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第91話 たとえば君のお母さん

「――俺はその考え、違うと思うけどな」


 真冬が目前に迫っている晩秋の夜。


 暖かい飲み物を買いに行ってくれているつくしたちをよそに、アタシと木下君は二人きりで会話していた。


「珍しいね。木下君がそういうこと言うなんて」


 まさか否定されるとは思ってなかった。


 否定なんてしないで、曖昧な返しで確かな答えを誤魔化されるものかとばかり考えていたのに、彼はアタシの予想を裏切って、ハッキリと否定してきたのだ。


「別に俺はイエスマンってわけでもないしね。違うことには違うってハッキリ言う。それがたとえ君でも、姫路さんであったとしても」


 言い切る彼を三秒ほどジッと見つめた。


 虚空を眺めていた木下君は、アタシに見つめられていることにすぐ気付き、視線を合わせてくる。


 それに合わせて、アタシはジト目を作った。


「それは嘘だよね? たぶん、つくし相手ならそんな否定とかできないはず」


「ううん。できる。これは確かに言い切れる」


「口でなら何とでも言えるよ」


「そんな強がる場面でもないでしょ。嘘なんてつかないし、紛れもなく本当のことだよ」


 別にそれはどっちでもいいことなのに。


 アタシはくだらない絡み方をしてしまう。


 否定されたことに少し驚いた。


 驚いて、続く言葉に迷った。だから、くだらなくて生産性の無い会話を繰り広げてしまうのだ。


 木下君がつくしのことを否定できない、なんて。


「でも、どうして違うと思ったの? これはアタシの価値観の話であって、正解も間違いも無いと思うんだけど?」


「まあ、極論はね?」


「極論じゃなくても、だと思うけど」


「それは無いね。極論で正解も間違いも無い。普通にしていたら、それはどう考えても間違いで、訂正されるべき考え方だよ」


「アタシのお母さんを否定するんだ?」


「君のお母さんの考え方なんだね」


 その言葉に他意は無い。


 無いんだけど、見つめてくる彼の瞳には「残念な考え方だ」みたいな呆れの色が浮かんでいるように見えた。


 お母さんをバカにされたようで少しムカムカする。


「お母さんのこと、好きなんだ? そこまで影響を受けてるってことは」


「……どうだろ? アタシじゃなかったら嫌いだったかもしれない。そんなお母さんだし」


「でも、君は君だ。嫌いでは無いんだね」


 無言のままに頷く。


 正直なところ、よくわからなかった。


 切っても切り離せない関係。それがお母さんであり、親だから。


 この感情は義務感のような気もして、果たして『嫌いではない』という表現に足るものなのか、と。疑問が残った。


「話、逸れ過ぎだと思う。本題に戻ろう?」


「本題は……えっと」


「アタシの考えが間違ってるって話」


「あぁ」


 何を忘れてるんだ、この人は。


 自分で否定してきたくせに。


「その理由だよね。間違ってるって断定づけた理由」


「うん」


「そこはハッキリしてるよ。君がそういう自分の考え方のせいでひどく苦しんでるように見えて仕方がないから」


「……え?」


 どういうこと?


 頭上に思わず疑問符を浮かべさせてしまう。


 苦しんでるとか、そんなこと全然無い。


 ……って、言い切りたかったけど、徐々にその思いも不安定になってきた。


 微妙に心当たりがあったから。


 自分が苦しんでるってこと。


「別にさ、誰に対してもそうしたらいいんじゃないかってわけじゃない。でも、好きな人くらいには、自分の気持ちを赤裸々に明かしてもいいんじゃないかな?」


「……へ?」


「まだ君は、姫路さん相手にも自分の思いを全部伝えきれていない。苦しいことは苦しい。辛いことは辛い。して欲しいことはして欲しいって、赤裸々にぶつけてみたらどうかな?」


 ――そうしたら。


「抱えている問題も、きっと解決……とまではいかなくても、どうでもよくなるくらいには改善するんじゃない?」


「……」


「要するにアレだ。物理的な変化は無いけど、内面的な変化は訪れる。それで世界は幸せになっていかないか、って考え方なんだけど」


 そう言って、木下君は頭を触りながら苦笑い。


 彼の言いたいことのすべてがわかったわけじゃない。


 でも、何となくアタシは自分の痛い所を突かれている自覚があった。


「変わらないものを変えようとするより、それを認めたらどうか、ってこと?」


「そういうことになる。残酷かもしれないけど」


「すっごく残酷。木下君がアタシの立場だったら、本当にそんなことできるのって思う」


「さあ? どうだろ? できないかもしれないし、頑張ってできるように努力したりするのかもね」


 これもまた苦笑いのまま言っていた。


 捉え方によってはおちょくっているようにも見えなくはない。


 けど、同時に彼がふざけているようにも見えなくて。


 アタシは、木下君の無責任な心遣いをとりあえず受け取っておくことにした。


 本当に、とりあえず。


「……やっぱり、アタシはあなたのことを好きになれないかもしれない」


「……うん。それはもう俺だってわかってるつもり。そもそも、好きな人を奪おうとした人間だもんね。好きになれって言う方が無理ある」


「今こうして喋ってるのは、補習中、ずっと申し訳なさそうにしてて可哀想だったから。本当はつくしに話し掛けたかったんだろうけど」


 アタシが言うと、彼は少し間を空けて、「いや」と首を横に振った。


「姫路さんには話し掛けたいって願望なんてもう無い。門前払いを食らうだろうし」


「嘘ばっかり」


「嘘じゃないよ。ていうか、俺が話し掛けたかったのは君なんだ。先川さん」


 はい?


 と、素で疑問符を浮かべる。


 何でアタシ?


「君に話し掛けて、ずっと言いたかった。もっと言いたいことを言うべきだよ、って」


「それはアタシだって自覚してるし、少し前につくしにも言った。言いたいこと言うね、みたいに」


「だったらそれはまだ足りていないよ。もっとだ。もっと素直になって、彼女へ色々話してみるべきだと思う」


「……」


「というか、それは姫路さんに対してだけじゃないな。好きな人に対してだから、別の人にも言えるかも。


 ――例えば、君のお母さんとか。


 なんて、さりげなく、きまぐれのように彼は言った。


 どこまでこの人がアタシのことを見透かしているのかはわからない。


 でも、さすがだと思わさせられる。


 人のことをよく見ているから人気者なんだ。


 気が利くし、相手にどういう言葉を掛けたらいいのか、それをよく熟知している。


 アタシには無い才能。


 素直に凄いと思った。


 ここまでアタシのことを見ていたなんて、と。


「っと、色々話してたらそろそろあいつらも戻って来そうだね。普通の会話に戻そうか」


「……今の、普通の会話じゃなかったんだ」


 そりゃね、と木下君。


「君の深い所を穿つように話していたから」


 冗談っぽく、親指を突き上げてグッドサインを作る彼。


 笑う顔は、夜なのに一際輝いているように見えた。


「……強いね、木下君は」


「ん? 今、何て言った?」


 問いかけられて、アタシは何でもないと首を横に振る。


 そんなことはないだろう、としつこく問い詰めてくる彼だけど、アタシは夜空を見上げて木下君のことを無視した。


 少し悔しい思いもあった。


 まるでアタシのことを全部わかったように色々言われて、アタシはそれをいいアドバイスだと心の奥底で感じ取っていたから。


 ――素直に何でも、か。


 それをつくしだけじゃなくて、お母さんにも。


 新しい角度の意見で、アタシはなぜか自分がすごく強くなっているような、そんな錯覚に陥っていたのだった。


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