「千面のサイコロがあったとしよう。これを振って、連続で一を出し続けるというのは、異常な確率だとは思わないかな?」
例の、世界の初期化後の始祖竜会議の席でのことだ。
このころになると【露呈】以外も【解析】の厄介さを思い知っており、みんな、
しかしそういうのを気にしないのが【解析】の長所でもあり、短所でもある。
人に魔術を広めたがり、『始祖竜のために作られた世界』に『始祖竜なんか必要ないんじゃないか』などと言ってのけるそいつは、構わず話を続けた。
「これが千程度ではなく、一万、十万、百万もの面を持つ、真球のようなサイコロであったとすれば、連続で同じ目を出す確率は、よりいっそう低くなる。なあ、そう思うだろう、【静謐】?」
話を振られても困るに決まっている。
もちろん、百万面サイコロなんていうものがあったとして、それで何度も同じ目を出し続けるのは、ちょっとおかしな確率だというのはわかる。
わかるのだが、発言者が問題児の【解析】だということで、同意も否定もしかねた。うっかり話に乗ったらどういうふうに話題展開されるのかを警戒したのだ。
だが、答えなくても結果は同じ。
【解析】は凛々しい顔に不遜な
「君のそばで起きていることだよ、【静謐】。どれだけ世界の人口が増え、どれだけ世界が広くなろうが、彼は必ず君のそばに現れる。いくら
「……たしかに異常な確率と言えなくもないでしょうけれど……世界を繰り返せばそのうち、確率は期待値に収束していくと思いますよ。たまたま異常な確率のことが起こるのは、不自然ではあっても不可能ではないのですから」
「それはそうだ! だけれどね、私はそれを『運命』と呼びたい」
この時点になっても【解析】の本題が全然見えてこないので、始祖竜たちは怪訝さを通り越して不穏さを覚え始めた。
妹たちの気配を感じ取り、【静謐】はこう聞かざるを得なかった。
「【解析】、あなたはなにを言いたいんですか?」
すると【解析】は待ちかねたように言う。
「きっと彼がすべての竜を殺すだろう。……ああ、いや。違うな。すべての竜が死ぬ周回があれば、その時は、彼がすべての竜の死に様を目撃するだろう。彼には奇跡を起こす力があるからね」
始祖竜にとって不吉すぎる予言だった。
けれど、誰もがそれを聞いてあきれた顔になった。
なにせ『すべての竜が死ぬ』というのは、ありえないのだ。
【虚無】がいる。
世界の初期化をするだけの存在であるその双子の竜は、時代に干渉できない代わりに、時代からも干渉されない。
人格こそあれど、ただの機能でしかない。
これを殺すどころか、まず、観測すること自体が人にはできない。
始祖竜にだって、【虚無】を殺すことはできない━━はずだ。誰も姉妹を殺そうとしたことがないから、わからないけれど。
だから、『すべての竜』は死にようがないのだ。
なので、いつもの【解析】の、おかしい
いくらか気が抜けた顔で、【静謐】はたずねる。
「【解析】、あなたはよく『竜殺し』を口にするけれど、
「いやいや。そんなにあやふやなものじゃあないさ。私はね、もっとはっきりと死を望んでいるんだよ」
「なぜ?」
竜たちは誰も、その心情を理解できなかった。
……いや、理解できなかったのは、心情よりも思考の方だろう。
竜は死ぬことはもちろんある。だが、世界が初期化されればこうして記憶だけ引き継いで復活するのだ。
ならば【解析】の述べる『死』とは『完全消滅』なのだろうが……
そんな不可能なことを望んだって、叶いようがない。
叶いようがないことを望み続けるのは、あまりにも虚しい。
虚しいことを願い続けるには、始祖竜の過ごす時間は長すぎる。
だからそんな叶わぬ望み、さっさと捨てるべきだ。その程度の知性は、始祖竜なら誰でも持っている。
特に【解析】は権能が示す通り、あらゆることを理解し解明する特性がある。単純に換言してしまえば『頭がいい』ということだ。
その彼女が『死を望み続ける』。その思考は、誰にも理解できなかった。
すると【解析】は、答えた。
「ゲームマスターよりも、プレイヤーの方が、私には向いているんだ。最初から答えを知る
━━私はヒトになるために、死にたい。
……これが、色々やってくれた竜の、動機、らしい。
竜の誰にも理解できず、竜の誰にも共感できない、あまりにも竜として異端だった、彼女の唯一の願望。
◆
「この周回では、ないかもしれない」
黄金の剣を抜いた勇者は、そんなふうに語った。
「始祖竜【解析】は聖剣に色々と仕掛けをした。たとえば、こうして我々の記憶をよみがえらせたりね」
とはいえ、彼は、かつて【変貌】の時代に第三災厄【求愛】を倒した勇者本人ではないのだ。
俺のように
かつて勇者だった魂のカケラが混じっただけの者。
……今、世界に何万人もいるうちの、『勇者と呼ばれた男の魂を原料としリサイクルされた魂の持ち主』でしかない、らしい。
「そして制限も解除した。『始祖竜が死なないと抜けない』剣は、
彼の口調はリドルを出す知恵者のようで、そこには『なぜ、そうだと思う?』という問いかけが言外にあった。
……俺はといえば、今は頭が回る状況ではなかった。
なにせ荒れ狂う海を進む船上にいるのだ。
おまけに甲板、というか、
木造の船は揺れに揺れ、波の飛沫が豪雨のように降り注ぎ全身はずぶ濡れになっていた。
船酔いだって当然のようにすさまじく、俺は四つん這いになって勇者を見上げるだけで精一杯なのだった。
しかし、この俺の弱さを、こいつはわからない。
船酔いという、普通の人が立っていられないぐらいの苦しみを、こいつは『つらそうにしているけれど、まあ、頭脳労働ぐらいはできるだろう』という程度に見ている。
できねぇよ。
俺はお前ほど強くないんだから。
うらめしくにらみつけると、彼は肩をすくめて話を続けた。
「おそらく【解析】は、僕と君がこうして巡り会う確率を、高いものとは思っていなかったのだろう。つまり……回数をこなす必要があった。だから、剣を抜く担当を、一人しかいない君ではなく、数の多い僕にした」
こいつの発言には、『勇者』の知り得ない情報がふくまれていた。
聖剣を抜いたと同時に【解析】からの知識提供、あるいは過去の『勇者』との記憶共有があったのは間違いないのだが、その『記憶の引き継ぎ』というやつは、俺と【静謐】が求め続けて、なぜだかずっと叶わなかったもののはずだった。
それをあっさり叶えてしまっているのは、うらめしくもあり、憎らしくもあり……
というか、もしも【解析】が俺と【静謐】のことを応援してくれるなら、今やってるような方法でさっさと記憶をよみがえらせてくれたらよかったんじゃなかろうか。
「『過去の記憶』と『体感』は違うよ。人は二つの人生を同時にはこなせない。人は━━というかたぶん、竜もそうなんじゃないかな。だからこの旅は、君が【静謐】のいる時代に行う必要があった」
それでも、俺がさっさと思い出せば、俺の呪いを引き受けて死にかけていたころの【静謐】を喜ばせてやることもできただろうに。
「で、どうするの?」
……なにが?
「喜ばせて、その後、どうするの? 【解析】が目覚めていた時点ですでに二柱の始祖竜が死んでいたあの時代に君の記憶が目覚めたって、たぶん世界は初期化されて、君と【静謐】の関係はそこで終わりだ。『思い出せたね、よかったね』で終わってよかったのかい?」
そりゃあ……
まあ、俺の願いは、あいつと生きていくことだったから。
あいつの
百年でも二百年でも、生きていくことだったから……
呪われて弱りきったあいつと、平均寿命六十年ぐらいの時代の俺とじゃあ、交わした約束には、足りないよな。
第一、竜と人とのあいだには子供なんかできないだろう。
今さら、気付いた。
……俺とあいつの願いは、両者が人であり、安定して百年は生きられ、子供が寿命という理由以外では死なないような、平和な世界じゃないと、叶わないもの、なのだった。
「だから、初期化を避ける必要があった。時代をどんどん進めていき、さらに、竜が人に生まれ変われるようにする必要があった。つまり、すべての竜を殺さないと、君と彼女は結ばれない」
……それは【解析】に魔術を教わった当時に言われたのと同じようなことではあるのだが。
あの時点でここまで見ていたのか、【解析】は。
「だから、僕らは【虚無】に届く刃を鍛え上げる必要がある。何度でも何度でも周回して、君と出会ったり出会わなかったりして、この聖剣を鍛え続ける必要があったんだよ」
そういえば、『この周回ではないかもしれない』と勇者……『聖剣使い』は述べていた。
それはまだ剣が鍛え上がっていないということ、なんだろうが……
具体的に、その剣を【虚無】とかいう、存在の観測さえできないらしい竜に届けるために、どういう方法で鍛えていくんだ?
俺は記憶を取り戻したけれど、魔術は『解析の時代』ほどじゃないし、力は第二災厄【憤怒】をやってたころほどじゃないし、そもそも『変貌の時代』にもらった力だってもう使えない。
「この剣を鍛えるのは、
聖剣使いは黄金の刀身を頭上に掲げた。
すると荒れ果てた海の直上にある黒雲がひとりでに裂け、陽光が剣に向けて降り注ぐ。
刀身は濡れたような輝きと燐光を放ち、あたりを照らす。
見惚れるほど美しい。
けれど、その輝きは━━
「世界が初期化されるごとに、竜を殺し続ける。この剣は【変貌】が蘇生する限り同じように世界に蘇生し続けるから、それが叶う」
存在の同一化。
どうにも【解析】は、この剣の復活と【変貌】の復活を紐付けするという、とんでもないことをやってのけたらしかった。
……その【変貌】と深くリンクさせた剣にやらせること、それは。
「そうしてこの剣は力を増していき……百か、千か、万か、途方もない数の竜の血を吸った果てに、いよいよ【虚無】さえ斬り裂くんだ」
それは、同族の血を吸わせ続ける旅。
━━聖剣の輝きは、竜の血の