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第13話 諦め

 ボクは左目の耐え難い激痛に成す術も無く、泣き続けていた。

 左側の視界は血で汚れていて、何も見えない。 

 そして、徐々に光が失われていく感覚を覚える。


「ああ、こんなに汚しちゃって。これで拭いておいてね」

 ボクの血で汚れた床を見て、男が薄汚れた雑巾をこちらに投げてきた。

 左目からは絶え間無く血が流れ、血溜まりは広がる一方だ。

「綺麗にしないと、晩御飯は抜きだからね」

 男はそう言ってボクの前から立ち去る。

 ボクは目の前に広がる血の染みを雑巾で擦り始めるも、全く落ちる気配がない。もう畳に血が染み込み始めていて、雑巾では汚れは落とせない。

 それを見ているだけで気分が悪くなってきた。何故、自分の流した血を自分で掃除しているんだろう。

 顔中が血と涙でぐちゃぐちゃで、気持ちが悪い。

 ……あの殺してやりたい。けれど、非力なボクではあの男を殺す事など不可能だ。

 分かっている、考えるまでもない現実だが、改めてそれを認識した事でボクの中で深い絶望が増す。

「父さん、母さん、兄さん、あんちゃん、ゆうちゃん……ごめん、みんな……もう、みんなとは……きっと会えない」

 ボクが出来るとしたら、それはあの男の機嫌を損ねず、喜ばせ、楽に死ぬ事くらいだ。

 皆の元へ帰る事など、叶わぬ夢だ。

 左目の痛みに耐えながら、ボクは部屋の隅で静かに泣いた。


追想編 第14話 服従


 あれから、どのくらいの時間が経っただろう。

 時間を数えた事は無いが、ボクが攫われた夏から、既に冬へ季節は変わっていた。

 日常は相変わらずだ。腹が減れば男が食い残した腐ったモノを食い、男が暇になれば殴られ、蹴られ、痛ぶられる。

 煙草の火を押し付けられたリ、カッターで切り付けられたり、浴槽に沈められる事もあった。

 最初は何度も死ぬ、殺されると思ったが、人間は中々死なないものだ。痛みや苦しみはもちろんあるが、徐々に慣れ始めてしまっている自分がいた。

 恐らく神経か脳か、もしくは心が麻痺してしまったのだろうが、痛みが和らぐのならそれでも良い。


 そして、この期間で学んだ事がある。

 それは、この醜い男の情報と思考だ。

 男の名前は『糸田』というらしい。仕事はしていないようだが、金銭に困っている様子はない。

 そして、この男は自身より『弱い存在』を痛ぶり、苦しめ、従順にさせる事で自身の『支配欲』を満たしている。

 男がボクの悲鳴を好む理由、それは相手を完全に支配しているという現実を再確認したいから。

 だから、ボクが嘆き苦しむ事が男の喜びへと繋がる。


「ほーら、今日は特製ディナーだよ。多分、一昨年くらいのおにぎりなんだけどね、部屋の隅に埋もれてたからかなぁ、おにぎりの中の具に色んな虫が湧いちゃってさぁ……かなりレアだよね? これ」

 異臭を放ち、白っぽく変色したおにぎりをボクの前に置いた。今までの食事の中でもかなり不衛生で、危険なものである事は明白だった。

「……わぁ、美味しそう……ボクなんかが、食べて良いんですか?」

「もちろん! 食べて、どんな虫が湧いているのか当ててみてよ!」

 男は悍ましい提案を笑顔でしてくる。

 しかし、ボクは拒否しない。むしろ食事が出来る事への喜びを男に伝える。          

「んっ……よく分からないけど、あの白くてちっちゃいやつ?」

「蛆かな?」

「んー……」

 ボクはただむしゃむしゃと腐った米と蛆を口に押し込んでいく。味を感じる前に胃に押し込んでしまえば、普通のおにぎりと変わらない。この後の少しばかりの腹痛に耐えれば、生きてはいける。

「はは、そんな急いで食べないで。食いしん坊だなぁ……優姫ちゃんは」

 この頃には、ボクの感覚は完全に麻痺をしていた。今日はあまり殴られなかった、今日は血を流さなかった……それだけが日々の喜びだった。


「ねぇ、糸田さん」

「なんだい?」

「身体が痒くて、また沢山掻いちゃいました……ごめんなさい」

「ああ、これは酷い。また傷口が化膿しているじゃないか」

 入浴は数週間に1度の熱湯だけだ。それも全て男の機嫌次第なので、身体がまともな衛生状態を保てるはずがなかった。

 前に砕かれた爪もこの期間でかなり修復してしまい、また身体を無意識に掻きむしってしまう。

「また掻いちゃったんだね。優姫ちゃんの爪は悪い子だ……また、壊さなきゃね?」

 糸田は枕元にあったトンカチを取り出し、笑顔を浮かべる。

 当初のボクであれば恐怖で泣き叫んでいただろうが、今はもう違う。


「はい、ボクの指……全部糸田さんに潰して欲しいです。お願いします……」


 ボクは男に負けないくらいの笑顔で、自らの手を揃えて男の前に差し出した。


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