アタシの性別が変わってしまったこと。
それが同じ学年の人たちに知れ渡ったらしい。
青宮君に教えてもらってから休み時間に廊下を歩いていると、ひそひそと陰でアタシのことを話しているであろう人たちからの視線をじた。
感じたのだが、決して皆アタシに話し掛けてはこない。
噂が本当なのか、それを確かめに来る人もいそうだったけど、知らない人からのそれは一切無くて、代わりに松島さんたちが情報の出回りを心配して来てくれるくらいだった。
そんなものなんだろう。
普段のアタシは、どちらかというと地味な方で、目立たない不人気者だったから。
「――春ちゃん! ちょっと大丈夫!? 春ちゃんのこと、めっちゃ噂されてるよ!?」
心配してくれる松島さんと、尾上さんに三木さん。
彼女らに対し、アタシはただ苦笑いを浮かべて、
「大丈夫」
と。
短く一言返すだけ。
それ以外は全部つくしが説明してくれた。
「いいの。噂の出どころは掴んでるし、木下君や立川君たちも悪気があったわけじゃないの、もうわかってるんだ」
「「「え!? 噂の出どころって木下君たちなの!?」」」
声を揃えて驚く三人。
つくしの助けを借りて、アタシは頷きながら、今度は自分の力で話す。
「そこは三人とも知らなかったんだね。木下君たちが噂の出どころってこと」
「知るわけないじゃん! 私たち補習組じゃなかったし、最近気を遣って春ちゃんたちのテストが終わるまではそっとしておいてあげようって話してて、それで遊びにも誘わなかったのに! 木下たちとも絡んでないからね、私たち!」
松島さんが、尾上さんと三木さんの思いを代弁するように勢いよく言ってきた。
その心遣いはありがたいけど、何もそっとしておいてくれなくてもよかった。
普通に話し掛けてきてくれてよかったのに。
そう返すと、今さら何言ってるの、と怒られてしまった。
それもそうだ。
今さら感が凄い。
そう思っていたのなら、アタシもアタシで言えばよかった。
もっと話し掛けてとか、遊びに行こうとか。
「……好きな人にくらい……本当のことを話せるようにならないと……だし」
アタシが独り言ちるようにボソッと呟くと、そこにいた皆――つくしも小首を傾げて疑問符を浮かべていた。
とにかく、今やるべきことは一つ。
どれだけ噂が流れようと、自分の秘密を知られようと、ただ前を向いて、計画していることを実行しないといけない。
――お母さんに会いに行かないと。
それがすべての心のモヤを解決させる重要な手立てだった。
だからアタシは、特に酷く傷付いたりはしていない。
噂をされていても、それは最終地点に向かうための経過の出来事で。
ごく自然なことだとさえ思えた。
人の性別が変わったって、すごく異質なことだから。
●〇●〇●〇●
「――それで、こんな重要なイベントに僕を招いてくれたのはありがたいんだけど、君はこれで本当によかったのかい?」
揺れる電車の中。
アタシとつくしが並び座る眼前。
二人席の片方に一人で座っている青宮君が、遠慮するような苦笑いを顔に貼り付けて問いかけてくる。
アタシは素直に頷き、つくしはそっぽを向いた。
各々、いつもの反応だ。
「いいよ。別に今さら『ダメ』なんてことも言えないし」
「そうそう。ここまで来て何言ってるんですか、って感じだよね。申し訳ないと思うのなら来る前に自分から断っておけばよかったのに」
辛辣なつくしの言葉を聞いて一層の申し訳なさを感じたのか、青宮君は肩をすくめながらアタシの方をジッと見つめてくる。
「姫路さんはこう言ってるけど、どうなんだろう? 最初は僕のこと誘うつもりもなかったよね?」
それは、と言葉を濁らせ、やがて頷くアタシ。
お母さんからの許可が出るかわからなかったことが一番だけど、やっぱりどうしたってアタシの中で彼の存在も大きくて。
連れて来るのはつくしだけじゃなくてもいい。
そう言ってくれたお母さんの言葉に則って、特別に青宮君だけは一緒に来てもらうことになった。
松島さんたちとも最近仲良くはなったものの、それでもどうしたって関係値が浅いし、彼女らはアタシのお母さんについてよく知らない。
青宮君はアタシのお母さんを見たこともあるし、お母さんも青宮君のことを認識していた。
実際に「付き合っているの?」と訊かれたこともあるほどだ。
だから、一緒にお泊りをしてもらう条件は満たしているはず。
彼自身は不安げだけど、何も問題は無かった。
つくしは少し不服そうではあるけど、それも半分冗談みたいなもので。
本心は、きっとアタシの考えていることを理解して、尊重してくれているはず。
それを何となく察していたから、特に何か言ってあげることも無かった。
一緒に、三人でお母さんの元へ向かっている。
「正直なところ、最初は青宮君のことを誘う予定は無かった。でも、それはお母さんがオッケーを出してくれるかわからなかったからで、あなたのことを軽視してるからとか、そういう理由じゃない。そこはわかってくれる?」
アタシが本音を口にすると、彼は即座に頷いてくれて、
「先川さんはあまり嘘がつけない。それは僕も知っている。だから、君がそう言うならそういうことなんだろうと理解するつもりだよ。これ以上疑ったりはしない」
青宮君がそう言ったのを聞いて、つくしはボソッと呟く。
「春は優しいからね」と。車窓の先で流れる景色を眺めながら。
「……姫路さん」
「……?」
いつもなら、きっとこうしてつくしがぼやいて、青宮君はそれをスルーする。
でも、今日は違った。
つくしの名前を呼んで続ける。
「確かに先川さんは優しい。けれど、それは何も彼女だけに限った話じゃない、と最近気づいた」
「……?」
「実際には、姫路さんもかなり優しい」
「……はい?」
つくしの口からすぐさま疑問符が飛び出し、視線を車窓から青宮君の方へ移動させる。
彼はつくしと目を合わせるようにして続けた。
「二人揃って優しいからこそ、きっと嘘のつけない先川さんはだんまりになってしまうんだろうね」
「……いや、どういうこと? 私のことを優しいって言った直後にいったい何言ってるの?」
つくしの疑問符が止まらない。
けど、それはアタシもだった。
青宮君の言っていることが理解できない。
アタシがだんまりになってしまうとは……?
自覚の無い何かを突き付けられて、ただただ困惑するしかない。
「磁石でもそうだ。完全にくっ付き合うには、プラスとマイナスのように、互いが違った性質を持ち合わせてないといけない。優しいのと優しいのが同じくらいなら、それは遠慮し合って逆に離れてしまう」
「は? 私と春を磁石なんかに例えないでくれる? そんな単純な話じゃないし、何より別に私たちは離れてなんかないんだけど?」
つくしの目がより真剣になった。
けど、そうなるのも無理はない。
アタシだって青宮君の言ったことに対して異を唱えたかった。
別に離れてなんかない。
……だけど――
「いや、実際には離れていないように見えても、本当の奥深いところで君たちは決定的に繋がり合えていない。優しい姫路さんを見て、ようやく僕もそれに気付いた」
「……だからさ、青宮君。私たちは――」
「わかっている。僕の言うことが理解できないってことも。大丈夫だ」
勝手に大丈夫だ、と突っぱねられるつくし。
今にも崩壊してしまいそうな温和な雰囲気。
でも、そこでムキになってもダメ。
つくしはそれを理解していた。
青宮君は続ける。
「それを理解するために、今日、今、この時間が運命的なほどに設けられた」
「……?」
「君たちは、先川さんのお母さんを通じて理解するはずなんだ。本当にすべきことと、先川さんの気付くべきことに」
……アタシの?
「それをすべてクリアした時、僕は心の底からようやく満たされるし、何なら――」
電車の中の天井。
そこを見上げて、彼は満足げに笑んだ。
「ようやく君たちのことを素直に祝福できる。僕の負けだ、って姫路さんにも言えるかな」
「……負けてるのはもう決まってるじゃん。春の気持ちは私にあるんだから」
つくしが返すと、青宮君は頷いた。
「うん。知ってる。知ってるけど、それだけじゃないって話」
彼はそう言って、「楽しみにしておく」と付け足し、やはりまた笑うのだった。
アタシは青宮君のその笑みを見て、どことなく不思議な感覚に陥る。
なぜか怒りは無かった。
割と好き勝手言われているのに、この青宮君の発言はどことなく正解のような気がしていたから。