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第67話 夢の舞台

(……負けたなぁ)


金松選手に一本負けしてタイトルマッチに敗れた俺は、自宅に引きこもっていた。

例え敗戦の後でもいつもならすぐに身体を動かしたくなるものだったが、どうも今回の敗戦は違っていた。

金松選手との実力差を強く感じ、ショックが大きかったのだ。はっきり言って悔しさも感じなかったという方が正確だろう。

「あの時違う選択をしていれば結果は違っていたんじゃないか?」と思えるのが悔しさの正体だ。

今回の敗戦にそんなは存在しなかった。今の俺がどれだけ最善を尽くしても金松選手には勝てなかっただろう。全局面で詰まされたようなはっきりとした実力差を感じていた俺には悔しがることも許されていないというわけだ。


「……やっぱ俺は格闘技なんて向いてなかったんじゃないのだろうか?」


ベッドの上から天井を見上げながら出てくるのは、そんな言葉ばかりだった。

何かある度に似たことを言っている気はするが、何度考えても本当にそう思うのだから仕方ない。

俺みたいな人間がプロデビューできて、タイトルマッチまでやらせてもらえたのが身に余る幸運だったのだと思う。ここまでこれただけでも充分なのではないか? ここからは普通に大学を卒業して普通に就職して生きてゆくべきではないのか?

大学生らしく合コンなんかに参加して「あんまそんな風に見えないだろうけど、実はコイツプロの格闘家だったんだぜ!」なんて男友達に紹介してもらって、女性陣から「え~、全然見えない! スゴイ!」とか反応をもらって、それで一時的にその場を盛り上げることができたら……別にそれだけで充分なんじゃないだろうか?

頭の中をぐるぐる回っているのはそんなことばかりだった。




ベッドに寝転がったままふとスマホを見ると9月31日と表示されていた。今日はアレの日だ。忘れたつもりでも忘れられはしないようだ。


(……一応、観とくか?)


格闘技なんかもう充分なんじゃないだろうか……という思いが大きくなっていても、やはりこの日が特別な日であることは身体が覚えている感覚だ。

今日は宮地君のFIZINデビュー戦の日だ。


「宮地大地、まさかのKO勝利だ~~!! MMA転向後の無敗記録をまた一つ伸ばした~!!」


(何回も観たって、この映像は!)


モニターの電源を入れると宮地君のKO勝利の場面が流れてきた。

と言ってもこれはリアルタイムの映像ではない。

映像で流れていたのは俺が宮地君を研究するために何度も何度も見た、ダンクラス新人王戦での試合だった。

今流れているのは事前の選手紹介の煽りVTRというやつだ。これから戦う選手たちの試合シーンや舞台裏的シーンも含めて紹介し、視聴者が感情移入できるように作られた映像だ。

俺のような当事者側の人間には演出臭さも感じて時々鼻白む場面もあるのだが、知識の少ないライトファンにとっては選手の魅力がダイレクトに伝わる映像だろう。こうした映像を見てファンは試合をどうやって観るかを徐々に学んでゆくのだ。

どんな業界も常に新たなファンを引き込み続けなければ衰退するばかりだ。マニアにはマニアの楽しみ方があるものだが、ライト層の楽しみ方を馬鹿にするような風潮は業界のためにならないだろう。


「……悪そうだなぁ、今どきこんなコテコテのヤンキーいるかよ……」


映像が切り替わり、宮地君の対戦相手の紹介に変わった。

派手なツーブロックの長身、必要以上に細く整えられた眉毛と三白眼。元不良たちを集めたことを売りにしている新興団体『FIGHTING LABO』出身の新谷しんたに・ケルベロス・篤人あつと選手だ。

『FIGHTING LABO』は最近になってSNSのショート動画などを中心にバズって急激に人気を伸ばしてきた団体で、ケルベロス選手はその看板選手の1人のようだ。SNSのフォロワー数で言えば俺の数十倍になる。

まあプロの目から見れば毎日真面目に格闘技の練習に取り組んでいる選手の方が強いに決まっているのだが、素人目には不良っぽい見た目や試合前の派手な乱闘などのシーンを打ち出した方がわかりやすいようで『FIGHTING LABO』の選手たちの人気は急上昇中といったところだ。


国内最メジャー団体であるFIZINだが、意外とこうしたバラエティに富んだ選手が出場してくることがあるのも伝統的だ。真面目に格闘技に取り組んでいる選手ばかりのダンクラスとはまた少し雰囲気が違っている。過去にはプロレスラーや大相撲出身の選手、さらには筋肉自慢の芸能人がリングに上がったこともあるくらいだ。

こうした傾向を厳格な格オタが「本物の格闘技とはとても呼べないお遊び団体だ!」などと批判する声もあるが、ライト層の興味を惹くにはこうした毛色の試合も間違いなく必要だ。FIZINではこうしたバラエティ的なマッチメイクがある一方で、タイトルマッチなどでは各団体のチャンピオンが鎬を削っており、間違いなく日本最高峰の戦いが繰り広げていることは誰もが認める事実なのだ。

その幅の広さこそがFIZINという舞台の魅力だろう。


(……不良上がりにしてはきちんと基礎ができてるよな。まあつっても、宮地君の敵じゃないだろうけど……)


だがケルベロス選手(本名:新谷篤人)の紹介映像を見ていると、打撃はかなり綺麗で格闘技経験者であることは間違いなさそうだった。不良っぽい見た目や態度も人気獲得のためにプロデュースされた演出なのかもしれない。

だがそれでもケルベロス選手が宮地君を本気で倒す可能性があるとは思えなかった。

まあつまりこの宮地大地FIZINデビュー戦も、宮地君を勝たせるマッチメイクなのだろう……ということだ。FIZIN運営の「宮地大地を新たなスター選手として育ててゆこう」という意志がはっきりと表れているように俺には思えた。

まあオリンピック金メダリストの19歳。MMAに転向してからは無敗の新人王。少年漫画の主人公のようなルックスとキャラクター……誰が見てもスター選手として注目を集めるのに相応しい素材であることに異論はない。


(もしあの試合で俺が勝ってたらなぁ……)


ふと気付くとまたそんなことを思っていた。仮に宮地君にダンクラス新人王戦で勝っていたとしても俺には彼ほどのスター性はない。だから宮地君の代わりにあの舞台に立っていた、なんてことは有り得ないことだ。今の宮地君の状況があるのは単にダンクラス新人王になったからではなく、彼自身の資質によるものだ。

……だがそれでも、もしかしたらFIZINの舞台で、日本最高峰の舞台に俺も上がっていたのではないか……そんな思いが消えることはなかった。


「……ははは、しっかりと俺も格闘技沼に沈んでたんだな」


さっきまでは格闘技なんてもう辞めようかと真剣に考えていたのに、ちょっと映像を見ただけであの場所に立っていたのは俺の方だったんじゃないだろうか……なんて都合の良いことを真剣に考え始めていた。

単に俺の性格が現金なものなのか、あるいは格闘技の沼に肩まで浸かってしまった俺が今さらそこを脱け出すのは不可能、ということなのかもしれない。




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