「おーっ、すげっ! ノートめっちゃ書いてるね、先川さん!」
唐突に頭上から降り注いでくる声。
それを聴いたアタシは思わず心の中で『げっ』と呟いてしまう。
見れば、そこには今声を掛けられたくない人たちがぞろぞろと立ってる。
木下君たち一行で、たぶんアタシのノートを覗き見したのが立川君。
頬を引きつらせてしまった。
補習が終わったとはいえ、どうしてこんなに元気に話し掛けられるんだろう。
前はシュンとして、すごく申し訳なさそうにしていたのに。
直接本人にそう問いたい気持ちになったけど、グッとこらえて作り笑いを浮かべた。
教室から出て行く人もいる中、彼ら……というか、立川君と近藤君の二人がどんどん話し掛けてくる。
「お疲れ。補習どうだった~?」
「てか、びっくりだよね。まさかここまで補習も俺たち全被りとか」
びっくりなのは気まずい感じのアタシたち相手にそうやってグイグイ来れるあなたたちなんだけど……。
なんて思うものの、それもまた頭の中で考えるだけで声には出さない。
苦笑いのまま「そうだね~」と返すだけ。
ただ、それはアタシだけに限った話で、つくしはもっと本音をぶつけてしまうタイプだった。
意思強めに、「前と違ってすごくテンション高いね、二人とも」と笑顔で言ってのけていた。
これには痛い所を突かれたのか、立川君と近藤君の顔も一瞬引きつる。
でも、ここで負けないのも彼らで、強引に勢いでカバーしてきた。
「ま、まあまあ、そうツンケンしないでよ、姫路さん」
「そ、そうそう。前は前。今は今でしょ? 一生近付かないで、話し掛けないで、っていうんならそうするけどさ」
強い。
折れないナンパ師のようなメンタルの強さを感じさせてくれる。
後ろの方で大人しく引っ込んでる木下君のためなのかな。
なんで二人はここまでしてアタシたちに絡んでくるんだろう。さっきから、すごくその辺りが気になる。まさか、ワンチャンス狙ってるとか、そんなことでもないだろうし。
「別に一生話し掛けないでとか、そんなことはないよ。あなたたちに限って言えば、だけど」
冷たい微笑のまま、つくしは静かにそう言った。
アタシから見てもちょっと怖い。
ってことは、立川君や近藤君からすればもっと怖いってことにもなる気がする。
実際、さっきから二人の苦笑は止まらなかった。
後ろにいる木下君と間島君はもはや空気で、一秒でも早くこの場から去りたさそうにしてる。
「え、えっと、あなたたちに限った話っていうのは……具体的に言うと?」
「う、うんうん。それだと許されない人がいるみたいな話になりますよね?」
うわぁ……そこ切り込んでいくんだ……。
誰に向けての言葉かは明白だし、友達ならスルーすればいいのに。
アタシがそんなことを心の中で思っていると、彼らのご所望通りつくしはハッキリと言い切った。
「立川君と近藤君の後ろにいる木下君、かな?」
ぐっさりと言葉のナイフで木下君が刺された刹那、彼の隣にいた間島君は安堵の吐息とともに「よかった」と漏らす。
それを聞いて、立川君と近藤君の二人は振り返り、「おい……!」と間島君に注意していた。
なんかもう、色々と見ていられない。
「あ、あはは……。だよね。まあ、わかってた。俺、結構取り返しのつかないことしちゃったし」
今にも泣き出してしまいそうな表情で言う木下君。
ここはもう、黙っていられない。
そう思い、アタシがフォローを入れようとするも、それを遮るようにつくしが返す。
「そう。その通りだよ、木下君。木下君は、私と春の関係を終わらせかけた。いきなりキスしてくるとか、普通に考えて怖過ぎるし」
「それはまあ、確かに」
うんうん頷いて、立川君が同調し始める。
これには近藤君も間島君も「おい!」とツッコミを入れていて、アタシもツッコみかけた。何でそこ同調するの、って。
「そこはさすがの俺でも木下のことフォローしきれねぇよ。先川さんのことも知ってたみたいだし、それを超えての唐突なキスはヤバい。友達だからとか関係ないな」
真面目に言う立川君を見て、ツッコんでいた近藤君と間島君は互いに見つめ合い、何とも言えない表情。
つくしは「だよね?」と立川君に向けて言って、再度同調し合う二人。
木下君は泣きそうな苦笑いのままだ。
「立川。いや、近藤も、間島も。ほんとごめんな。俺のせいで色々」
謝る木下君に、立川君……じゃなくて、今度は近藤君が声を上げた。
「それ、謝る相手は別に俺たちじゃないよ」と。
同じように、間島君も頷きながら続ける。
「まあ、実際俺も同じくらい悪いから何とも言えないけど……何回でも、謝るべき相手は目の前にいる姫路さんと先川さんだな」
「特に先川さんかも。二人、すっげぇ仲良しなんだよ。それこそ、恋人くらい」
近藤君がそう言ってくれて、アタシは少し胸の内が温かくなった。
――恋人くらい。
その言葉を、気持ち悪そうに言ったり、偏見の篭もったような語調で一ミリも口にしていない。
心の底から純粋で、ただそこにあるもののように、簡単に言ってのけてくれる。
やっぱり、前に思った通りだ。
立川君も、近藤君もいい人。
いい人って表現は、安直で、都合のいい言い回しであまり好きになれないけど、それでもいい人だから、いい人だって言いたくなった。
本当に、いい人。
「……けど、なんか……俺は木下に同情する部分もある」
間島君が続ける。
「木下がやったことは当然良くないけど、それでもいつまでも許されないっていうのは違うかなって」
立川君が「おいおい」と口を挟んだ。「なんか言ってること矛盾してないか?」と。
間島君は首を横に振った。
「矛盾してるっていうか、意見両方っていうか、難しい所なんだけど……さ」
少し強く触れてしまえば、途端に崩れ去ってしまいそうな、そんな喋り方だった。
でも、皆黙って間島君の言うことに耳を傾けてる。
「木下、本当に姫路さんのことが好きなだけだったんだ。それで重罪人みたいに謝らせ続けるのも、許され無さ過ぎるのも、ちょっと違うかなって思うんだ」
「でも、お前今言ってたじゃん? 何回でも木下は謝るべきだって」
近藤君のツッコミに間島君は声を少し大きくさせた。「それはそうなんだけど」と。
「それでも、何回か謝って、許されるべきじゃないかな……なんて思うんだ。俺は……うん」
言いながら、彼はチラッとつくしの方を見やる。
つくしと目が合い、間島君はすぐさま視線を逸らした。
「……まあ、そこは難しいな。何ていうか、俺たちの判断できるところにない」
「それな。あくまでも姫路さんとか、先川さんが判断下すところだろ。どうなっても文句は言えねー」
そう言われると、許さないって判断をした時、アタシは罪悪感を覚えてしまうんだけど。
立川君の言う通り、それはアタシたちにとっても難しい問題だった。
だって、アタシが『許す』って言ったとしても、つくしが同じような判断を下すとは限らない。
それならアタシが説得すればいい話ってなりそうなところだけど、そこはそこでまた新たな問題(アタシとつくしの不和)を生んでしまいそうで、複雑な思いにさせられる。
木下君を許さないのは楽だけど、それはそれで少し横暴。
適切な判断なんてすぐに下せなかった。
つくしも同じことを考えているのかもしれない。
アタシと目を合わせて、ジッと見つめてきていた。
「……あの、つくしは――」
そう、アタシが言いかけたところで、だ。
「青春の真っ只中にすまないね」
広重先生がアタシたちへ声を掛けてきた。
そこにいた全員で先生を見やる。
「そろそろ教室の鍵を閉めようと思うんだ。こいつを返す時間、面倒なことに定められているから」
にこやかに言い、鍵をチャラっと見せてくれる広重先生。
アタシたちは互いに見つめ合い、会釈をしてからとりあえず席を立つのだった。