「それってつまり、私たちの仲良し度合いを見て、木下君が引いちゃったってこと?」
青宮君の発言を受けて、つくしは首を傾げながら疑問符を浮かべる。
引かれてるところまでは行かない気がするんだけど、どうなんだろう。
答えを求めるようにして青宮君を見やると、彼もやっぱり首を横に振っていた。
「引かれている、なんてところまではいかないと思う。ただ、自分には入り込む隙間が無い。男子である自分は、女の子が恋愛対象になる姫路さんとは絶対に恋仲にはなれないんだ、と。彼は心の中できっとそう思ってはずだよ」
「……そうなのかな?」
アタシがぽつりと問うと、青宮君は頷いてくれる。
「ああとも。彼もバカじゃない。さすがにここまで来ればもうワンチャンス、なんて考えはしないはずだ。自分の身の振り方もわかっていると思う」
青宮君の言うことには妙な説得力があった。
きっと、彼の洞察力をアタシは信じ切っているんだと思う。
信頼できる数少ない友達だ、って。
「……なんか、ありがとうね、青宮君」
気付けば、アタシは感謝の言葉を口にしていた。
青宮君はポカンとしてこっちを見つめてくる。
「急だね。にしても、どうして感謝の言葉? 僕、君にそんな尊い言葉をもらえるほどのことをした記憶はないけど?」
彼に続くように、つくしが「そうだよ」とジト目で言ってくる。
悪いけど、今野つくしの言葉はスルー。
アタシは青宮君に向けて返す。
「青宮君に自覚が無くても、アタシがありがたいなぁ、って思ったから『ありがとう』なの。このセリフ、言われる側は無意識なことが多いんだよ? 知ってた?」
「……まあ、その節はあるかもね。僕も君に感謝したい。ありがとう。変わらないままの君でいてくれて」
わかりやすくカウンターを食らった気分だった。
変わらないままのアタシってなんだろう。
疑問符を浮かべてしまうけど、それに対して追及するのはどうも違うような気がした。
わからないまま、ありがとうの言葉を受け取る。
アタシも青宮君にそうして欲しいから、自分でそうした。
「ちょっと二人とも? 私を差し置いてエモーショナルな会話繰り広げるの、やめてもらっていいかな?」
青宮君と見つめ合っていると、アタシのことを独り占めするみたいに、抱き締めてきながらつくしが言う。
青宮君はそれを見て、わかりやすくため息をついた。
「心配しなくても大丈夫だよ、姫路さん。今さら僕だって先川さんのことを取ろうとなんてしない。君たちの関係は構築され切っていて、僕たち外野が入り込める隙間なんて無いんだから」
「そんなのわかんないじゃん? 君はそうやって白旗を上げてくれてるけど、私は木下君をまだ完全に信じ切れてないよ。疑ってる最中」
つくしのセリフを受けて、青宮君は呆れるように鼻で笑った。
「警戒心を強くさせるのは君の勝手だけど、それはただの徒労だよ? まあ、それで姫路さんの心の安定が保たれるのなら一向に構わないんだけどさ」
「……なんか言い方がムカつく。上から目線」
「まあ、実際そこのところに関しては僕の方がモノをよく見られているみたいだからね。ちょっとくらい上から目線させてくれ」
「ヤダ。私、君にマウント取られるのを看過していられるほど心が広くないから」
「じゃあ、勝手に上から目線しておく。ざまあみろ」
冗談っぽく勝ち誇った顔を作る青宮君。
それに対して、つくしも冗談っぽく歯ぎしりしていた。
平和な茶番だった。
アタシたちの中で本当の喧嘩なんてそうそう起きない。
それは、互いが互いに信頼できているからだと思う。
こんなのでも、つくしと青宮君はお互いを信頼している。
口には出せないけど。
「……ふふっ」
ついアタシが笑ってしまうと、二人は一斉にこっちを見て、何が可笑しいのかと追及してきた。
アタシは笑った理由を誤魔化し、テーブルの上で広げられたポテトチップスを一枚齧る。
ツンとした塩味だけど、そのしょっぱさは、どこか達成感を抱かせてくれる不思議な味だった。
●〇●〇●〇●
自分の身に降りかかっていた問題が一つ一つ解決していくのを見ていると、止まない雨は無いんだな、とつくづく思う。
でも、きっとそれは、一緒に状況を良くしようとしてくれる誰かが傍にいてくれるからで、アタシ一人では絶対に悪い方へ向かってしまうだけだったはず。
ありがとうの言葉は青宮君に伝えたけど、つくしにも言わなくちゃいけない。
青宮君がアパートの部屋を後にして、アタシはつくしと二人きりになる。
お菓子も既に尽きて、何かすることも勉強以外は特にない。
テーブル上で参考書を広げ、向かい合うようにして座りながら、アタシたちは黙ってペンを走らせる。
話したいことは色々あるけど、それでも今週末のテストで低い点を取ったら、それこそ大変なことになる。
ちゃんと勉強もしとかないと。
「…………あの……つくし?」
……そう思っていたのに、簡単につくしは集中力を解き、向かい合ってるところからアタシの手を触ってきた。
「……ん。そろそろ寂しい。触れたい。春に」
なんて、甘えた声を出しながら言ってくる。
そんな風に言われたら、こっちとしてもペンを置くしかなかった。
ため息をつき、アタシはつくしの方をジッと見つめて触ってくる手を受け入れた。
「まあ、三十分くらいは集中してたもんね。いったん休憩にしてもいいかも」
「あははっ。私たち、ダメだね。集中力、三十分しかもたないなんて」
再度ため息をついて、呆れるように返した。
「それはつくしがアタシの手に触れてくるからでしょ? アタシ、手触られなかったらもう三十分は集中できてたよ?」
「ふふっ。ごめんね、邪魔しちゃって」
「……それは……別にいいけど」
いいんだ、とつくしはまた笑った。
アタシは視線を少し逸らし、思わず照れ隠ししてしまう。
指でノートの角を変に折ったり、苦し紛れの仕草をするしかなかった。
「……ねえ、春? 今日、また泊まるのダメかな?」
「え? 今日?」
唐突なお願いに、アタシは思わず聞き返してしまった。
つくしは上目遣いでこっちを見つめて、様子を窺うような視線をくれる。
いい。
泊まること自体は別に構わない。
でも……。
「つくし、今日は着替え持って来てないよね?」
「うん。持って来てない」
「パジャマとかはいいとして、下着類はどうするつもり? さすがにこれをアタシが貸すのはつくしも嫌でしょ?」
頷く。
そう思っていたのに、つくしは首を横に振った。
嫌じゃないよ、と。そう返してきた。
「私、気にしない。春の下着借りるの、全然大丈夫」
「い、いや、でも、そこはアタシが……」
「春も気にしないよね?」
ズイっと顔を近付けながら、圧を掛けるようにして問いかけてくるつくし。
嫌だ、とも言えなかった。
多少の抵抗はやっぱりある。
それは、下着をつくしに汚されるからとか、そんなことじゃなくて、つくしの綺麗な体にアタシの下着なんかを付けてしまったら、それこそ汚れないか、という心配だった。
アタシ、ダサいモノしか持ってないし。
「……アタシは……」
「わかるよ。春、自分の下着を私に付けさせるのなんて申し訳ないって思ってくれてるんでしょ?」
痛い所を突いてくる。
正解を言われ、アタシは声を最大限小さくして控えめに頷くしかなかった。嘘もこの場面ではつけない。その通りだった。
「いいよいいよ。気にし過ぎ。私、春と一心同体になりたいくらいだから」
「っ……」
「一心同体になって、心の底から好きって想いを確かめ合いたい」
「つくし……」
「そうすれば、体も女の子に戻るかもじゃん?」
つくしの指が、アタシの指にゆっくりと絡む。
包み込むように、ゆったりとアタシの手を侵食してくるつくしの手。
それは、心も同じみたいだった。
「春の下着、貸して欲しい」
つくしの気持ちが、アタシの気持ちを包み込んでくる。
ゆったりと、ねっとりと、確かに。