「あー、暑い……」
糸田は蒸し暑い部屋の中でそう言いながら、だらしなく床で寝転んでいる。
汗と脂に塗れた肥満体は、とても人間とは思えないくらい醜い姿だった。
「もう、夏も終わりですね」
窓の外を見ながらボクは言葉を返す。さっきまでは糸田がボクの体をライターで炙る遊びをしていたのだが、この気温では流石に長続きせず、もう飽きてしまったようだ。
「……今日は、外がいつもより賑やかですね」
外からは子供の声が聞こえた。ボクとそう変わらない歳だろう。両親と会話しながら、笑い合う声だ。ボクもこの男に出会わなければ、今もああやって家族や友達と談笑していただろう。
「……花火大会だよ。毎年この辺りでやっている」
糸田は不快そうに言う。
この数年、糸田はほぼ外出をしていない。買い物は全て通販で済ませ、ボクを痛めつける事だけが娯楽の糸田。自分より弱い相手を痛めつけ、自尊心を満たす事しかこの男の人生には喜びはない。
「……浩二さんは、お出掛けしないんですか?」
「必要無い。家にはキミがいて、僕の玩具になってくれる。外には僕が求めるものなんて何も無い」
糸田は無機質にそう答えた。
外に出れば自分より強い人間で溢れている。
この家ならば、糸田が強者でボクが弱者。
だから、この家から……居心地の良い自分だけの世界からわざわざ抜け出そうとする訳がない。
「……花火、か」
ボクは小さな声で呟く。
花火なんて、もう何年見ていないんだろう。最後に皆で見た時は……とても楽しかった。
「……見たい?」
「え……」
すると、糸田が意外な事を口走った。
今までの糸田なら絶対口にしなかったであろうボクを気遣う様な台詞だ。
「見たいの?」
「……見たいですけど、この部屋からじゃ見えないですよね」
「ベランダからなら見えるよ」
驚いた。糸田からこんな事を言い出すなんて。
誘拐されて数年、ベランダとはいえ外の空気に触れるなんて久しぶりだ。頭がおかしくなるかもしれない。
「え、ベランダで見て良いんですか!?」
「ああ。勿論、僕の目が届く範囲だけどね」
勿論、糸田はボクが逃げる事なんて考えてもいないだろう。まずこの部屋は3階とはいえ地面からはかなり高さがある。ここから子供のボクが飛び降りて、無事に逃げ出す事はまず不可能と考えるのが普通だ。
「……やった! 花火、花火!」
数年越しにやってきた外に出るチャンス。これは最後のチャンスだ。ボクは決心した。今夜、この瞬間にこの地獄から抜け出すと。