「はぁ……はぁ……ゆうちゃん、随分遠くに飛ばしたなぁ……」
ボクはゆうちゃんの蹴り飛ばしたボールを探して、公園の森の部分まで歩いてきた。
僕の身長の何倍も大きい木ばかりで、辺りが暗くて少し怖いけれど、今更ボールを諦める事も出来ない。
「あ、あった!」
その時、やっと草木に埋もれているボールを見つけた。ここから30メートル先くらいで、ボクは走ってボールを取りに行く。
みんなを待たせているし、早く戻らなきゃ。そんな思いがボクを急がせた。
「ふぅ、良かった。ボール失くすとゆうちゃんすぐ拗ねるから……」
ボールを手に取り、木々の間から皆がいる方角へ視線を向ける。遠く離れているが、ゆうちゃんとあんちゃんが2人で仲良く追いかけっこしている姿がぼんやりと見える。2人の笑い声が響き、本当に楽しそうに戯れ合っている。
「……」
そんな仲の良い2人を見て、ボクも幸せなはずなのに……最近、ボクの心の中はモヤモヤする。
ゆうちゃんがあんちゃんと話したり、触り合ったりしていると……ボクはモヤモヤした気持ちになる。
なんだが、ゆうちゃんを『取られた』ような気持ちになってしまう。
「なんでだろう、変なの」
母さんに聞いたら、それはボクがゆうちゃんの事を『好き』な証拠だって言っていた。
好きな人を誰にも渡したくない、独り占めしたいって気持ちがあるからこそ、モヤモヤするんだと教えてくれた。
たとえそれが妹のあんちゃんでも、ボクはゆうちゃんを他の女の子に取られたくない。
そして、それが『好き』という事なんだとボクは最近になって自覚した。
「はぁ……なんだが、戻るのが恥ずかしくなってきた。ボク、1人で何考えてるんだろ……」
今までは単なる友達としての『好き』だったけれど、ここ最近は違う。
男の子として、ボクはゆうちゃんの事が『好き』になっていた。
お調子者だけど、かっこよくて、優しくて、サッカーが上手で、いつも笑顔のゆうちゃんの事がボクは好きなのだ。
この思いを伝えるのは、もう少し先かな。
伝える時にはどんな言葉で伝えようか。
ボクは高揚する気持ちを抑えながら、皆の待つ場所へ戻ろうとした。
そして、この直後にボクの日常は突如として終わりを迎える。
*
「ねぇ、そこのキミ」
「……え?」
ボクが地面からボールを拾い上げようとした時、森の奥から野太い男の声がした。
そして、その声の主はゆっくりと足音を立てながらこちらへ向かってくる。
こんな森の奥から人に呼び止められるとは微塵も思っていなかったので、ボクは少し驚いた。
「ふぅ、こんな暑い中でボール遊びなんて子供は元気なもんだ……全く」
声の主は、肥満体型の中年男だった。
伸びっぱなしの髪と髭、脂汗の染み込んだ黄ばんだTシャツ……不潔と不快感を押し固めたような男だった。
目の前の男の容姿と、異様さにボクは手に持ったボールを落とし無意識の内に後退りをする。
人を見た目で判断してはいけないと大人達は言うけれど、目の前の男が『普通』の大人では無い事は幼いボクでもすぐに分かった。
落としたボールは男の元へ転がり、そして男の足に当たって動きを止める。
「……あれ、これキミの?」
わざとらしくボクの方へ視線を送る男。
醜く太ったその男は何日も風呂に入っていないような汚臭を放ち、熱気と共にボクの方へそれが漂ってくる。嗅いだ事のないような汚臭に吐き気を覚え、ボクは1秒でも早くこの男から離れたいと思った。
「……はい」
「返して欲しいの? ねぇ?」
男は気味の悪い笑みを浮かべながら言う。
返して欲しいも何も、元々そのボールはボクたちのものだ。
男の態度に、ボクは苛立ちを覚え始める。
「あの、早く返してください……友達が待ってるんです」
「んー、どうしよっかぁ……返そっかなぁ……」
男の馬鹿にしたような態度にボクはムッとする。
こんな男の相手はしたくないが、ボールを奪われたまま帰る事は出来ない。
「あの……お願いなので早く返してくれませんか」
「嫌」
即答だった。大人の発言とは思えないような幼稚な答えが男から発せられた。
「あの……本当に返してください! ボールが無いと、みんなの所に帰れない……」
「それじゃあ、僕の車にもっと良いボールがあるんだ。それを持っていくと良い」
「あの……」
男はボクの声など無視し、森の奥へと歩き出す。
新しいボールなどどうでも良い。ただ、この男からボールを取り返して、みんなの元へ帰れればそれで良いのに。
「ほら、こっち!」
「あっ!」
男は突如、ボクから逃げるように走り出した。
ボクもそれに気付いて追いかける。
「待って!」
「ははっ、こっちこっち!」
男は挑発するように逃げる。
しかし、男が太っている為か逃げる速度は大した事はない。子供のボクでも十分に追い付ける。
それに気付いたボクは、全力で男を追った。