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第81話 二人の朝

「おはよ、春。朝ごはん用意してるよ」


 カーテンから差す穏やかな朝日と、つくしの声。


 それらに導かれるようにして、アタシはベッドの上で目を覚ます。


「……んん……もう……朝……?」


「うん。もう朝。昨晩はお互いお楽しみでしたもんね。おかげで私は寝不足」


 つくしの冗談を聞き、アタシはため息交じりに鼻で笑った。


「つくしがよくわからないこと言ってる。何も変なことしてないのに」


「変なことはしてないよ? けど、お楽しみでしたよねー、って話」


 言って、つくしはアタシに朝ごはんを食べるよう急かしてくる。


 魚焼きグリルで焼いたトーストを熱いうちに食べて欲しいらしい。


 料理好きなお嫁さんみたいな考え方。


 つい可愛い、って思ってしまった。


「別に変なことはしてないし、お楽しみって言えるようなこともしてないからね? いつも通り、つくしと一緒のお泊りだった」


「春さん、それは私泣いちゃいます。私と一緒にいる何気ない時間がお楽しみって言って欲しかったよぉ」


 わざとらしく体をくねくねさせて悲しみの表情を作るつくし。


 上のパジャマも、下のパジャマも、全部アタシのものだ。


 その中にある下着もアタシの。


 上もそうだし、下も……。


 いや、下は違った。


 下だけは違う。


 直接的な言い方をすると誤解されそうだから何も言えないけど、誤解を恐れずに言うならば『何も履いていない』。


 なぜか上だけは付けていて、下だけは何も履いていないという謎状況だった。


 あ、もちろん言った通りパジャマのズボンだけは履いているけど。


「春ったらわかってないよね、私のこの現状」


「わかってるって言ったらわかってるよ。どちらかというと目を逸らしたい状況だから深くツッコんでないだけかな?」


 言いながら、アタシはアルミホイルの上に置かれたきつね色のトーストにバターを塗る。


 つくしはそんなアタシを見て、傍でぷくっと頬を膨らませた。


 アタシはその膨らんだ頬を人差し指で押す。


 つくしの口から空気が抜けた。


 思わず笑ってしまうと、つくしは弄ばれてると思ったのか、怒ってアタシの肩をペシペシ叩いてきた。


 ダメ。トーストが手から落ちそうになる。


「ほんとに春ったら。そうやって随分と私を弄んでくれるようになりましたね。前までは自信なさげで可愛い春ちゃんだったのに」


「そんなに変わった感じ、自分ではしてないんだけどなぁ……」


 トーストにかじりついて遠い目。


 つくしは首を横に振って否定してきた。


「変わってるったら変わってるの。自分評じゃなく、私評で物事を判断して」


「わがまま彼女みたいなこと言うなぁ。……ん、トースト美味し」


 バターを塗って、イチゴジャムを塗ったトーストは、仄かな酸味と甘みが混ざり合っていて、眠気が覚める美味しさだった。


 ……いや、眠気が覚める、は間違いかも。


 既に眠気なら覚めてる。つくしが色々と可笑しなことばかり言ってくるから。


「やれやれだよ、もう。可愛い可愛い恋人がこんなにもエッチな恰好してるのに。春はどうやら私をからかうのに一生懸命なようだ。全然襲い掛かって来る気配がない」


「なんはいまのしゃべりははふんほうみはい(なんか今の喋り方文豪みたい)」


「はぁ~~~……」


 深々とため息をつくつくしだった。


 そんなに落胆しなくてもいいのに、ってアタシが即座に言うと、またふくれっ面になる恋人さん。


 口の中にトーストがあるから、もごもごした喋り方になるのも煽り要素満載だと自分でも思う。


 せめてそれを飲み込み、落ち着いてから切り出した。


「それはねぇ、アタシだってなるべく意識しないよう頑張ってるんだよ、つくし?」


「はい嘘。全然そんな感じしません。今日の春は特に私を煽るモード突入中です」


 言いながら、イチゴジャムのガラス瓶をゴロゴロ手で遊ばせるつくし。


 仕草が微妙に猫みたいだった。


 アタシは手を横に振る。


「嘘じゃないよ。本当のこと。つくしが変態で策士だから、アタシは困り果ててるの。せめて下着くらい自分で用意して欲しかったなぁ、って」


「変態は余計。言ってくれるのは『策士』だけでいいの」


「やっぱりわざとだったんだ……」


「それはそうですよ。じゃないと、春は恥ずかしがり屋で大切な部分をなかなか共有させてくれないでしょ? こういうイケイケな行為は必要なの」


「そろそろ警察に電話しなきゃいけないタイミングかな?」


「やめて。この状況で牢屋の中なんかに入ったら、私春不足で死んじゃう」


 気にするところそこなんだ……。


 思わず頬を引きつらせて、アタシはトーストを食べ切る。


 用意周到に、つくしが入れたての温かい紅茶を用意してくれた。


 これもまた美味しい。


「……まあ、離れ離れになるのだけはアタシも嫌だからね。なるべく一緒にいたいけど」


「いたいけど?」


「今度からお泊りする時は、ちゃんと着替えセット持って来てね? 次回もまたノーパン生活になっちゃうよ? 体冷えるよ?」


 アタシが言うと、つくしは「ほんとだよ」と不服そうな顔を作った。


「せっかくパンツまで春に貸してもらえると思ったのにな。残念。そこはどうしてもダメって言うんだから」


「ダメに決まってるでしょ? さすがにいくら何でも下はNG。ていうか、つくしも嫌なはずだよ? アタシとパンツの共有とか」


「いえいえ。人生のうちの願望の一つみたいなところありますんで」


 さすがは変態つくしさん。


 下卑た笑みを浮かべながら、長年の夢みたいな語り口調。


 アタシは「怖過ぎます」と一言呟いて、紅茶を飲み干した。


 飲み干したら、間髪入れずにつくしがコップへまたそれを注いでくる。


 そろそろ着替えたりしたいんだけど、……まあいいか。どうせつくしからは逃げられないんだし。


 諦めて、アタシは大人しく厚意を受け入れることにした。


「だけど、春? 私、何も自分の欲求を満たすためだけにこういうことしてるわけじゃないんだよ?」


「え。そうなの? びっくり」


 アタシがそう言うのを聞いて、つくしはわざとらしく嘆いてみせた。悲しいなぁ、と。


「私は私なりに色々考えてるの。こういうことをしたら、春の体が女の子に戻るかなぁ、女の子に戻るかなぁ、って。それこそ必死にね?」


 ……言い方だよね。


 手をわきわきさせて、けれど表情は真剣っぽく言うつくし。


 その様が、どこか変態感を助長させている感じだった。


 これ以上からかうようなことを言うと、逆に可哀想だから何も言わないでおくけど。


「う、うん。でも……どうなんだろ。つくしがアタシのパジャマを着たり、下着を着けることって、体の変化を起こしたりするのかな……?」


 アタシのぎこちない疑問符に、つくしはバン、とテーブルに手を突いて応えてきた。


「わからないの! それがわからないから、だからこそ私は何でもやってみようとしてるんだから!」


「は、はい……」


 思わず敬語になってしまう。謎の熱量に圧迫される。


「かつてのエジソンだってね、まだ見ない世紀の大発明をするために、こうして雑草の地を切り拓くような思いで色々やってたはずだよ? 今の私はエジソンなんだから。大切な春のために道を往くエジソンなの!」


「……へ、へぇ……」


 酔っ払ってるわけじゃないよね、つくし……?


「なので、それに春もちょっとは協力して!? 大人しく下着を私に提供するべき!」


「う、うん……?」


「恥ずかしいのが影響して、体に何か作用するかもでしょ!?」


「確……かに……?」


 一方的な論に押されかけるアタシだったけど、結局そこは何とか踏み留まり、下だけは貸さないことになった。


 こういう何気ないやり取り(?)を重ねつつ、アタシは直感で自分の体に何かが起こることを予感していたのだった。


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