目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第70話 『逆襲のいじめられっ子』

翌日からFIZIN初戦へ向けた練習が始まった。


FIZINではオープニングファイトというものがある。まあ悪い言い方をすれば前座の試合だ。FIZINでは基本的にMMAの試合がほとんどだが、オープニングファイトではキックボクシングルールの試合も多いし、出場選手も知名度の低い選手が多い。

FIZINは開場から終演までかなりの長丁場だ。そのためオープニングファイトは正直言って客席もガラガラと言って良い。だが少なくともオープニングファイトに出場する選手の熱心なファンや、応援する仲間たちは客席を埋める。

オープニングファイトは運営側の少しでもチケットをも売るための経営的戦略の側面が強いのだ。


だが初参戦とはいえ俺の試合はオープニングファイトではない。本戦の第5試合となっている。

本来であれば初参戦で実績のほとんどない俺がそんな位置で試合できるはずもないのだが、対戦相手の椛島俊太選手によってそんなことが可能となったわけだ。


(……いけ好かねえ野郎だな……)


椛島俊太選手のことはほとんど知らなかったのだが、対戦が決まり情報を仕入れてゆくにつれてそんな気持ちが強くなっていった。

椛島俊太選手は俺より2歳年上の22歳。元々アメリカ育ちで、本場のMMAによって育ってきた、という触れ込みだ。何か特定のバックグラウンドがあるわけではなく最初からMMAを始め、去年アメリカのローカル団体でチャンピオンとなり、日本に凱旋し今回がFIZINデビュー戦となるとのことだ。

長髪の金髪で普段はサングラスに派手なスーツ姿……というホストのような格好で会見などにも現れる。華のある見た目と同様に試合でも派手なKO勝利が多く、これは人気の出る選手であることは少し見ればわかる。


(だから俺みたいな人間を対戦相手に抜擢したってことだな……)


少し椛島選手のことがわかってくるとFIZIN側の思惑も手に取るように見えてきた。

FIZINは彼をスター選手に育てたいのだ。バンタム級という階級で椛島俊太と宮地大地という2人のスター選手を育て、ライバル関係の構図を見せることで盛り上げてゆきたいのだろう。

熱血主人公キャラでオリンピック金メダリストの宮地大地。本場アメリカで子供の頃からMMAエリートとして育ってきた椛島俊太……華と実力のある2人が同時期に揃うのは稀なことだろう。

その構図を発展させてゆくために椛島選手のFIZINデビュー戦は絶対に負けてはならないのだ。椛島選手がスター選手として駆け上がってゆく姿を運営は求めている。だから実力も実績も彼に劣るであろう田村保という選手が彼のデビュー戦にあてがわれたのだ。

俺は当て馬と言って良い。


(しかし『逆襲のいじめられっ子!』は良いキャッチフレーズだよな!)


だがそのためには、俺のようなどこの馬の骨とも分からない人間に対するキャラクター作りも必要だ。対戦相手が単なる弱小選手では客も感情移入できないからだ。

FIZINはそうしたプロモーションの上手さには定評がある。俺の練習風景を映すカメラも入り、今回の試合のプロモーション映像が公開されたのだが、その時俺に与えられたキャッチコピーが『逆襲のいじめられっ子』である。

高校まで何の格闘技経験もない俺が、いじめから脱却するためにジムに入り、やがてのめり込んでゆきプロMMA選手にまで辿り着いた……というのがFIZINの描く田村保のストーリーだ。

もちろん大枠ではその通りで嘘は無い。俺自身としては忘れかけていた「いじめられっ子」の時期を思い出させられたことは、もう他人事のような不思議な感覚だった。




「よし、じゃあ今日はこれくらいにしておこう」

「……ありがとうございました」


試合まで1週間と迫ったこの日をもって本格的な練習は終了した。後の期間は減量で手一杯となる。

はっきり言って試合まで3週間という急遽のオファー・出場決定だったのでほとんど追い込むような練習はできていない。減量してコンディション調整をするだけでいっぱいいっぱい、というのが正直なところだ。

だけど自信がないわけじゃない。連敗中だし、FIZINという大舞台にビビっていないかと問われれば間違いなくビビっているし、相手の椛島選手は間違いなく強敵で果たして俺が勝てるのか? と震えてはいるが、それでも試合は楽しみだった。

それは試合の決まっていない期間も毎日コツコツと練習を重ね、間違いなく自分が強くなっているという自信があったからだ。強くなった自分を試合という舞台で試してみたいという気持ちが俺を支えていた。




「田村保選手、60,9キロ! クリアです!」


「椛島俊太選手、61,0キロジャスト! クリアです!」


短期間の減量は不安も大きかったがなんとかクリアすることができたし、コンディション調整も思っていたよりも上手くいった。

だがダンクラスとは比べ物にならないくらいのカメラの数には流石に閉口した。試合前のプロモーション活動の多さにも少し戸惑ったが、ともかくそれらは昨日までで全て終わり明日はいよいよ試合当日だった。


「……よろしくお願いします」

「よろしくね」


公開計量・フェイスオフが終わったタイミングで俺は椛島選手に声を掛けた。近寄った椛島選手からは香水の香りがした。

……まあ人それぞれのスタイルがあるし、不潔なよりは百倍マシだが、こんな男同士の戦いの場に香水を付けてくる彼の感覚が俺には理解できなかった。


「あ~、ダメだよ。今はファンの人は立ち入り禁止だよ? サインとかはイベントの時に対応するから、ごめんね~」


握手をした椛島選手が俺の方ではなく他所よそを向いていきなり言い出したので、何事かと思いそちらを向くとその先にいたのは……だった。


「……私のことですか?」


不意に声を掛けられたがキョトン顔で応える。


「いやぁ、熱心なファンの人がいるのは本当にありがたいことだよ? 格闘技がファンの人がいて成り立っているのはもちろんボクは理解している。でも本当のファンなら選手にもっと気を遣った方が良いよ。試合前の計量会場にこっそり忍び込むなんてのは、ファンとして褒められたことじゃないなぁ!」


最初は何を言っているのかわからなかったが、どうも椛島選手はすずのことを自分を追っかけて計量会場にまで忍び込んでしまった熱狂的なファンだと誤解しているようだった。


「椛島さん……あの、その子はウチのセコンド陣の1人なんです……」


俺がおずおずと声を掛けると、椛島選手はぱちくりと目を瞬かせた。


「……Really?」


それに合わせてすずが胸から下げた関係者パスを掲げて彼に見せつける。すずは元々胸の前でパスをぶら下げていたのだが、どうも椛島選手の目には入らなかったようだ。


「……そうか、これは失礼した。とても可愛らしいお嬢さんだから、ボクのファンだったら試合後誘ってみようかと思っていたのだけれどもね。……まあ、田村君だっけ、明日の試合はよろしく頼むよ」


一方的にそう言うと椛島選手はスタスタと立ち去ってしまった。どうも随分と掴み所のない人のようだ。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?