参考書を開き、問題を解いていると亜里沙が私のノートを覗き込んでくる。
「葵ちゃんってさ、偉いよね。家事だけじゃなくて空いた時間でちゃんと勉強して」
「他にやる事もないですし、勉強くらいはしておこうかなって」
「将来、何かなりたいとかあるの?」
「……どうでしょう。大人になるまで生きていられるかも分かりませんし」
「あー……」
私の返答に亜里沙は言葉に詰まる。私もちょっと意地悪な言い方だったな、と言ってしまった後に思う。私と亜里沙の間に気まずい沈黙が流れる。
「亜里沙さんは? 夢とかあるんですか?」
「私? あー……恥ずいんだけど、獣医とか良いかなって思ってて……」
「獣医? あの動物の?」
「うん、実は動物好きで……可愛いじゃん。それに、動物は人に偏見を持ったり、差別したりもしないから」
「まぁ、確かに」
気まずさから咄嗟に亜里沙に話題を振ったのだか、意外な答えが返ってきた。
「私が中学で荒れてた時、親含め周りの大人は私を腫れ物扱いして見捨てたの。私が原因ではあるんだけど、本当は結構キツかったの。だけど、家で飼ってたペットだけは子供の時と変わらず私に懐いてくれたんだよね。動物だからっていうのはもちろん分かってるけど、それでもそれが嬉しくてさ」
「へぇ、犬とか猫ですか?」
「うん、犬」
「じゃあ今度連れてきてくださいよ。私、あんまり動物と触れ合った事がなくて」
子供の頃からペットを飼った事もないし、動物園にも行った事がない。最近、動物に触った事と言ったら……『供物』を調達する時くらいだ。
動物は嫌いじゃないし、可愛いと思う気持ちも分かる。だから、亜里沙の犬を見てみたいというのも私の本心だった。
けれど、私の言葉に亜里沙の表情は突如曇る。
「そうしたい所なんだけど……死んじゃったんだ、この前」
「え……」
「葵ちゃん知ってる? ここ最近、この辺りで動物が無差別に虐待されたり殺されてる事件」
「……聞いた事はあります」
全身の血の気が引いて、鳥肌が立つ。
亜里沙の大切なペットを、いや大切な家族を……私が奪った? 供物にする為に……。
「うちで飼ってた犬、少し前にその被害に遭ったんだ。外で飼ってたから、家族がいない時を狙われて……」
あの時の記憶が蘇る。家に誰もいない事を確認して、私は忍び足で庭に入ったのだ。
「鳴けないように口を針金で縛られて、前足を刃物で切り落とされてた。私が見つけた時には辛うじて生きていたけど、その後に傷口から感染症にかかって……死んじゃった。あの日、私が家に居ればとかあの日だけは家の中に入れてあげていればとか……色々考えちゃって、本当に辛かった」
間違いない、やったのは私だ。
供物の為には仕方ない、必要な犠牲だ……自分にはそう言い聞かせていたけれど、奪われた側からすればそんな事は関係無い。
「けどね、あの子のおかげで私の中で1つ決心がついたの。動物を失う事で傷付く人をこれ以上増やしたくないって。私の学力じゃ獣医なんて無理って言われちゃうけど、本当はみんなに隠れて勉強も始めたんだ。短絡的過ぎて笑えるでしょ!」
亜里沙は表情を明るく作り変え、笑顔でそう言う。家族を失いながらも、亜里沙は自分なりに立ち上がろうとしているのだ。
「そんな事ないです。大切なものを守る為に、必死になる事は誰にでも出来る事じゃありませんよ。私は……亜里沙さんの事を尊敬します」
「ねぇ、今度からここで勉強して良いかな? 葵ちゃん、頭良いんだから勉強教えてよ!」
「獣医の勉強は担当外ですよ……」
私はそう言って亜里沙と笑い合った。
亜里沙は私が犯人だと知ったら、どう思うのだろう。