年末年始を迎える前に、アタシとつくしはお母さんの元へ行きたい。
そう提案して、最初はすぐに断られると思ってた。
あまりにも唐突だし、アタシもお母さんの予定なんてまるで意に介さないでお願いしたから、何かしらの理由でそれは叶わないと考えていたのだ。
でも、結論から言うと、アタシの願いは通った。
何ならお泊りも可能で、アタシとつくしは年末年始前にお母さんと過ごすことができるようになったのだ。
「――それ、本当なの? 本当に春のお母さん、オーケー出してくれたんだ?」
朝。一限が始まる前の廊下にて。
教科書を用意しようとしているアタシに、つくしはそう言ってきた。本当なのか、と。
「うん。すごくあっさり大丈夫、って。お泊りがいけることだってアタシからじゃなくて、お母さんから提案してきた。日帰りじゃ大変だろうから、って言ってくれて」
つくしは口元を抑えて、割と本気で驚いていた。
「えー」と。
廊下にそこそこの声が響く。
通りすがった男子がこっちをチラッと見てくるくらいだ。
「けど、あっさりっていうのもなんか引っかかるね。理由とか聞かれなかった? どうして来る日程早めるの、とか」
「それがびっくりするくらい何も。しかもどことなくお母さん、こういう展開になることを望んでたみたいな反応で……」
「え!?」
また一際大きい声。
さすがにアタシは恥ずかしくなって、続く言葉を話す前につくしの口元に手をやった。
「つくし。少しだけ声のボリューム抑えて? びっくりするのはわかるけど」
顔も近寄せ、囁くように言うと、つくしは少しだけ頬を朱に染めて頷いてくれる。
「ごめん。さすがに調子に乗った」
なんて言って。
別に調子には乗ってないと思う。
単純に驚いただけだと思うから。
「アタシが友達を連れて行くの楽しみだったんだって。色々びっくりなんだけど、これをちゃんと電話越しに伝えてくれたのが何よりも驚きだったの。こんなこと、お母さんアタシに一度も言ってくれたことなかったから」
「あのクールそうな春のお母さんだもんね……。それ、とんでもないことだと思う……」
「一応、一人じゃなくていいとも言われた。つくしの他にも友達がいるなら、その子たちも連れて来ていいって」
「え。春、浮気?」
どうしてそうなるの。
思ったことがすぐに顔に出て、何なら言葉としても出てた。
呆れるような表情に勝手になり、アタシはため息をつく。
けど、つくしもジト目だ。
何とも言えない表情で、「青宮君とかいるし」なんて言ってくる。
「青宮君はこの際別だよ。元々彼を連れて行くつもりなんてなかったし、青宮君だって女子ばっかの家に泊まるのなんて抵抗あるでしょ」
「春は今、男子だし」
「それ禁句。心はちゃんと元のアタシに戻ったし。体だけだから」
「すみません。失言でした」
ぺこり、と頭を下げるつくし。
でも、それは反省なんてしてる風には見えなくて、次の瞬間に目を輝かせて続けてくる。
「なら、ちゃんとお母さんに伝えておいて? 春は私と二人きりで行きます。ラブラブなので、って」
「ラブラブはマズいと思う。まだアタシ、お母さんにちゃんとつくしとのこと伝えてないし」
「それじゃあ今伝えよう? 電話してくれたら私変わる。『お母様、春ちゃんを私にください』。うん。決め台詞はこれでいい」
「何勝手に練習してるの? しないから。そんないきなりは」
ジト目でつくしのことを見ながら言っていると、次の授業開始五分前を知らせるチャイムが鳴り響く。
とりあえず、話の続きはまた後だ。
アタシたちは示し合わせて、期待と楽しみを胸に抱きながら自分の席に戻って行った。
●〇●〇●〇●
「――やあ、先川さん。今日のお昼、久しぶりに一緒に食べていいかい?」
時間はあれから少し経ち、昼休み。
アタシが廊下にあるロッカーで自分のカバンから弁当を取り出していると、青宮君が声を掛けてきた。
「なんかすごく話したいことがある感じ漂わせてるね。誰かから何か聞いた?」
素っ気なくアタシが返すと、彼はいつもの無表情で「そうだね」と一言。
「補習もあったし、彼らとも何かと行動を共にしていたようだから、自然と君や姫路さんの話が耳に届くんだ」
「その言い方だと、色んな人がアタシたちの噂してるってことになるけど……?」
「噂してるね。そんなにとんでもないくらい噂でもちきりってわけじゃないが、一部の人がしているところを僕は聞いた。ただそれだけだよ」
一部の人だけでも、していたのはしていたんだ、と思ってしまう。
アタシはそんなに気持ちが強くない。
少しでも噂をされていると、心がざわつく。
「……だったら、なんか青宮君と今話するの嫌かも。知らない方が良いことってやっぱりあるし」
「そんなこと言わないでくれよ。君が望むなら噂の話なんてしないし、何なら僕はそれとは関係の無いことで君に問いたいことがある。それだけでもいいから聞かせて欲しい」
「そんな風に言われたら話したいことに集中できなくなる。無理に近いです」
「そこはそう言わずに。お願いします」
言って、頭を下げてくる青宮君。
一礼する彼を上から見つめるしかないアタシだけど、見えた青宮君のつむじに視線をやっていると、傍からつくしの声がしてアタシはそっちに意識をやる。
「春ー。じゃあ、一緒にお弁当を――って、げっ。青宮君だ。こんなところに何しに来たの?」
嫌そうなつくしの顔。
でも、そんなことを言われた青宮君は顔を勢いよく上げて、無表情で淡々と状況説明をしてくれた。
「今、僕は先川さんへお昼を共にする交渉を行っている。どうだろう、姫路さん。僕と一緒に昼ご飯を食べてはくれないかい?」
「嫌です」
「補習の際の話も持って来てるから。先生たちからの情報とか」
「「はい?」」
つくしとの声が重なる。
先生たちからの情報って何だろう……?
わからなくて、思わず首を傾げてしまった。
▼
「――それで、先生たちからの情報って何?」
空き教室。
三人でそれぞれ椅子に座って、向かい合うようにしながら弁当を広げる。
その中で、アタシは青宮君へ問うた。
つくしは相変わらず青宮君がいると不服そう。
まあ、彼は彼でそれがいつも通りだから何とも思ってないご様子。
淡々とアタシの質問に答えてくれた。
「先生たちからって言うのは嘘。話は木下君たち――つまり、立川君や近藤君たちのことなんだ」
彼の言葉を聞くや否や、つくしはわざとらしく「うわぁ」と呟いた。
「そうやって嘘ついて騙して春に近付いてくるんだ。やっぱりやることがズルいねぇ、青宮君は」
「姫路さん、それなら君だって似たようなものだろう? 先川さんのこと、いつも散々ジロジロ見ているくせに」
「そんなの恋人だから当然じゃん。人を変態と一緒にしないでくださーい」
始まるいつも通りの口喧嘩だけど、今日はそれを延々と野放しにしておくつもりはない。
アタシは青宮君に意識を集中させ、いったんつくしのことを無視する。
彼に質問した。「立川君たちが何か言ってた?」と。
「言ってたね。なんか嬉しそうに話していた。君や姫路さんとカラオケに行って仲良くなった、と」
つくしが舌打ちする。
「簡単にすぐベラベラ喋るよね」とぼやいていた。
それはまあ、確かに。
「でも、聞いた噂ってそれだけ? それならまず噂の域に入らないと思うんだけど?」
アタシが自作のおにぎりを口にしていると、彼は首を横に振った。
「それだけじゃない。大切なのはここからでね」
「うん」
頷くと、彼はアタシの方を指差して――
「先川さん。君の性別変化の話、木下君が堂々と教室でしていたんだ」
「え……?」
「そのせいで、一部の人たちに話が出回ってしまった。先川春が男子になってしまっている、と」