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第74話 魔術の伝来

「……なるほど。実際に被害をもたらされてみると、本当に【解析】は余計なことしかしない……」


 そう述べる【静謐】は声音も表情も静かではあったが、明らかに怒っている様子だった。


 長年彼女を見ていたからわかる……と言えればよかったのだけれど、そもそも【静謐】は声や顔以上に、その美しい青い瞳に感情が表れる。

 むしろ彼女の秘めた強い感情の出口がそこしかないせいか、より強くより激しく、目がなによりもものを言うかのようだった。


【静謐】は相変わらず俺にとっては唯一絶対の神様であり、その怒りというのは恐ろしいものだ。


 けれど━━世間では、そうではないかのような風潮が出始めている。


 魔術。


 たった一人の、大陸南西部に流れ着いた……ようするにもといた大陸からなんらかの事情で出てきた魔術師からもたらされたこの技術は、人々の生活をすっかり変えてしまった。


 この大いなる力は伝導され、人々は魔術という技術を手にしたのだ。


 すると生活は一変する。

 しかも、これは前回までの周回で言うところの『正しい魔術』であった。


 指先程度の火を灯すとか、一生懸命念じて痛みをやわらげるとか、そんな程度のものではない。

 火球を生み出して放ったり、あるいは真夜中に昼のような明かりを灯したりという、強力なものなのである。


 その力をいきなり手に入れた人々は、こんな勘違いをしてしまったのだ。



始祖竜オリジンを名乗るあいつは、魔術師であり━━


 その優れた力をほんのちょっとしか我々に教えず、独占している。


 もしくは、あの女は、我々に教えた程度しかできない。


 つまり、もはや、あの女を崇める必要など、ない』



 ……なんと愚かなのだろう。


 だが、現在視点から見れば、気持ちがわかってしまう。


 ……前の周回、『躍動の時代』に、もまた鍛え上げて徒党を組めば竜さえ簡単に殺せるのではないか、と思っていたことがある。


 干渉をなるべく抑えるというのは、ようするに、舐められる・・・・・余白を作ってしまうということでもあるのだった。


 人は基本的に知らないものを侮る。


 もちろん中にはそうではない者だっているが、総体として、群体としては、自分たちに一度も痛い目を見せたことのないような……

 いや、一度や二度、人類に痛い目を見せたことがあろうとも、自分・・がそれを知らないなら、相手を大したことがないと思い込むような、思考のバイアスがかかる、らしかった。


 そして【静謐】の治世は人に優しい。


 多くを与えないが、罰しもしない。


 だから、始祖竜【静謐】の暴力を知る者は皆無である。


 ……おどろくべきことに、彼女は『水』と雰囲気作りだけで、この大陸を自分色に染めていたのだ。


「……魔術師たちを、蹴散らしますか?」


 俺はそれが一番早い選択肢のように思えて提言したのだが、これもまた、いかにも人間らしい提言だった。


 魔術師と魔術を使えない人間とのあいだには、竜と人ほど……は言い過ぎかもしれないが、大きな実力差がある。


 長いメッセンジャー生活で『竜の威をかるような事態に陥らないようにするべきだ』と学んでいた俺は、もちろんこの時も、自分たちだけで魔術師にあたるつもりで……

 そして、倒せるつもりでいた。


 せいぜい石の槍ぐらいの装備しか持たない自分たちでも、魔術師どもを簡単に蹴散らせると━━


 ━━知らないものを、侮っていたのだ。


 だから【静謐】はため息をついたのだろう。


「……まあ、魔術が流れ着く事態は想定すべきでしたね。同時並列でそれぞれの竜が時代を始めれば、それはもちろん、【解析】なら魔術をもたらすでしょう」


 ちなみに始祖竜同士は記憶を共有しているらしいのだが、彼女らには『リアルタイムで更新され続ける記憶を全部チェックする』という習慣がなかったようだった。


 そもそも、自分が起きている時に他の竜も起きている、というやり方はこの周回が初めてだ。

 目覚めた時に直前の始祖竜の記憶をチェックするというのが彼女たちの習慣であり、また、他の始祖竜の記憶閲覧には動画チェック相当の手間がかかるので、活動中にするものでもないらしい。


 つまり、ノーチェックでいきなりもたらされた魔術という文明と、それを起点に広がる騒ぎについて、【静謐】はなんの準備もしていなかった。


「……なるほど。それぞれが同時期に別々の大陸で統治を始めると、人々の感情というリソースの奪い合いに発展する、というわけですか。私の信仰シェアが【解析】に奪われているのを感じます。流れ着いた魔術師が【解析】のことを広めているようですね」


「……ええと、その、姉妹であらせられる、始祖竜の方が、【静謐】に攻撃を仕掛けてきた、と?」


「攻撃、なんていういいもの・・・・じゃありません。【解析あの子】は『与えたら、あとは放置する』んですから。ここに魔術師が流れ着いたのも、その結果としてシェアが奪われているのも、全部、偶然なんですよ」


「あなたが命じるなら、俺がその【解析】を倒しに行きます」


「三つの理由で不可能です。まず、人と始祖竜では勝負にならない。次に、我々には【解析】のいる大陸まで確実に行く手段がない。最後に、我々は積極的に他の始祖竜を減らす行為ができない」


 それは始祖竜が倒れすぎると【虚無】によるやり直し判定が下るからなのだが、この時の俺は『なにかそういう、始祖竜かみ特有の制約があるのか』とふんわり納得した。


 基本的に始祖竜たちは『今やってる世界を長く存続させよう』として行動していく。


 やり直すかどうかを決めるのはあくまでも【虚無】の権能であり、それ以外の始祖竜には『もうやめちゃおう』と思う権限がない。

 よって滅びにつながる行動を積極的にできないという、暗黙のルールがあるのだった。


 でも。

 ……暗黙のルール、ということは。


 別に、なんらかの不思議パワーで禁じられているわけではない、ということ、なのだった。


「……あのぉ〜……なんで【編纂】は【変貌】の大陸に攻めこもうとしてるんですかねぇ……」


 これはまったく【静謐】らしからぬ口調で、それはもう、あからさまに困惑し、それから強く苛立っていた。


 彼女は『なにか』を見ている。


 それは『他の始祖竜が共有してくる記憶』に違いないのだが、どうにも、リアルタイムの姉妹大陸間戦争の準備が次々共有されてくるらしい。

 その常ならぬ明らかな苛立ちようたるや、【静謐】の信奉者を自認する俺をして、『今日はあんまりそばにいない方がいいかも』と思うほどであった。


 ……【静謐】はどうやら【解析】の動きを見ていなかったことを後悔して、今さら他の姉妹の動向をチェックし始めたらしい。


 けれど、どうにも、チェックが遅すぎて、今、世界のあちこちで、同時多発的にありえない事件が起こりまくっているということを確認できただけのようだった。


 余談だが、この『事態が発覚してから色々調べ始めてみるものの、とっくに手遅れで詰んでる』みたいなことは、現代においてもたびたび見られる【静謐】の大きな特徴である。


 いや、マジでよくやるんだよ、君。

 自覚なかった?


 ……さて、当時に話を戻そう。

 しばらく【静謐】は彼女らしからぬ落ち着きのなさで、ねぐらとしている洞窟内をうろうろしていたが……


 急にピタリと止まると、こちらに向けて笑った。


 ……この当時の俺は『きれいなせいひつ』しか知らなかったが……


 現代の俺なら、わかる。


 この笑顔は、『キレてる』表情だ。


「……姉妹間で争うのは愚かなことです。ええ、本当に愚かなことです。なので、せめて私は争いを避けるように動きましょう」


 なにかとんでもないことを言い出す気配というのは感じるもので、当時の俺は、まだなにを言われたわけでもないのに、「考え直しましょう」と口から滑らせてしまった。


 しかしこういう時に大胆すぎて意味不明な思いつきをするのも、その思いつきを決して曲げないぐらい頑固なのも、さらに人から『やめよう』と言われるとますます意固地になるのも、現代まで続く【静謐】の悪癖である。


 これは現代静謐も体を小さくして「まあ、はい、そんなことも、あるかもしれません……」と認めるものだった。


 で、当時の【静謐】がなにを言ったかと言えば、


「大陸の東に島のようなものがあるので、信者だけ連れてそこに移動します」


「……ええと」


「もうこの地は【解析】にあげちゃいましょう。我々は新天地で慎ましやかに生きていくのです。多少海を超えますが、まあ、戦争が目的じゃないので、私の権能でどうにかします。準備なさい」


 荒ぶる神はこうして決定を告げた。


 力ない我々は、その決定に従って、大陸東の島へ移住することになったのだった。


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