素直な手を打つ、と俺は思った。
八路盤――ここではチェスと呼んでいた――は、俺達もよく夜番に当たるとやっていた。
夜は冷える。
寝ずの番の日には、皆火の側で暖まりながら、見回りの番まではそれで時間を潰すことが往々にしてあった。
俺は同じ歳の護衛騎士より早く彼等の中に居た。
だから当初からずいぶん鍛えられた。
禁止されていたが、見つかっても黙認される程度の金が掛けられることもよくあったから、大人達の腕はえぐい。
できるだけそれについていったのだ。
無論研鑽した者の様な強さは無い。
だがそれなりには。
まあ皇帝陛下のそれには全く及ばない。
ボロ負けした後、陛下は笑いながら元々将棋好きなのだ、と白状した。それも相当な。
だからこそ帝都では将棋大会となると、皇宮前広場を開放して行い、自分も楽しんで見に行くのだという。
時には一般に紛れて参加もするとか。
ちなみにその時、バルバラは俺が負けるのなら、と陛下の誘いは拒否した。
バルバラはどうしても俺に勝てないらしい。
始めた時期はそう変わらないはずなのだが、何処かやはり自分に甘さがあるのだ、と悔しがっている。
……まあ俺の腕はその程度だ。
そしてバルバラから容赦は無用、との目配せもあった。
なのであっさり倒してやった。
基本はできている。
だがあまりにも「勝負」になっていないのだ。
そもそもこの王子に闘争心は無いのか? と俺は思った。
ふとその時、ちら、とセレジュ妃の方を見た。
何だ?
今までの貼り付けた様な表情ではなく、食い入る様に盤面を見ていた。
*
俺等は離れに戻ると、訪問についての感想を言い合うことにしていた。
「どう見ても、今までの三ヶ所とは違いましたね」
ゼムリャが言う。
「うん。タルカ妃のとこもアマイニ妃のところも、親子の仲は良い感じだったのに、何というか…… 怖いくらい冷たかったな」
「あと」
俺はやはりこれは言うべきだと思った。
「セレジュ妃なんですが、俺とセイン王子が対戦していた時の目、怖かったですよ」
「息子が負けるのが嫌だったんじゃないのか?」
「いや、息子の手ではなく、盤面全体を食い入る様に見てました。俺の視線に気付かないくらい、微妙に目も動かしてましたから、おそらくあれは、頭の中で感想戦をしてましたね」
「そう言えば、セレジュ妃自身はともかく手を出しませんでしたね」
「うん。あれだけ色々揃っているのに、何故かな、とは思った」
「揃っている?」
ゼムリャが訊ねた。
「あの部屋、結構色んな形の将棋盤があった。帝都で陛下が見せてくれなかったら将棋盤だと気付かなかったが…… 壁に堂々と八角盤が掛けてあった」