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第10話 憂鬱

 翌日、私はいつもの様にお姉ちゃんを送り出す。


「じゃあ、行ってくるね」

「うん、行ってらっしゃい」

「本当に大丈夫? 病院まで着いて行かなくて」

 私は今日、これから珍しく外出をする。

 定期診察を受ける為、病院へ行くのだ。

「大丈夫、タクシー呼んで行くから。単なる定期診察だし、すぐ終わるから大丈夫だよ」

「そう……何かあったらすぐに連絡してよね」

「いつも連絡しても出ないじゃん……」

「葵の身体の事は別! 何かあったら、すぐに行くからね!」

「はいはい……じゃあ、何かあったら連絡するね」

 お姉ちゃんはそれでも心配している様子だったが、そんなお姉ちゃんの背中を押して送り出す。


 そして、私も外出に向けて身支度を始めた。


 自宅からタクシーを呼び、病院へ向かう。大した距離では無いけど、身体の事を考えて行き帰りはタクシーを利用しているのだ。


 病院の待合室で待っている間も、私の中の不快感が収まる事は無かった。必要が無ければ、こんな場所へ来たくは無かった。

 そして『あの男』に会いたくも無かった。


「雪代さん、こちらどうぞ」

「はい……」

 看護師に名前を呼ばれ、診察室へと足を踏み入れる。そして、目の前には白衣を身に纏った初老の男、私の担当医である竹島だ。


「おおー! 久々だねぇ、葵ちゃん!」

「はい、お久しぶりです……」

 竹島の声に、私は目を伏せる。

 この男とは目も合わせたくない。

「あれ、今日も茜ちゃんはいないんだ? 久々に会いたかったんだけどなぁ~」

「姉は学校がありますから……」

 この男の顔、声、体臭……全てが不快に感じる。


 私は男性が嫌いだ。


 その最たる原因は間違えなく父なのだが、私が更に男性を嫌悪する原因となったのは……目の前にいるこの男による影響が大きい。


「で、今日は定期診察って事だけど……どう? 身体の調子は?」

「……大丈夫です」

「最近は冷え込むけど、本当に大丈夫? 寒いと体調も崩れやすいから……」

「本当に大丈夫なので……」

 一刻も早くこの空間から逃げ出したい私は、大丈夫と言葉を繰り返す。定期的な通院を義務付けられているので仕方無く通っているが、今すぐにでもこの場から離れたい。


「でも、せっかくだし念の為に色々と見てみようか。上、脱いでくれる?」


 そして、いつもの診察が始まった。

 竹島の言葉に、私の体は硬直する。身体が竹島に対して拒否反応を示しているのだ。

 幼い頃は特に気にも留めなていなかったが、私はもう本来なら中学校に通っている年齢だ。いくら診察とはいえ、初老の男に裸体を見られるのは不快だし、そもそも普通の行為でないという事も分かる。

 特にこの男の表情……身体を舐め回す様な薄汚い視線が、耐え難い。


「あの……」

「ん?」

「服、脱がないと駄目なんですか……?」

「いやいや、服の上からだとしっかり心音が聞けないからさ!」

 今まで何度も止めて欲しいと伝えたが、診察に必要だからと全く取り合って貰えなかった。

 私は既に確信していた、この男は自らの性欲を満たす為だけに私の診察を行なっている。


「なら、せめて下着は着けたままにさせてください……」

 無駄だと分かってはいたが、私は男の要求を拒絶する。すると男は、私の言葉に怪訝そうな表情を浮かべる。


「……何? 葵ちゃんは僕が『そういう目』で患者を見ていると思っている訳?」

「いや、そういう事じゃ……無いですけど……わざわざ、脱がなくても良いんじゃないかって……」

「そういう事でしょ? 僕みたいな中年の親父に裸を見られたくない、触れられたくないって事だよね? 君の事はお父さんの紹介で子供の頃から診察してきたんだけど……そう思われていたのならショックだなぁ……」

 ああ、駄目だ。こう男性に詰め寄られると、私は怖くて自分の意見を通しきれない。

 もしお姉ちゃんなら、この場でこの男を殴り倒している事だろう。けれど、私は弱い。自分の意見を突き通す事なんて、とてもじゃないけど出来ない。


「いや……ごめんなさい……」

「僕はね、患者さんの為に粉骨砕身、全力で向き合っているつもりなんだけどね? その取り組みを『変態』扱いされるのは心外だなぁ」

「……ごめんなさい」


 怖い、男の人に詰め寄られると、怖い。 

 父を思い出す。自分の思い通りにならなければ暴力で手なづけ、女を支配する。

 この場で殴られる事は無いと分かって入るけれど、母が父に殴られる光景がフラッシュバックする。私は、男の人が怖い。


「……分かってくれれば良いよ。さぁ、じゃあ始めようか」

「はい……」


 私はダメだ、出来損ないだ。

 身体が弱く、心も弱い。何も出来ない。

 私は黙って衣服を脱ぎ、目の前の男に身体を晒す。


 それを見て、男は下品な笑みを浮かべながらベタベタと私の身体に触る。

 ほんの数分、耐えれば良い。そうすればこの苦しみは終わる。


 私は自らにそう言い聞かせ、必死にこの時間を耐え続けた。


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