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第79話 岩に刺さった剣

 その世界の海は荒れ果てており、人々が大陸間を移動することは禁じられていた。


 大陸の中で人々は一生を終えることを始祖竜かみに望まれた。


 ……とはいえそれは、絶望でもなんでもない。

 最初から『越えられないもの』として海があったならば、その世界は大陸の中だけで完結しているのだ。

 そういうものとされた世界に生まれたなら、そういう世界をあるがままに受け入れ、大陸という狭くない大地の中で、人々はきっと慎ましく、穏やかに生きていくのだろう━━


 そう、始祖竜オリジンたちは考えた。


 ヒトの性質を見誤ったのだ。


 人は荒れ海の向こうに、今いる大地にはないなにか・・・を夢見た。


 ……もう、人の本能と言ってしまった方がいいだろう。


 隠されれば隠されるほど、暴きたくなって燃え上がる。


 他の大陸に渡るのを禁じられた世界で、人は他の大陸に渡るために燃え上がった。

 海を閉じているとされた始祖竜は倒され、偶然発見された魔術という技術が、荒れ狂った海を人に越えさせた。


 ……もちろん、海を越えた先にあるのは他の大陸で、そこにはやはり、『目の前の海を越えた先にはなにかがあるのかもしれない』と同じように思う人がいるだけだった。


 けれど、二つ目の大陸に渡り、同じような志を持つ人々を発見したならば、彼らはこう思った。


『ここにはなかった』

『でも、ここじゃない場所には、なにかがあるかもしれない』


 想いを重ねた人々は、力を合わせた。

 そして最初に大陸を渡った人々がそうしたように、竜を殺し、船団を組織し、魔術師団によって荒れ海を鎮めながら、他の大陸を目指した。


 ……最初に竜が手を加えたせいで海は荒れているが、その後、竜を殺したからといって海が鎮まるわけではない。

 竜を殺すという工程は、まったく不要なものだった。

 けれど人々はすべてを知るわけではないのだ。

 なにが渡航のために必要なのか、その条件をはっきり知れるわけではないから、『最初の成功者』に倣うだけなのだった。


 彼らの手が【静謐】のいる大陸に及んだ時、俺はやっぱり彼女のそばにいた。


「……まあ、竜が海を荒らしていると思う人々に、竜の口から『われわれは関係ない』と述べたところで信じないでしょうね。それに、無関係ではないのです。最初にそう決めたのは我々なのですから。ただ、今さら我々の命を奪ったところで、なんにも起こらないというだけで」


【静謐】はなにかをあきらめている様子だった。


 だから俺は、彼女にこう進言した。


「黙って殺されることはない。一緒に逃げよう」


「…………どうにも、竜殺しそのものを目的にしている者が混じっています。なぜかはわからないけれど、繰り返せば繰り返すほど、そいつらの発生確率が高まっているように思います」


「……だから?」


「逃げるなら、あなただけになさい。私はきっと、そいつらに追われる」


 この時の俺は、ある程度を集落で成長し、そこでもっとも勇敢な若者とみなされ……

『洞窟に住まう謎の存在』を討伐しろという命を村長から受けていた。


 そうして出会った『謎の存在』こと始祖竜【静謐】に一目惚れし、彼女に侍ることになったのだった。


 そういう事情だから、俺が彼女を置いて逃げるということは、心情的にありえない。


【静謐】側もそれがわかったのだろう。

 もはや逃げろとは言わず、自分たちのもとに『海を渡ろうとするやつら』が来る日を待った。


 そうして、俺たちは……というか、俺は戦って、敗北した。


「あたしの勝ちだ。あたしのものになれ」


 俺を負かした女はそんなことを述べたが、俺は当然拒絶した。


「なら、死ね」


 そこで俺の人生は終わり、【静謐】も死んだ。


 抵抗はしなかったらしい。

 この時点ですでに四柱の始祖竜が殺されていて、海を渡る連中は東西から大挙して押し寄せていた。

 おそらくこの世界もまた初期化されるだろうことは目に見えていたのが、彼女のやる気を奪っていたらしかった。


 だが、抵抗しても勝てたかどうかわからない、と彼女は述べた。


 ……剣。


 この時の【静謐】にとどめを刺した武器もそれで、流石に俺にも、もう、その剣がなんなのかわかっていた。


 それはかつて、俺が【変貌】にもらった加護で、【変貌】自身を素材に編み上げたもの。

【解析】により強化され、あらゆる超越存在に対して効果を発揮するもの。


 聖剣と呼ばれたそれが、どうにも、世界を初期化しようが、あり続けるようなのだった。


 こうしてまた、世界が終わる。


 始祖竜たちは世界をやり直し、会議し、また新しい制限を設けた。



 海により閉ざされた大地は多くの恵みを宿していて、人々はただ生きるだけならずっと働かないでもやっていけるほどだった。


 今度世界に設けられた制限は、肥沃な大地、なのだった。


『なにかを禁じると、禁じられたものを解き明かしたがる』という人間の性質を知った竜たちは、今度は人間が自ら熱意を持って冒険をしないよう、彼らのいる場所を楽園とした。


 楽園はしばらくのあいだ、人間たちを怠けさせ、その進歩をとめた。


 ところが楽園は完全に均一にすべての人類に恵みをもたらすものではなかった。


 人に個体差がある以上、欲深く頭のいい者は恵みを独占したり、他の者の恵みを奪ったりするために知恵を絞り出す。


 そうして生まれた『社会』というものの中で、欲深い者はもっと広汎こうはんを支配したいと願った。

 この社会で底辺に組み入れられた者は自分が上に上り詰めたいと願ったし、今の社会の有り様を正しくないと感じた者は、それが正されるのを願った。


 多くの人は願うだけだったが、分母が増えれば中には願いを実現すべく行動する者も出てくる。

 そんな者たちにより社会はかき混ぜられ、だんだんと人の支配地域は広がり、人は広い場所で多くの者を従えようとし、従える者が従えられる者に褒美として与えるのは、恵みがあふれている大地になった。


 ところが大地の面積には限りがあって、それを分け合うにも限度がある。


 だから、海の向こうにきっと、もっと広い場所があるのではないかと思った。


 富める者が貧しい者を動員することによりすさまじい力が発揮され、人は海を渡り、新しい大陸を目指した。


 そこでなぜか発生する流れが『始祖竜を殺せ』というものだ。


【静謐】の述べる通り、周回を重ねるたびに『竜殺し』の発生確率はどんどん高まっているようだった。


 ……というか。


 どれほど富もうが、どれほど他者を従えようが、自分たちより上には『始祖竜』とかいう、気まぐれでなにもかもをご破算にしてしまえる超越存在がいる、という状況。


 こんなの、居心地がいいわけがない。


 富めるほど始祖竜の存在が目障りになるのは当然で、富める者には動員力があり、人々が『自分たちの上にずっといるあいつらを倒そう』となるのは、根っからの人間である俺からすれば、当然の流れに思えた。


 その当時の俺は【静謐】のいる大陸で竜殺しのための部隊に所属する一兵卒だった。


 竜が完全に姿を隠して、人前にまったく出なければ竜殺しも発生しないのかもしれないが、それは竜が自分好みのエネルギーを得るためには不可能なのだった。


【躍動】でさえもちょっとぐらいは出てくる。

 他の始祖竜が我慢できるはずもない。


 だから人でないのに人間以上の超越存在として振る舞う『竜』とかいうものを退治しようとして、俺の部隊は全滅し、俺は、荒ぶる始祖竜【静謐】に命乞いをして生き延びた。


「…………まあ、一度だけ反省の機会を与えてみましょうか」


 さすがにこっちから殺害を目的とした攻撃をしかけておいてムシがいいお願いかとも思ったが、【静謐】は降伏した者を見逃した。


 俺はこれに深く感謝して、以降は『竜保護派』に回った。

 だが、技術が極まるにつれ相対的に竜に対する畏れは減り……

 人が富めるほどに竜が目障りになり……

 俺が老いて死ぬころには、竜討伐の風潮はもうどうしようもないほど高まっていた。


 その後のことはわからない。


 だが、また世界は初期化されたらしい。

 それはつまり、最初からやり直さざるを得ないほど竜が殺された、ということなのだった。


 こうしてまた世界は終わり、竜たちは新しい制限を加え、新しく始めた。



 大地の肥沃さをデフォルトに戻し、逆に厳しい環境を増やしてみた。

 ところが人は厳しいなら厳しいなりに適応してしまう。

【解析】の大陸などは大部分を砂漠にされたが、それはそれでどうにかやり、栄え、富み、やはり最後に邪魔になるのは、竜だった。


 俺は水の神に仕える部族に生まれた。

 水の神というのは始祖竜【静謐】のことだった。


 ある日、世界中で竜を倒そうという気運が高まり、俺は竜の側に立って戦うことになったのだが……

 その竜によりどこか知らない場所に転移させられ、俺は竜を守ることができなかった。


 飛ばされた先の土地で竜について語り継ぎながら、死んでいった。


 始祖竜は四柱が殺され、世界はまた初期化された。



 バランサーとしての役割を全体的に自然側有利にしようという方針になった。

【編纂】が反発したものの、それまでの人間たちのしぶとさは全員が知るところだったので、賛成多数で可決され、自然は人に厳しくなった。


 けれど人は荒れる川を御する技術を開発し、厳しい気候を生き抜く装備を開発し、毒草と薬草を見分ける知識を語り継いで適応した。


 今まででもっとも始祖竜が人に敵視された。

 竜を自然の厳しさの具現とみなした人々が襲い来る。


 俺は【静謐】の側に立った。

 彼女が俺に話しかけることはこの一生において一度しかなかった。それは、死の間際にかけられた「どうして」という言葉だけなのだった。


 どうしてなのだろう。

 どうして俺は、今回の人生において一声さえもかけてくれなかった彼女を守りたいと思ったのだろう。


 死の間際に明確な答えを述べるほどの思考時間はなく、だから俺は、言い訳みたいに、


「だって、しょうがないじゃないですか。あなたを一目見たとたん、あなたがとても、寂しそうに見えたんだから」


 そんなことを述べて、息絶えた。


 世界は五柱の始祖竜を失い、初期化された。



 幾度も繰り返された初期化の中で、俺は必ず【静謐】と出会い、最後にはこれを守る側についた。


 竜殺しは必ず出現し、聖剣を手にして竜を狙った。


 魔術は必ず発見され、これを支配する強い者が生まれた。

 そいつは魔術を伝導したり、しなかったり、他の魔術師に対するスタンスは時々で違ったが、圧倒的な力を持ち、精霊と言葉を交わして世界の様子を知ることができた。


 俺はもう、自分が幾度死んだかわからない。


 幼年期に死んだこともあった。天寿をまっとうしたこともあった。


 戦ったことも、戦えなかったこともあった。


【静謐】は俺を発見すると決まって微妙な表情になり、時には言い訳がましいことを述べて立ち去り、時にはなにも述べずに立ち去った。

 俺は彼女を追いかけて、子供の時には子供らしく、少年の時には少年らしく、青年、老人とそれぞれの仕草で彼女においすがった。

 すると彼女は毎回最後には必ず折れて、俺がそばにいることを認めるか、黙認した。


 ……ある周回の時のことだ。


【静謐】と出会わず青年となった俺は、仲間を率いて集落の周辺を哨戒していた。

 今回はかなり早い時代の生まれであり、木材加工、石材加工はあるが、金属加工技術はせいぜい青銅までというような時代だ。


 そんなおりに発見した黄金の刀身を持つ剣に、俺はすっかり心を奪われた。


 それは岩に刺さった剣だった。

 どれほどの力自慢が挑もうが決して抜けない剣。


 俺だって抜けると思ってはいなかった。

 でも、その黄金の剣は思わず柄に手をかけたくなるぐらい、なんだか奇妙に懐かしくって、俺は誰もいない夜に、隠れるようにしながら、こっそりとその剣に手を伸ばした。


 暗闇の中でさえほんのり輝いて見えるその剣は、もう観光名所みたいになっていて、日中は筋骨隆々の大男が戯れに『抜剣ばっけんチャレンジ』をするのが通例だった。

 ……だから、筋骨隆々とは言い難い体つきの自分が剣に触れるのはみょうに気恥ずかしくて、人のいない時間帯を選んだんだ。


 柄に触れれば、それは、金属のような光沢のある硬い素材のくせに、手のひらに吸い付くようになじんだ。


 奇妙な既視感にめまいがする。


 俺は、この剣を知っている━━気が、する。


 ふらついた。握りしめた剣の柄で体を支えた。

 体重がかかってもやっぱりビクともしないその剣は、俺に抜けるものではないなと感じる力強さで岩に突き刺さり続けていた。


「やあ。君もダメだったか」


 とつじょかけられた声に振り返る。


 不思議な剣がまとう不思議な輝きに照らされて浮かび上がるのは、金髪碧眼の、少女みたいな顔つきの青年だった。


 背は低くないがどうにも華奢なその男は、親しげな笑みを浮かべて俺に近づいてきて、言う。


「君も昼にこの剣を見てただろう? 実は僕も気になっていてさ。でも、ほら、こんなに細い腕じゃあ、抜こうとしたって、大男たちに馬鹿にされそうでね。だからこうやって、人のいない時間を狙って来たってわけだ」


 君もだろう? と視線で同意を求められて、俺はうなずいた。


 そいつがペラペラとしゃべるのが、照れ隠しと仲間意識からだというのがわかって、俺からそいつへの警戒心はなくなっていた。


 そいつが剣に手を伸ばすので、俺は剣から手を離して、半歩引いた。


 ……なぜだろう、そいつが剣の柄に指をかけた瞬間、剣のまとう黄金の燐光が、一瞬だけ輝きを増したような気がした。


「人に言っても誰も信じないだろうけれど、どうにも僕は、この剣を抜けるような気がしているんだ。君もこの剣になにか感じたんだろう?」


 懐かしさ、と俺は答えた。


 僕もだ、とそいつは答えて━━


 あっさりと。


 剣を、岩から抜いた。


 その瞬間、思い出した。


 周回を繰り返す世界。


 魔王。


 勇者。


 始祖竜。


 そして━━


【静謐】。


 記憶があふれて止まらない。思わず頭を抱えても、押し止められるわけがない。

 なにが起きた。

 いや、この聖剣を残るようにしたやつは、いったい、なにをこの剣に仕掛けた━━


友よ・・


 金髪碧眼の男は、俺に向けてそう言った。


 落ち着き払ったものだった。こいつがそんなふうに俺を呼ぶってことは、全部全部思い出していて、あいつの頭の中だって、記憶が瀑布のようにあふれているはずなのに。


 この精神性の差。


 ああ、昔から言いたかったんだけど━━


 やっぱりお前、おかしいよ。


 するとそいつは楽しげに笑うのだ。


「だから君は、僕にこの剣をたくしたんだろう?」


 ……それはまあ、そうなのだけれど。


 力がなくても勇気だけで強敵に立ち向かい、しかもそれが『世界のため』とか『人類のため』とかいう、はっきり言って意味不明な理由によるものとなれば、その異常性はきっと、英雄と呼ばれる連中特有のものなのだろうと感じた。


 だから、その剣の造り手は俺でも、その剣の使い手は俺じゃない。


 ……だから。


 その剣が抜かれて、俺がすべてを思い出す仕掛けは。


 俺とこいつが、こうやって同時に聖剣のそばにいて、抜く瞬間に一緒にいるようなケースでないと、発動しなかったのだろう。


 ……間違いなく始祖竜の仕掛けだ。

 そんな低い確率に備えるなんて、『まあ、繰り返せばいつかそういう乱数もあるだろう』と思えるような、気の長い存在じゃなきゃありえない。


 こうして俺は、ようやくスタートラインに立ったのだった。


 でも、その前に……


 色々とどういうことなのか、現在静謐からの解説でも、お願いしたい。


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