「――それで、訊きたいこととか、話したいことがあるから、俺とこうして二人きりになるような状況を作ったんだよね?」
それはいったいどういうことなのか。
問い詰めてくるような感じではなかった。
アタシたちのわだかまりはもうほとんど解決していて、残っているのは気まずさだけ。
ただ、その気まずさだけがやっぱり大きくて、今の今までちゃんと会話することができなかった。
木下君もそれを感じているからこそ、補習の間ずっとアタシとつくしへハッキリ話し掛けてこなかったのだ。
気まずさを感じながら関係を終わらせるのも別にいい。
でも、やっぱりそれはどことなく気持ち悪かったから。
どっちつかずのままじゃなくて、言いたいことを言って、それで終わりにしたい。
アタシの一方的な願望だけでこんな状況を作り出したのは彼に対して申し訳ないけど、それでも話くらいはしたかった。
ドリンクをコップに注ぎながら、アタシはどことなく挙動不審に言葉を返した。
「それは……そう。話したいし、もう少しだけ聞かせて欲しかった。木下君の今の気持ち」
アタシがそう言ったところで、彼は苦笑いする。
何もしないままっていうのも少し手持ち無沙汰だったんだろう。
アタシの隣にあるもう一つのドリンクサーバー。
そこで彼はコップにコーラを注ぎ始める。
注ぎ始めながら、ぽつりと返してくれた。
「意地悪な願望だね。大人しくしていたつもりなんだけど、まだこれ以上俺をいじめないと気が済まないのかい?」
「いじめるとか、そんなつもりはまったくない。そうじゃなくて、単純に心の底から気になっているだけ」
「それが意地悪だって言ってるんだけど……まあ、あまり自覚は無いってことなのかな? 案外人の気持ちに鈍感なんだね。先川さんって」
怒られたような、そんな気分にさせられた。
本当に木下君を蔑みたいわけじゃないのに、その思いがちゃんと伝わらない。
苦しい。
けど、そこでへこたれたらダメだ。
何のためにこの状況を作り出したのかわからない。全部無意味になる。
「……鈍感でも何でもいいよ。とにかく、アタシはあなたとちゃんと二人でお話がしたい。どう思ってるのか、本音を知りたい」
「姫路さんはここにいないけど?」
「いなくても構わない。というか、今ここにつくしはいてくれなくてもいい。アタシとあなたさえいれば」
「そのセリフ、絶交モノだよ?」
「知ってる。だから、つくしのいない場所でちゃんと言ってる」
「俺が彼女へ伝える可能性もゼロじゃない」
「だとしたら、ちゃんと弁解するから大丈夫」
「その弁解、彼女は聞き入れてくれるんだね」
「聞き入れてくれる。今さらそんなことで仲違いなんてしない」
ある程度通じ合っているから。
そう言葉にすることはない。
アタシとつくしの関係は、誰も知らないところで醸造されていく。
深くて濃い関係をゆっくりと作り上げていっている。
「……そっか。そうなんだ」
感慨深げに宙を見上げて言う木下君。
そのまま黙り込むのかと思いきや、別にそんなことも無かった。
彼は、落ち込んでいるわけじゃない、とアピールするように続けてくる。
「君たちの関係にはやっぱり敵わないな。それこそ半端なちょっかいを掛けたところで何も変化なんて無い。俺のやっていたことは全部悪手だったわけだ。それも気付くのが遅いけどね。今さら感だよ」
「変化が無いのは、たぶん木下君がつくしにキスするより前に大事なことがあったからだと思う」
「大事なこと……?」
小首を傾げる木下君。
つくしとした大事なこと。
それは忘れるはずもないこと。
「直接言ってもらってたの。つくしから、一番大切なのはアタシだ、って」
「その直後に俺が彼女へキスしたんだ?」
「そう。でも、ちゃんとそう言ってもらえてたから、アタシはそこまで心乱されたりしなかった」
明らかな嘘。
木下君もそれを見抜いていて、苦笑いを浮かべていた。すごく何か言いたさそう。
「……何?」
アタシが少しばかり圧を込めながら疑問符を浮かべると、彼は慌てて手を横に振った。
別に何でもない、と。
でも、何でもないことはない。
確実に何かがあるし、その何かを予想は付けられる。
ただ、そのことについて追及はしなかった。アタシが悟っているだけでいい。
「まあ、とにかく今だよね。素直に君の願望を俺が聞き入れるなら、今の心境がどんなものか教えないといけないわけだ」」
「別に義務ってわけでもないけど……一応教えて欲しいな、って」
「一応、ね」
ややトゲのある言い方だった。
アタシは鈍感なんだけど、それでも感じた。微かな嫌味が存在している、と。
「了解。いいよ。教えてあげる。今の俺の心境」
「うん」
「すごく気まずい」
あまりにもハッキリと言い切る彼。
それはそうだ、となる。
そこは知ってる。
アタシが予想していたのもそうだけど、何よりもアタシ自身がそう思っていたから。
「あと、さすがにもう姫路さんのことを追いかけようとは思わない。最初は君のことを蹴落としてでも、と思っていたが、どうもそんな考えは彼女には通用しない。それがちゃんとわかったから」
「……そこは……わかっていただいてありがとうございます」
「あははっ。何で敬語? しかも突然」
冗談っぽくツッコんでくる木下君。
アタシは一言返す。「つくしのことなので」とだけ。
「ふふっ。そういうところだよね。敵わない、と思い知らされるケースってのは」
「何となくわかる。たぶん、第三者から見たらちょっとうざいかもしれない」
「あっはは! 何だ! そこまで客観的に物事が見えてるの? すごいね、先川さんは! ははははっ!」
木下君の笑い声が大きくなる。
ただでさえ色んなBGMがかかっていて騒がしいカラオケボックスの中なのに、そこでも一際ちゃんと聴こえた。
彼の笑い声が。
それくらい大きかったのだ。
「けど、正解。ちょっとうざい。リア充爆発しろ、ってなる」
「そんな言葉、木下君から聞けるとは思っても無かった。意外」
「何が意外なの。全然言うよ。もうほんと、余裕でね」
言って、木下君は一つ伸びをした。
伸びをしながら話を続ける。
「たぶん、君は俺のことを過大評価し過ぎてる節がある。何が原因なのかはハッキリ認知できていないけど、それでも俺はそこまで大した人間でもない」
「友達が多くて、人望があって、人気もある。アタシからすれば圧倒的な陽キャラ。勝ち組男子。交流することなんてほとんどない存在」
――それがあなた。
彼。木下君。
ただ、こう感じているのはたぶんアタシだけじゃないはず。
同じ学校の同じ学年、同じ階に教室がある人たちは、ほとんど皆そう思っているんじゃないか。
それくらい木下君は皆から好かれている。
アタシが大きく見てしまうのも無理はない。
絶対に逆立ちしたって敵わない存在なのだ。
――木下君という男の子は。
「……まあ、そこは褒めてくれてありがとう。ありがとうなんだけど、考えは改めて欲しいかな? そんなに大した人間でもない、ってね」
「すぐには無理そう。もっとダサい所見せてくれないと」
ダサい所か、と彼は考え込む仕草。
そして、しばらく悩み、やがて答えを出してくれた。
「じゃあ、それはアレかな? 好きだった女の子の前で自分の大好きな電波ソングを熱唱する、とか?」
笑ってしまう。
どうしてそうなるの、と。
彼は真剣に「いや」と呟き、首を横に振った。
「なぜかこういう場で電波ソングを歌うと女の子に引かれるんだ。俺の大好きな曲で間違いないんだけどさ」
既にもうその発言がどことなくダサいかもしれない。
この部分だけつくしに聞かせたかったな、と考えつつ、アタシは満杯になってこぼれそうなオレンジジュースをその場で啜った。