ふと想像することがある。
つくしと別れる時が来たとして、それはいったいどんな状況で離れ離れになるのだろうか、と。
高校を卒業して別々の土地で暮らすことになった、なんていう程度だと、アタシたちはきっと別れるに至らない。
タイミングを合わせて定期的に会うだろうし、離れ離れになったせいで喧嘩をしたとしても、それはたぶん別れる原因にならない。
少なくとも、アタシからは別れようだなんて提案はしない。
つくしに別れたいって言われても、全力で引き留めたいと思ってるくらいだし。
とにかく、そんなことで別れたりはしない。
もっと他の理由になってくるはず。
アタシたちが何の関係もない二人になってしまうには。
重大で、深刻な悩みが付き纏ってくるような、重たいワケがきっかけになる。
「――それでね、先生はその子に最後『私はあなたのこと絶対に忘れないよ』って言っておいたの。そしたら、彼女は先生に何て言ったと思う?」
隅町先生の話を聞きながら、一人で別のことを考えていたアタシだけど、唐突な問いかけに思考がストップした。
というか、そもそも先生が話をしてくれている最中に自分の中で勝手に色々考えるって、結構失礼なことだ。
その考えている最中、アタシは隅町先生の話を全然ちゃんと聞いてないわけだし。
せっかくなんだから大人しく話に耳を傾けておけばいいのに。
心の中のもう一人の自分がそう言うけど、悪いアタシは『隅町先生が意味深な話をするから一人で色々考えてしまうんだ!』と主張し始める。
それは実際事実だけど、さすがに心の底からの本心として据える気は無い。
現にアタシの隣にいるつくしは、真面目に隅町先生の話を聞きながら会話のキャッチボールをしっかりこなしてる。
元々コミュ障なアタシは、その輪に微妙に入りきることができないでいた。
やっぱりつくしがいてくれてよかった。
つくしがいないと、所々会話が止まって気まずくなってしまう。
その気まずさだけは避けたい。どうにかしてでも。
「え~……何だろう? 『私も忘れないよ』とか涙ながらに返された、とかですか?」
つくしが軽く宙を見上げて答えると、隅町先生はクスッと笑って、指でバツ印を作った。
「ぶぶー。不正解。残念ながらそんな嬉しい回答は返ってこなかったのよ」
「え……」
ついアタシは小さく声を漏らしてしまう。
つくしと同じことを思っていて、それが正解だと推測していたから。
でも、実際はそうじゃないらしい。
先生の話を聞くに、二人が喧嘩らしい喧嘩をしているようでもなかったから、驚いてしまった。
「実際に返って来た言葉、それはね? 『私はあなたのこと、頑張って忘れる』だった」
苦笑交じりで、どこか悲しげな言い方。
昔の傷を自らなぞる隅町先生を見て、アタシは自分のことのように痛みを覚えた。
胸の奥。心臓の皮をゆっくりと剥がされていくような、そんな痛み。
「頑張って忘れるっていうのは……その人……ヒトミさんは、隅町先生と付き合っていたことを良く思っていなかった……ということなんですかね?」
疑問符を浮かべて、すぐに自分で「でもそれだけじゃないか」と呟くつくし。
そうだと思う。
何も理由はそれだけじゃない。
ヒトミさんが隅町先生とのお付き合いにマイナス感情を抱いていた、っていう可能性ももちろん否定はできないけど。
「……どうなのかしらね。卒業式の日の別れ際、最後に言われちゃったから、時間を掛けながらその辺りのことを深く追求することもできなかった。もしかしたら、本当は私も嫌われていたのかもしれない。女子同士なのに鬱陶しいなぁとか、ね」
苦笑いのままの隅町先生。
彼女のその表情を見るだけで、アタシは胸の奥が痛くなる。
やめて、なんて言えないけど、どうして先生がこんな思いをしなくちゃいけないんだろう、とは思ってしまった。
ただ、好きな人を想っているだけなのに。
「でも、たぶん。これは恐らくの話なんだけど」
「本当は嫌われてるとかそんなことなかったってオチですよね……?」
つくしが前のめりになって問いかけるけど、少し気が早い。
先生はクスッと笑んで、曖昧な言葉を漏らしてから、決断するようにして頷いた。
「私は嫌われてるわけじゃなかった……と思う。訊きはしたから。『近くにずっといて嫌だった?』って」
同じタイミングで頷くつくしとアタシ。
隅町先生は話を続けてくれる。
「その問いかけに対して、彼女は……ヒトミはね? 私にこう返してくれたの。『そんなこと思うわけないし、私は確かにあなたのことが好きだった』なんて風に」
傍にいたつくしが歓喜の瞳で目の前にいる先生を見つめている。
アタシもそれは同じだった。
――よかった。
心の底からそう思う。
隅町先生は、少し声を震わせながら、だけど幸せそうにはにかんでいた。
初めて見るかもしれない。
大人な彼女が恋をするような……つくしと同じくらい純粋に嬉しそうな表情をしているところ。
「でもね、でもね……! やっぱり人は誰しも心の奥底でどんなことを考えているかわからないから、ヒトミはそう言ってくれたとしても、それが絶対ってことでもないと思うの……! 先生、彼女にいつもべったりだったから……!」
「あははっ。何でそこで後ろ向きになるんですか。もうそれは全部信じちゃっていいですよ。ヒトミさんに想われてたんだーって」
つくしが笑いながら言って、アタシもそれに同調しながら頷いた。
間違いない。
ヒトミさんのこのセリフに嘘なんて無いと思う。
「そうかしら……? うぅん……」
「そうですそうです。あ、でも隅町先生? それはいいとして、ヒトミさんはどうしてそんなことを先生に言ったのに別れるって選択をしたんですか? その辺りのことも訊いてます?」
質問を続けるつくし。
それはいいとして、という言い方がとても失礼な気がしたけど、隅町先生はそこのところを細かく気にせずに頷いてくれた。ちゃんと訊いた、と。
「結局のところ、ヒトミはとても優しかったの。あの子、最後の最後まで私のことを考えてくれていたから」
「先生のことを考えてくれていた……ですか?」
つい疑問符を浮かべてしまうアタシ。
隅町先生のことを考えてくれていたから別れた。
それは少し繋がらない気もするけど、先生はそのまま「そうなの」と話を続ける。
アタシとつくしは引き続き耳を傾けた。
「確かに私とヒトミは好き合っていた。けれど、同性での恋を続けるには、それ相応の勇気と決断が必要だし、何よりも反対する人たちを押し退ける強さがいるの。私の場合は、否定されることを恐れて両親に何も言えなかった。恋人は同じ女の子です、なんてね」
苦笑いを復活させる隅町先生。
これにはアタシも少し同意したかった。
同性での恋を周りに認めてもらうのは難しい。
「嫌な話だけれど、人っていうのはね、大人になるにつれて自分のためだけの幸せを追求していくことができなくなるの。誰かのために頑張っていかないといけなくなる」
「誰かのために」
オウム返しのように呟くアタシの頭の中では、気難しそうにするお母さんの姿があった。
――体裁を守る。と言えば聞こえは悪いかもしれないけど。
話としてはそういうことだった。
恋なんて異性同士でするのが当然。
一昔前の人たちにはこれが常識だった。
隅町先生が言いたいのは、つまりこういうことだと思う。
ヒトミさんは、自分の幸せ以外、つまり誰かの幸せのために自らを殺した。
好きな人である隅町先生への想いを無理やり捨ててまでして。
「ヒトミのお父さんも、お母さんも、厳格な人だった。だからこそ、二人の期待に応えるために、あの子は私と袂を分かつ決断をしたのよ。そう。きっとそうなの」
隅町先生の語調は悲し気に、けれど過去にできた傷をもう一度慰めるような、そんな表情をしていた。