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第77話 木下君たち

 場の空気を読むことって結構難しい。


 自分が良かれと思ってやったことや言ったこと、それらが周りの人からすれば違和感のあることで、もしかすると迷惑をかけている可能性もあるわけで。


 誰かから告げられて自分の過ちに気付き、空気が読めていなかったと自覚する。


 そんな経験がアタシにもある。


 あるからこそ、ちょうど話し掛けてきた立川君には直接「空気が読めていない」とは言えなかった。


「やぁ、二人とも。元気にしてた?」


 人気者ゆえの傍若無人っぷりか、それとも本当に空気が読めないだけか。


 どちらにせよ、今この状況で一番前に座っているアタシとつくしへ話しかけてくるのはやめて欲しかった。


 広重先生もジッとこっちを見てる。


 補習生徒の分際で何をのうのうと、だなんて先生は言わないだろうけど、もしかしたら心の中で思われてるかもしれない。


 ただ、そう思われても仕方ないことだった。


 ほんと、何でこの状況で話しかけてくるの?


 つくしはわかりやすくブラックスマイルを浮かべ、彼に対応する。


「立川君。どうでもいいけど、とりあえず席に戻ったら? 今から補習だし、ここで私たちに話しかけてくるべきじゃないと思う」


 笑顔とは裏腹に鋭い言葉。


 立川君はすぐにつくしの意図を汲み取って苦笑いを浮かべるけど、そんな反応をするよりも先に席へ戻って欲しかった。


 皆の目が変にアタシたちへ集まる。


 後ろに座っているであろう木下君たちは、いったいどんなことを考えているのか。


 振り返って表情だけでも確認したいけど、それをすると余計に目立つし、目が合えば気まずくなる。


 変に動くことをせず、アタシは視線を下にやった。


 自分の力が働かない程度に状況がどうにかなることを祈る。


 つくしの言ったことを受け入れて、彼が自分の席へ戻ればすべて済むことだ。


 心の中で『早く戻って』と祈っても、それは現実に彼を動かす力にはなり得ない。


 立川君は呑気に言葉を続けてきた。


「いやぁ、つれないなぁ姫路さん。もしかして、まだ怒ってる?」


 言い方は申し訳なさそうで、変に煽ってきてるような感じもない。


 でも、何度も願うように、今は話しかけてきて欲しくない。


 それはアタシだけじゃなくて、つくしも同じ思いだ。


 小さなため息をつき、つくしは立川君じゃない別の人の方を見つめながら手を挙げた。


「広重先生。プリントのこの部分、私のだけなぜか文字化けしてるみたいなんですけど」


 何も言わずにアタシたちの方を見つめていた広重先生。


 つくしの視線の先にいたのは彼だ。


 おじいちゃんで、皆に人気者の先生。


「ん。ちょっと確認しようかな。そこで座って待っていて構わないからね」


「お願いします」


 つくしが毅然とした態度でそう言うと、観念したのか、立川君はアタシたちの元から離れていった。


「おっ。立川君は補習前のお喋り、もういいのかい?」


 そんな彼の名前を口にし、冗談のように呼び止める広重先生だけど、立川君は相変わらずの苦笑いで手を横に振っていた。


「大丈夫です。なんか嫌われちゃってるみたいなので」


 なんて言って。


 そんなことが言えるのは強い人の証だ。


 普通、というか、大抵の人はそこまで開き直って自分が嫌われていることを大っぴらに口にしない。


 というか、できない。


 プライドみたいな感情が邪魔をして。


「別に嫌ってはいないです。ただ、補習が始まる前なので注意をしただけです」


 広重先生に伝えるようにつくしも言っていた。


 先生は面白げに小さめの声で笑い、


「若いっていうのはいいことだね。これぞ青春。皆も今の時間を楽しんだ方がいいから、色々失敗をしなさい」


 ――立川君のように。


 と、広重先生が言うと、当の立川君はわざとらしく冗談で怒ったような反応を見せ、周りの人たちの笑いを誘っていた。


 どことなくホッとしてしまう。


 一連のやり取りで教室内は冷え切ってしまっていたのだが、この笑いで場が一気に和んだ。そこら中からコソコソとした話し声も聴こえてくる。


「まあ、この補習の時間もある意味失敗か。運が無いね、君たち。今回から補習制度が導入されたんだから」


 少年のようにいたずらっぽくクスクス笑って言う広重先生だった。


 こういう雰囲気の緩い所が広重先生の人気の所以だろう。高校生の間はこういう先生が人気者になりやすい。


「なら、とりあえずこんな面倒な補習はさっさとクリアしてしまおうね。さっそく今渡したプリントの問一を見てくれるかい?」


 何気なく会話の流れで補習講義が始まっていく。


 立川君はまだ席に着いていなかったから、急いで木下君の斜め左前の席に収まっていた。


 その際に後ろを向いたのだが、ちょうどアタシは木下君と目が合ってしまった。


 すぐに視線を逸らし、何も考えていなかったフリをする。


 内心微妙な気持ちだ。


 会話もしていないし、近くにも寄っていないのに、気まずい思いをさせられた。


 木下君は何とも思っていない様子だけど、実際はどうなのかわからない。


 広重先生の指定した大問一番を見つめながら、アタシは彼の心情をあれか、これか、と想像し続けていた。


 どこまで木下君に脳内のメモリを割いているのか。


 自分でもバカらしくなる。


 何で彼のことばかり考えているんだ、と。


 ちなみに『好きだからなんじゃないの?』的な回答は一切無視する。そんなわけないし、隣につくしがいるんだからそんなことを冗談でも思う要素が無い。単純に違う。


「はい。じゃあ、大問一番の内容を軽く誰かに読んでもらおうかな? ……そうだねぇ。木下君。君行ってみようか」


 広重先生が言うと、後ろの方から「マジか……」とささやく声が聴こえてくる。


 アタシたちに聴こえていたら、それはもう当然広重先生の耳にも届いた。


 彼はにこやかな表情のまま、「今何か言った? 聴こえないよ?」とあくまでも強気。


 それはまあ、先生だから当然と言えば当然なんだけど、いつもの広重先生とは少し違った感じがした。


 仲間と話していた内容が丸聴こえだった木下君は、ややうろたえた様子で席を立った。


 アタシはそんな彼の一連の動作を眺めながら、内心こう思う。


 ――別に席を立って読め、とは言ってないよね? と。


 でも、起立した彼を止めようとする人はおらず、ただナアナアのまま授業は進んでいく。


「大問一番は――」


 広重先生の展開する補習授業も軌道に乗り始め、アタシたちは放課後の時間を見事勉強に費やすのだった。






●〇●〇●〇●






「よし。では、今日の補習授業はここまで。皆、各自アンケートプリントを記入した人から退室して大丈夫だからね」


 授業を終え、一番前の前の教壇に立ちながら、持っていたペンをくるくる回して広重先生が言った。


「よっしゃー、終わったー」


 後ろの方では、補習授業から解放された木下君たちの伸びをする声が聴こえる。


 それでも、アタシとつくしはそんな彼らの声を無視して自分たちの会話に没頭した。


「やっと終わったね、春。でも、今日やったところはちゃんと覚えとかなきゃだよね……」


「それはもちろん。アタシ、真面目にノート取ってました。後で見せてあげようか?」


「お願いっ!」


 つくしがパン、と手を叩いて擦り合わせ、感謝の言葉を続けてくれる。


 さっそくノートを見せてあげようとして、件のページを開くのだが――


「おーっ! すげっ! めっちゃ書いてるね、先川さん!」


 聞き覚えのある声がアタシたちの頭上から降り注いできて。


 声のした方を見やると、立川君――だけではない木下君たち一行がそこにいるのだった。


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