はアタシの肩をペシペシ叩いてきて、
「教えなきゃいけないの。だって、恋人同士だから」
「……それ、関係あるのかな……?」
「あるよ。大切なこと、ちゃんと共有しとかなきゃじゃん」
「ん。……まあ、そっか。そうだよね。仕方ないな」
「仕方なくない。当然ですから~」
言って、つくしはアタシの座ってる横に腰掛けてくる。
ベタベタと腕を抱いて、身を寄せてきた。
言うまでもなく周りには人がたくさんいる。
どう思われるのか気にして欲しいんだけど、それを今さら注意も出来なくて、アタシは小さくため息をついてから自分の体をつくしの方に寄せた。
近くなった体と体は、こんなにも音の飛び交う喧噪の中でも体温を伝えてくれて、アタシを安心させてくれた。
何でも出来そうな気がする。つくしと一緒にいると。
お母さんに会うのも、前より楽しいものにできるかもしれない。
もしかしたら、お母さんだって喜んでくれるかも。つくしに会って。
「……それで、春さん? こうしてイチャイチャしてる時に話を戻すんですけどね?」
「……うん。何?」
「さっき見てたスマホの画面、あれお母さんとのやり取りだったよね?」
ドキ。
体を思わず硬直させてしまう。
心臓もトン、と跳ねた。
「……さすがつくしさんですね。ちゃんと見てたんだ」
「そりゃもちろんですよ、春さん。バッチリ見てました」
隙なんてほとんど作って無かったと思うんだけど……。
どうやって把握したんだろ。凄すぎます。
「あ、もちろん内容までは見えてないから安心して? トーク相手の文字がたまたま大きく映ってただけだから、そこで判断しただけ」
「なるほど。……ちなみに、帰省した時つくしも交えて遊びに行きたいって言ったの。返信は未だ無し」
「無しかぁ……。何? もしかして画面を眺めてたのは『返信来ないかなー』みたいな感じで見てたってこと?」
問われて頷くアタシ。
そこは正直に明かした。
心が揺さぶられてたから。返信がなかなか来なくて。
「返信を待ってるこの時間が苦しい。許される未来が見えない。なんか断られそうな気もするし、案外許してくれそうな気もする。五分五分っぽいから余計心臓に悪いんだよね……」
言って、アタシはため息をつく。
つくしも同じようにため息をついてくれた。
「そこは私も一緒に待つよ。もしダメって言われたら受け入れるし、何だったらとびっきりのプレゼントを渡して対面してから考えを改めてもらう。『この子とだったらお出かけに行ってもいいかも』って思ってもらえるように」
「そこはお母さん頑固だから、たぶん考え曲げてくれなさそう。現実は厳しいよ……」
「でもさ、私が春と一緒にお邪魔するの許してくれたくらいだし、オーケー出ないかな? もうなんか春とお母さんの関係も雪解けって感じするし」
雪解け、か……。
言われて、そんなような気もするし、そこにはまだ確かな溝があるような気もした。
理由はハッキリしてる。
まだ、アタシとお母さんは一度もちゃんと話したことが無い。
隠しごと無く、思ったことを隠さないで。
「難しいよ。その辺りは。アタシだけじゃなくて、お母さんにも色々決心しなきゃいけないところがありそうだし……」
「でも、春はちゃんと話したいと思ってるんでしょ? お母さんと」
「それはまあ……」
だったら、とつくしはアタシの隣でベンチから立ち上がる。
揺れた髪の毛からふわりとシャンプーの香りがした。
アタシの使ってるやつと同じ。
「雪解けは近いよ。大丈夫。私が保証する」
「……かな?」
首を傾げると、つくしは頷いてくれて、
「だって、人間そんなに皆悪い人ばかりじゃないし、何より皆臆病だから」
つくしは笑う。
眩しいくらいの笑顔だった。
「私も、春もね」
――皆、考えてることは同じ。
悩んで、悩んで、それでも平和な関係になりたいと心の奥底で願ってるから。
だから、上手くいく。
つくしの言い分はそれだった。
「……わかった。なら、つくしの言うことを信じてみて――」
と、アタシが言いかけてた刹那だった。
スマホがメッセージの通知音を鳴らして、
「……! お母さんからメッセージ返って来た!」
お母さんからのメッセージ通知をアタシに知らせてくれた。
つくしと一緒になって画面を開く。
そこには――
『いいわよ』
短く、そんな言葉が送られてきていた。