好きな人への想いを殺して生きていく。
それは、アタシが想像しているよりもかなり苦しいことで、誰でもできるようなことじゃないと思う。
もしも自分がそれをしなければいけない運命にあったとしたなら、いったいどうやって折り合いをつけて生きていくんだろう。
想像ができないし、何より先に心が壊れてしまうかもしれない。
まともでいられる自信がなかった。
毎日、朝起きた時や、夜の時間に好きな人のことを思い出しては落ち込んでいるはず。
その落ち込みの積み重ねが心を壊してしまう。
無理だ。
アタシには無理。
好きな人への想いを殺さないでいい選択。
それを選んでしまいそうだし、そうするために何だってやってしまいそう。
たとえ自分を傷付けることであっても、誰かを傷付けることになったとしても。
「はぁぁ……よく話したわねぇ~。気付けば外も真っ暗。時間もだいぶ遅くなっちゃってるわ。ごめんなさいね、先生の長話に今日も付き合わせちゃって」
伸びをしながら謝ってくる隅町先生。
アタシとつくしは、それを聞いてすぐに手を横に振った。
「別に謝られるようなことじゃないですし、そもそも先生を誘ったのは私なんですから。全然大丈夫です」
つくしがピースしながら先生に言う。
アタシはそれに同意するようにうんうん頷くだけのいつものスタイル。
変わらない二人の姿。
隅町先生はそんなアタシたちを見て、クスッと笑った。
「あらそう? 確かに誘ってくれたのはあなたたち二人だけれど、長々と自分の話をしていたのは私なのよ? それで時間もこれくらいになったのに」
「いえ。そこは大丈夫です。むしろ色々な話が聞けて嬉しかったので」
つくしじゃなくて、ここはアタシが先生に返した。
昔好きだった人との話が一番気になっていたのはたぶんアタシだから。
つくしも何か言葉を返そうとしていたけど、それを軽く遮るような形になってしまった。
アタシがそう言ってから、つくしも自分の言いたかったであろうことを先生に伝える。
「私も春と同じ考えです。今日は隅町先生に色々お話をしてもらって、とても有意義でした。むしろ私たちの方こそすみません、です。授業の準備とか、補習の仕事とか、色々あったかもしれないのに」
つくしの言ったことを受けて、隅町先生は「いいのいいの」と手をひらひら横に振る。
「確かに色々業務もあるけれど、先生はこうして生徒と色々お話がしたいから教師という職業を選んだの。だから、今こうしてあなたたちと会話できてすごく幸せ。ありがとうね、本当に」
謝る必要も無いけど、感謝する必要も無いと思ってしまった。
先生は本当にこういうところが律儀。
アタシも真似していかないと、という気持ちにさせられる。こういう大人になりたい。
「でも、色々話したけれど、結局私のお願いは変わらないわ。先川さんと姫路さん。あなたたち二人がいつまでもその仲の良さを続けていけるよう、先生は願ってる。どうかそのための努力も怠らないで?」
ね? と。
念を押すようにしてアタシたちへ言う隅町先生。
首を横に振るなんてこと、あるはずがなかった。
二人して頷いて、互いに軽く目と目を合わせる。
つくしがにこりと微笑んできたから、アタシも笑んで返した。
こうしていつも一緒にいるはずのつくしと離れ離れになるなんて想像がつかない。
進路についてはまだ何も考えていないけど、それでもきっとアタシたちは同じところを目指すんだと思う。
大学にしろ、専門学校にしろ。
就職は……よくわからないけど。
でも、仮に働くことになったとしても、休日の度に会ってるはず。遠くの場所で離れて暮らす、なんてことは無いと思う。たぶん。
「それは無いです。あり得ない……なんて強気なことは言えないですけど、アタシはそんな未来なんてあって欲しくないと思ってる」
アタシが言うと、少し間を空けてから、つくしが傍でアタシの手にこっそり触れてきた。
反射的につくしの方を見つめる。
目は合わず、アタシの好きな人は、隅町先生のことをジッと見つめながら言葉を紡いだ。
「私も同じ。春と離れ離れになるとか、別れるとか、そんな未来は考えられないです。あり得ない、って強気なことが言えないのは、要するにたまには喧嘩もするかもしれないけど、っていう意味が含まれているのかもしれません。春はどこか慎重なところがありますから」
「慎重かぁ。それは確かに」
隅町先生がいたずらな表情でアタシを見てくる。
そう。たぶん、つくしに比べたらアタシは慎重派。
というか、そもそもつくしが慎重じゃ無さ過ぎる。
そのくせ色々と段取りや要領がつくしは良くて、いつもアタシ以上に物事をこなしてしまうのだ。
ちょっと嫉妬する。そういう能力の高さ。
「隅町先生。私は宣言します。春と離れ離れになったり、別れたりすることなんて絶対にあり得ません。絶対です。絶対、私は春の傍にい続ける」
あまりにも強く言い切ってしまうつくし。
自分とはまったく逆の、自身に満ち溢れた姿。
けど、その堂々とした姿はかっこよくもあった。
アタシの好きなつくしだ。
もっと慎重になればいいのに、なんて思うものの、それでもアタシはこんなつくしをかっこいいと感じてしまう。
「……ふんふん。なるほど。そうなのねぇ」
つくしを見つめていると、隅町先生の視線を感じた。
見れば、意味深な表情を浮かべてこっちを見やってきている。
絶対に「見事に惚れてるわね」とか思われてそう。
恥ずかしくなって、つい当たり強めに隅町先生へ問いかけてしまう。何でニヤニヤしながらアタシを見るんですか、と。
顔の熱を必死に下げようとして。
「うふふっ。ごめんなさい。つい微笑ましくてね。でも、二人そろってそうやって言ってくれるのなら、先生がもう気にすることは何も無いのかもしれないわね」
「はい。大丈夫です。何があっても、私と春の関係はそれこそ永遠なので」
言って、アタシの腕を抱いてくるつくし。
――何があっても永遠。
その言葉は、捉えようによっては『重い』と思われるものなのかもしれない。
でも、アタシからすれば心底安心するもので、内心安堵していた。
これから先、アタシがまたおかしな変化をしてしまっても、つくしは、つくしだけはアタシに確かな想いを抱き続けてくれるのかもしれない。
そんな風に思えたから。
「改めて、今日は本当に先生とお話してくれてありがとう。よかったら、またこうしてお誘いしてくれるかしら? もちろん、困ったことがあれば相談にも乗るからね」
隅町先生がそう言ってくれて、アタシたち二人は同じように頷く。
窓の外は、昨日アタシが一人で先生と一緒に話していた時よりも暗くて、けれど部屋の灯りが強い分綺麗に映って見えるのだった。
●〇●〇●〇●
翌日、アタシは言われた通り数学Aの補習プリントを隅町先生の元へ提出しに行った。
この時はさすがに一人。つくしの付き添いは無い。
プリントを提出するだけだし、特段大切な会話をするわけでもない。
職員室へ入り、先生のデスクまで足を運ぶ。
「隅町先生。お忙しいところすみません。これ、補習のプリントです。よろしくお願いします」
決まり決まった言葉でアタシが話し掛けると、付けていたメガネを外しながら先生はアタシの相手をしてくれる。
「あら、先川さんいらっしゃい。補習プリント? お疲れ様。なら、もらうわね」
プリントを受け取ってくれて、デスクの端へ丁寧に置く隅町先生。
それをしながら、彼女はいたずらに顔を近付けながら問いかけてきた。
「補習プリントはいいんだけれどね、先川さん」
「……?」
「昨日あの後、姫路さんとは一緒に帰ったの?」
「それは……はい。暗いし、一緒に二人で帰りました」
「手は繋いだ? 手は繋いだ?」
目をキラキラさせながら疑問符を浮かべてくる先生を見て、アタシは苦笑いしながら頷くのだった。
これは、今後もこういう質問をされ続けるんだろうな、と。そんなことを考えながら。