あっという間に月日は流れてゆく。
大晦日にFIZINデビュー戦を勝利で飾った宮地君だったが、さらにそのわずか2か月後の大会にも出場し勝利を収めてしまった。相手は
花房選手はもう41歳となっていたが昨年も2試合に出場し、FIZIN・日本MMA界にベテラン選手が健在であることを証明し続けているレジェンド的な選手だった。日本MMA界の人気が低迷していた若い頃は海外の有名選手を迎え撃って界隈を盛り上げ、また自身が海外の団体に挑戦したこともあった。「中年の星」ともいうべき存在であり、特に同世代のファンから熱い支持を集め続けている選手だ。
そんな選手に宮地君は勝利を収めた。
この試合は判定までもつれ込む熱戦だった。グラウンドでは上を取っては取られのスクランブル戦となり、スタンドでも両者ともに一歩も引かない打ち合いとなり熱い戦いを繰り広げた。
だが最終的には宮地君が一歩上回り3-0、フルマークの判定勝利を収めることとなった。
「今までありがとうございました! 今日でおじさんは引退する決心ができました。支えてくれたみんな……本っ当にありがとうございました。こんな歳になってまでリングで殴り合ってお金をもらえる生活ができて俺は幸せだったなと心から思います。最後に戦ってくれた宮地君、最後に相応しい素晴らしい相手でした!」
この時は引退を表明した花房選手に注目が集まった。
だが時が経つにつれて宮地大地の評価は上がってゆくばかりであった。FIZIN新世代の台頭、そして世代交代という構図がより浮き彫りになっていった。41歳のベテラン選手を20歳の注目株が真っ向勝負をして破ったのだ。花房選手を長年応援してきたファンたちの中には、宮地大地というブライテストホープに鞍替えして応援し始めた人たちも少なくない……という話が流れてきたのはそれから少し経ってからのことだった。
「ありがとうございました、また来週お願いします」
「おう、お疲れ様。待ってるよ!」
それからさらに2か月ほどが経過し、4月も半ばになった頃だった。
出稽古に出向いていた小仏選手の道場を後にすると22時を回っていた。しばらくお休みしていた小仏選手との練習を最近になって再開していたのだ。
大晦日の宮地君の活躍は色々な意味でショックだったが、2戦目の勝利で彼が一気に実質的なFIZINレギュラー選手となったのを見るとショックな気持ちすらも抱かなくなった。俺が宮地君と戦ったことがあるといっても、もう彼は完全に別の世界で戦っている人だと吹っ切れてきた。
当然だが俺は俺のステージで戦うしかない。俺の方はダンクラスで着実に結果を出して、またタイトルに挑戦できるだけの位置に食い込む……新人王優勝者の代役としてのボーナス的なタイトルマッチではなく、実力でランカーにまで食い込めるようにやってゆくしかないのだ。
明日も朝から大学だから帰り道を急いで駅まで向かっていると、師範から着信があった。
いつもはメッセージを送ってくることがほとんどで、電話をかけてくることなど滅多にないので若干の警戒心を持って電話に出た。
「……もしもし、保君か!? ちょっと大変なことになったぞ!」
「なんですか、いきなり?」
今まで聞いたこともないくらいの師範の声色に、俺も不安が拭えなかった。
「さっき連絡があってな、えっと井伊CEOからだ。FIZINの代表のだ! 次のFIZINに保君が出られないか? という問い合わせだったんだ!」
「は……冗談ですよね?」
今は4月半ばだからエイプリルフールにはもう遅すぎるし、そもそもあまり面白いウソとも言えない。
「冗談じゃないんだよ! おじさんもメールで送られてきた時は全然信用できなかったから電話して問い合わせてみたんだよ! そしたら井伊さん本人から『間違いなくその通りのオファーを送った』って言質をもらったんだよ!」
「え……」
想像だにしなかった事態に俺は混乱して状況が理解できていなかった。いや、別にさして複雑な事態なわけではないから理解が困難なはずはない。受け入れるのに拒否反応が出ていた、という方が正確だろうか。
「ちょっと、一回そっち行きます。夜遅くに申し訳ないですけど……」
電話越しの会話では不安だった。師範と顔を合わせて話したかった。
それから数十分後、俺は慣れ親しんだ『FIGHTING KITTEN』の空間の中で師範の顔を見ると一瞬だけホッとしたが、師範の顔を見るとどう俺以上に動揺しているのが伝わってきて、笑ってしまいそうだった。
俺も井伊CEOから届いたメールの文面を見せてもらい、その内容を確認した。
オファーは5月5日に行われる『FIZIN 225』大会で、対戦相手は
「返事は明日の正午までに頼む」ということだ。今日の夜遅くに連絡してきて明日の正午に返答をくれ……とはずいぶん無茶苦茶なオファーだが、運営側もそれだけ緊急事態だということだ。
試合まで3週間弱。俺がもし試合を断ったら次の相手を見つけなければならないわけで、それだけ運営側も時間がない。運営側としては会場も抑え、椛島選手も試合に向けてコンディションを作ってきているわけで試合中止だけはなんとして避けたい事態だ。俺もダンクラスの試合の裏側を見てきただけに運営側の心理も想像できるようになった。
「……どうする、保君? 相手の椛島俊太君はアメリカ帰りのMMAエリートといっても良い選手だ。正直厳しい戦いになるのは間違いないだろう。それにFIZINの提示してきた条件もはっきり言って良くはない。ファイトマネーもダンクラスの半分以下だしだな……そもそも時間が無さ過ぎる! これから3週間弱ではまともな練習は難しいだろうし……」
「やりますよ、師範。……俺、試合出ます」
はっきりと俺は言い切った。
師範の電話からここに移動してくるまでの数十分の間に俺の心は決まっていた。どんな相手だろうと、条件が悪かろうとも、大きな舞台で試合ができるならば受けないわけはないだろう!
自信なんてものは1ミリもないと言って良い。俺はダンクラスで連敗中だし、自分がそんな大舞台に立つのが相応しい人間だとは思わない。でもこんな風に舞い込んできたチャンスを自分から手放すなら、何のためにプロ選手になったのだろう、ということになる。
静かに言い切った俺を見て師範は色々と言いたげな表情をしたが、俺の決意を感じたのだろう。思考をすぐに切り替えたようだった。
「……わかった! 短い時間だけど、おじさんも精一杯サポートする。絶対勝とう!」
「はい。お願いします!」
改めて俺は師範の手を取り、頭を下げた。