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第88話 小さいもの

 何だかんだ時間が過ぎていくのは早いもので、アタシたちは補習の最終日を迎えた。


 今日が終われば、後はもう確認テストを受けて自由の身になれる。もちろん、そのテストで合格点を超えたらの話だけど。


「――二人とも、勉強してる? 明日確認テストじゃん? 俺らマジやべーの」


 こうやって、立川君率いる木下組(とアタシは心の中でそう呼んでる)と関わらないといけないことも無くなるわけで。


 とても気が楽になるし、何よりもつくしの様子を心配しなくて済む。


 アタシは、いつも立川君たちが話し掛けてくる時、つくしのことが心配になるから。


 本来のリーダー格である木下君は、この一週間直接アタシたちに話し掛けてくることは無かった。


 でも、その胸の内で何を考えているのかくらい想像はつく。


 アタシたちが思ってるように、彼もまた『気まずい』とか、『どうしよう』とか、そういう困惑とやり切れない思いを抱えながらいるんだろう。


 そんな彼の姿を見るのも、アタシは個人的に辛い部分があった。


 敵……とまで言い切るのも同級生に対して失礼かもしれないけど、それくらいの表現をしたくなる人に対して何で同情してるんだ、と思われるかもしれない。


 アタシ自身自分でそう思う。


 そう思うんだけど、しおらしくなってる彼が必要以上に反省してるように見えて、それをいつまでも許さない自分はどうなんだろう、みたいな、そんな中途半端な感情が湧き出て止まらないのだ。


 当然、つくしは渡さないし、もう指一本も触れさせない。


 けど、補習も最後だし、一度くらい話がしたかった。


 今、どういう思いでいるのか。


 問い詰める感じじゃなくて、対等に友達同士が会話するみたいに、アタシは木下君と二人きりで話したい。


 つくしのいないところで。


「――それでは皆さん席についてください。最後の補習を始めますよ」


 教室に入って来て、相変わらずにこやかな様子でアタシたち補習受講組へそう言ってくる広重先生。


 日本史の授業でこれからもお世話にはなるけど、こうして一週間みっちり勉強を教えてもらうのは今日で最後……かもしれない。


 補習でも、授業中の優しい語り口が好きだった。


 たまに眠たくなるけど、それが癒しでもある。


 若い時からこういう感じだったのかな。人の性格ってそこまで変わらないと思うし。


「ほら、広重先生もああ言ってるよ? そろそろ席に戻ったら?」


 冷ややかにつくしが言い放ち、立川君は微妙な苦笑いを浮かべる。


 大抵の人はこう言われたらすぐに自分の場所へ戻っていくと思うんだけど、彼は今日までずっとめげずにアタシたちへ話し掛け続けていた人だ。


 こんなところで折れたりはしない。


「戻る戻る。戻るんだけどさ、今日の補習後、ちょっと俺たちに時間くれないかな?」


 立川君と、近藤君がお願いするように言ってくる。


 さっきからちょっとへりくだり過ぎてるようにも思うけど、アタシの隣にいるつくしはずっとツンケンしてるから、そのせいでもあるのかもしれない。


 心の中では強気なのに、アタシはいつもと変わらないどっちつかずの反応ばかり。


 彼らと同じように愛想笑いを繰り返していた。


 嫌なものが嫌だと言えるつくしを見習わないといけない。


 そう思うけど、やっぱり人は簡単に変われない。


 性別は一瞬で変化したくせに。


「……それ、本気で言ってるの?」


 ため息交じりに言うつくし。


 そんなアタシの恋人を見て、立川君も近藤君もわかりやすく冷や汗を浮かべていた。後ろにいた木下君も、彼ら二人を止めようとしてる。間島君はアタシみたいにどっちつかずの反応。


「本気だよ。明日テスト本番なのに何言ってんだ、って思われてるかもしれないけど、本当にラストだからさ」


 本当にラスト。


 この言葉にはどこか力がこもっていた。


 確かに、今こうして強制的に顔を合わせる機会を失えば、これから先はもっと誘いづらくなる。


 もっとも、彼らの押しの強さを考えればそうでもない気がするんだけど、とにかく皆で勢揃いしてる今はたぶんレア。それを全員がわかっていた。立川君と近藤君を止めようとしてる木下君だって理解してるはず。


 でも、つくしは――


「……別にラストでも何でもないよね? 私たち同じ学年だし、クラスが違っても廊下とかですれ違う気がするけど?」


「それでも、こうして皆でいるのは最後かもしれない。あと、今後俺たちが姫路さんや先川さんのことを誘っても、乗ってくれる可能性はゼロに近いだろ? だから今なんだ」


「だから今、って。今誘われても私は断る。いつ誘われても関係ない」


 ハッキリとつくしはそう言い切った。


 後ろにいた木下君は、止めようとしながらもどこか寂しそうな、現実を受け止めたような、そんな複雑な表情を浮かべてる。


 誰かの力がいる。


 この状況をちゃんと前に進めるための誰かの力が。


 一人でそれを感じたアタシは、大方他の人たちが自分の席に着いた中、それでもここにいる立川君や木下君たちへ向かって切り出した。


「あの……」と、勇気を振り絞った小さい声で。


「アタシは……いいと思う。今日、補習が終わった後、立川君や近藤君たちとどこかへ行くの」


 反射的につくしが「え?」と疑問符を浮かべた。


 何を言っているのか、というそんな表情で、こっちをジッと見つめてくる。


 アタシはその視線を感じながら、それでも語りをやめなかった。


 広重先生が「席に着いて」とアタシたちのことを名指して注意してくるけど、ギリギリのところで伝えたいことを一気に短く言葉にした。


「最後くらい、アタシたちは自分の思いをちゃんと口にするべきだと思うから」






●〇●〇●〇●






「――それで、この状況は君が意図的に作り出したもの、ということでいいのかな?」


 流れるBGM、どこからか聴こえてくる誰かの歌声、眩しいくらいにカラフルなタイル、目の前にあるドリンクバーの機械、そして木下君。


 立川君と近藤君のお願いを聞き入れたアタシは、つくしも、木下君も、間島君だって引き連れて、カラオケボックスに来ていた。


 あまりにもベタ過ぎる遊び場所だけど、夕方五時くらいから満足に遊べて、隙を見て木下君と二人きりになれる所を、アタシはここ以外に知らなかった。


 運動公園とかでもよかったのかもしれないけど、あそこは遊び場所として適当じゃない気がする。


 もっとこう、信頼できる誰かと、少数で行くべき場所な気がした。このメンバーではいけないし、行ったところでアタシのしたかったことはできない。木下君と二人きりで話をするということは。


「……まあ、意図的と言えば意図的……です。アタシはあなたと二人きりで話したかった」


 正直な思いを吐露する。


 セリフから見れば恥ずかしいものだけど、今はもうそんなことを考えていられない、と自分でもちゃんとわかってた。ハッキリと言葉にする。


「……そっか。なるほどね。色々訊きたいことでもあるんだ」


「……茶化さないんだね。『俺に惚れた?』くらい言われるのかと思ってた」


 毒突くように言うアタシだけど、セリフを聞いた彼は口元を軽く抑えるようにして小さく笑った。


「そんなこと今さら言うわけないし、君の本当の想いくらい知ってるからね。不必要に茶化したりはしないよ」


「さすが。空気読みの天才」


「それで皆から慕ってもらえてるところあるしね」


「自分で言うんだ」


「そりゃあもう。ある程度の冗談は必要だよ。たとえ傷心中でも」


 傷心中。


 その言葉は確かにアタシの中で響いた。


 小さいものではあったけど。


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