「はぁ……マジでムカつく」
父が帰り、ようやくお姉ちゃんは落ち着きを取り戻し始めた。けれど、まだ怒りが収まらない様でリビングの中をグルグル歩き回っている。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「葵ももっと言ってやりなよ! あいつ、葵の面倒だってまともに見た事ないでしょ?」
「それは別に良いよ。事実、治療のお金は出して貰っている訳だし……あの人がいなければ生きていけないのも事実だもん。お父さんにとっては、本当に迷惑な娘だろうけどね」
私は力無く笑う。
父の事は憎い。けれど、その父に頼らなければ生きていけない事も事実だ。私はお姉ちゃんの様にバイトも出来ないし、死ぬまで父に頼らなければならない。
惨めだけれど、これが現実だ。
「……私は、思ってないからね。葵が迷惑な妹だなんて」
「……ありがと。優しいね、お姉ちゃんは」
一体、父が何しをしたのか。
端的に言うと、父は母を死に追いやった。
勿論、直接的に殺した訳では無いが、間違いなく母を殺したのは父だ。
父は医療機器の中小企業を経営している社長だ。
父は一代で会社を作り上げ、成功を収めた。周りの人曰く、とても優秀なビジネスマンらしい。
そして、その実績相応に自尊心やプライドも非常に高く、会社でも多くの従業員へ圧力を掛けて退職に追い込んだ事もあったらしい。
つまりはとてつもなく傲慢な人間だという事だ。
対して、私達の母は平凡な専業主婦だった。
突出して何かが優秀だったり、特別な長所があった訳では無かったけれど、とても優しい母だった。
けれど、母はいつも傷だらけで疲弊していた。
母は、父から日常的に肉体的にも精神的にも暴行を受けていたのだ。
その傷が父から受けているDVが原因だという事にまずお姉ちゃんが気付いた。お姉ちゃんは怒りに任せ父に詰め寄ったが、父には全く相手にされなかった。
そして、DVは徐々に顕在化し始め、父は私達の目の前でも母を暴行する様になった。
仕事のストレスの発散なのか、理由は分からなかったが、父の暴言と暴力は日に日にエスカレートしていく一方だった。
当時、私もお姉ちゃんもその様子をただ見ている事しか出来なかった。1度、お姉ちゃんが母を守ろうと間に割って入ろうとした事があったが、父は幼いお姉ちゃんの顔を何の躊躇いも無く殴りつけ、腹を蹴り上げた。
そして、その時に思い知ったのだ。この家で父に逆らえる人間は誰1人としていないのだと。
そして約2年前……母は自殺した。
遺書は無かったが、DVを苦にした自殺である事は明白だった。
朝、私が起きてこない母を見に寝室に入ると……母は首を吊って死んでいた。
目の前で宙に揺れる母の死体を目の当たりにした時……私の中で、何かが壊れてしまった様な気がする。
父は母が自殺した事を何も気にしていない様子だった。気にしていたとすれば、世間体くらい。
表向きには病死という事で周囲には伝わった為、父の本性を知る人間は私とお姉ちゃん以外は恐らくいない。
そして、その事実を公表しない見返りとして、私達は父との別居を申し出た。
今日の様に何の前触れも無く帰ってくる事もあるが、基本的には私達と父は今後もこの関係性を続けていくだろう。母を殺されたあの日から、私もお姉ちゃんもあの男を人間と認識する事をやめた。
あの男は、悪魔だ。
だから、私は男性が嫌いだ。
外の世界の男性はもしかしたら違うのかもしれないけれど、父を見ていると男性というものに対して強い嫌悪感を覚える。傲慢で、身勝手で、高圧的で……私の中では、男性というのはそういう『種族』なのだと解釈している。
私は結婚する事も無ければ、誰かと付き合う事も生涯無いだろう。母の様な仕打ちを受けるくらいなら、私にはそんな相手は必要無い。
私にはただ、お姉ちゃんがいればそれで良い。