(あの野郎、なんかムカついてきたな!)
前日の公開計量後、対戦相手の
もう一つの点は「コイツはただただ自分が人気者になるため、世に出てゆくためにMMA、そして日本で人気となってきているFIZINという舞台を利用しようとしているだけなのではないか?」という疑念に因る。こちらはFIZIN運営によって事前に作成された選手紹介VTRを見ることでより深まっていった疑念だ。
(ボンボンの帰国子女がなんでMMAなんてやってんだよ!)
椛島俊太選手が22歳のアメリカ育ち『本場仕込みのMMA』という触れ込みで、今回FIZINデビュー戦となることはすでに述べた。そして研究のために彼の試合映像や様々な情報を集める中で見えてきたのが、彼の恵まれた環境だった。
親の仕事の関係で幼少期から海外で生活して、様々なスポーツを経験しながら最終的にMMAを選んだという。成績も優秀で大学では学費免除の待遇を受けていたらしいし、おまけに容姿端麗。俺が目にしてきた情報によれば、非の打ち所のない生まれながらの勝ち組……のように映った。
すずのことを追っかけ女子と勘違いしたのも、今までそうしたファンに付き纏われた経験がそうさせたのだろう。ファンが多いのもそれはそれで大変なのだろうが、俺にはそんな熱心なファンなど存在しないし、会場で女子から声を掛けられたことも一度もない。
(そもそもアイツはなぜMMAをやってるんだろうな?)
余計なお世話だが彼ほど恵まれた人間ならば、別にMMAじゃなくても良かったはずだ。
アメリカならばもっと稼げるスポーツが身近にあっただろうし、頭脳明晰ならば別に格闘技なんて野蛮なことをせずともどんな選択肢もあっただろうに。
日本でMMAがちょっとしたブームになりかけているので、自分の経験を生かして手っ取り早く人気者になろう……という肚なのだろうか?
(ま、なんでも良いんだよ! 明日はアイツをぶっ飛ばす!)
椛島選手には椛島選手の思惑があるに決まっているし、考えたところでそれを知る術はない。
俺の推測はすべて俺の一方的な思い込みだ。それも多分に嫉妬混じりのロクでもないものだ。
だがこれだけ視線が対戦相手にフォーカスしているというのは実は悪くない状態だ。FIZINデビュー戦という今までとは違うステージにばかり気が取られると、ビビッて固くなってしまう。対戦相手のことだけを考えられているのは試合前の状態としては悪くないはずだ。
「試合前の椛島選手のアップの動きなんかも加味すると、ステータスはこんな感じだと思うわ」
いよいよ試合当日となりリングチェックも済み、控室に戻ったところですずが椛島選手のステータスを教えてくれた。
◎椛島俊太
・スピード80 パワー73 スタミナ72 打撃83(OF82、DF84) 寝技60(OF54、DF66) レスリング72(OF69、DF75)
ちなみに俺のステータスは以下の通りだ。
◎田村保
・スピード73 パワー71 スタミナ70 打撃78(OF83、DF73) 寝技65(OF62、DF68) レスリング65(OF59、DF71)
「……了解、まあやるしかないよね……」
昨日は椛島選手への敵意を奮い立たせ何とか落ち着いていたが、当日になりリングチェックや様々な開幕の催しを経る内にやはりどうも心が落ち着かなくなってきた。
ダンクラスとは会場の雰囲気や規模感も何もかもが違うことが視界に入り始めてきたのだ。
FIZINのマットも何だかフワフワと柔らかいような気がしてとても落ち着かなかった。
(あ~、ヤバいヤバい……なんでFIZINの試合のオファーなんて受けたんだろう? なんでこんな1万人以上いる会場で負けっぷりを晒さなきゃいけないんだ? 今から戦争でも起きて試合中止にならねえかなぁ!)
試合まで2時間ほどと迫り俺の心は非常にナーバスになっていた。
どんな試合でも緊張はするが、ここまで逃げ出したいような気持ちは初めてだった。こんな精神状態でケージに入っても勝てるわけないんじゃないだろうか?
「大丈夫よ、誰も保君に注目なんかしてないから!」
不意にすずがそんなことを口に出したので、俺も隣にいた師範もびっくりして時が止まった。
俺は自分の気持ちを言葉に出してはいなかったのだが、俺の精神状態がヤバいことがすずには伝わっていたのだろう。
「おい、すず、なんてこと言い出すんだ? 保君も、ワシだって……この大舞台のために死ぬ気で作り上げてきたんだぞ! それを誰も見ていないなんて言い出すとはどういうつもりだよ?」
流石に師範がすずの言葉を嗜めた。実の娘の言い出した言葉に師範も驚いているのだろう。叱るとか怒るというよりもただただ狼狽している……といった言い方だった。
「いや、師範……すずちゃんの言う通りですよ」
だが俺自身はすずの言葉がとてもしっくりきていた。
そりゃあそうだ。FIZINという日本の最メジャー団体で俺の知名度はほぼゼロだろう。
「どこの馬の骨とも知れないガキ。どう見ても次世代のスター候補椛島俊太を勝たせるための当て馬に過ぎない……それで良いんですよ!」
その上プロフィールを見てもさして実績があるわけでもない。なんでこの程度の選手がFIZINの舞台に立つの? と思う観客がほとんどだろう。
そして俺の試合相手を見て納得するわけだ。ああ、この試合は椛島俊太に勝たせて華を持たせるための試合なのね……と。
MMAは正真正銘の実力勝負ではあるが、マッチメイクは運営側の意図が現れるものだ。ある程度目の肥えたファンは当然そのことに気付くだろう。
俺に与えらえた役割は惨めな当て馬、斬られ役……。その通りだろう。
だが試合だけは正真正銘の真剣勝負だ。ケージの中に入ってしまえば外野の思惑は意味を為さず、向き合った2人だけのものとなる。
「誰も俺が勝つなんて思ってないよね。負けて元々。……だからやりたいようにやってみますよ!」
開き直った俺はリラックスして試合に臨むことができた。