しばらくすると、男は森林を抜けた所で突然走る事をやめて立ち止まった。
そして、男のすぐ隣には恐らく男のものと思われる黒いワゴン車が停められていた。
「ほーら、新しいボールはこの中だよ」
男は黒いワゴン車のドアを開け、座席に腰を下ろす。窓には何か加工がされているのか、外から中の様子が見えないようになっていた。
「……はぁ、はぁ……返してくださいっ……新しいボールなんていりませんから!」
「良いから、とりあえずこっちに来なよ。ほらほら」
男は挑発的な態度でボクを車内へ誘う。
ボクは苛立っていた事もあり、ボールを取り返す事だけを考えて車内へ足を踏み入れる。
子供だとからかっているのだろうが、今はそんな事はどうでも良い。ただ、ボールが取り返せればよかった。
だが、この時のボクの行動はこれ以上ないくらいに愚かな行動だった。何故なら、ボクは自らの足で地獄の始まりへと足を踏み入れていたのだから。
「あの……さっきのボールは……」
暗い車内を見渡しても、先ほどのボールは見当たらない。男が意図的にボールを隠しているとしか思えない。
ボールが見つからない事に、ボクの苛立ちは更に積み重なる。
「あの、良い加減に!」
ボクが堪らず男に苛立ちをぶつけようとした瞬間だった。男はボクに勢い良く飛びかかり、強引に身体を押さえつけた。怪力で後頭部を座席のクッションに押し付けられ、口元に指を一気に突っ込まれる。
「げほっ! 助け……っ、ぐっ!」
「ほら、暴れないの。最近の子は脇が甘いなぁ、知らない人に着いて行っちゃ駄目だろう」
苦しむボクの表情を見て、男はニタリと笑った。
最初から、最初からこれが目的だったのか。
男の緩み切った表情を見て、確信する。ボクはこの男に誘拐されようとしている。
「んー! んー!」
口の中に指を突っ込まれながら、ボクは必死に助けを呼ぼうとする。
誘拐される恐怖より、このままゆうちゃんとあんちゃんと離れ離れになってしまう事が頭に過り、戦慄する。
「……うるさいなぁ」
しかし、その抵抗が男の癇に障ったのか、ボクは思い切り肋骨の辺りを殴られた。
ミシッという今まで聞いた事もないような、骨が軋んで折れる音が車内に響き渡る。
「ァ……」
ボクは声にもならない悲鳴を上げた。
今ので確実にアバラの骨の数本が折れただろう。
男はボクのような幼い子供に対して、何の躊躇もなく暴行を加えたのだ。
「あまり僕の期限を損ねるなよ。キミは僕の所有物になったんだから」