「俊太~!!」「俊太く~ん!!」「絶対勝って~!」
いよいよ試合開始のゴング……というタイミングで椛島選手に対する観客からの声援は一気にピークとなった。観客にとっても『推し』のデビュー戦をこうして目の当たりにできるというのはそれだけ感慨深い瞬間なのかもしれない。
椛島選手はSNSの総フォロワー数100万人近いほどの絶大な人気をすでに持っていた。本格的な日本でのプロデビュー戦はこの試合だというのにである。ほとんどの観客が「椛島俊太という次世代スターがデビュー戦でどんな活躍を見せるのか?」を観に来ている……まあつまり俺にとっては完全なるアウェーの試合だということだ。
(コイツ……意外とナーバスになってるんじゃねえのか?)
だが、あまりの
椛島選手は入場から派手なスターオーラを全開に観客を煽っては盛り上げるパフォーマンスを見せていたが、リング上で目を合わせるとどうもかなりナーバスになっているように感じられたのだった。
この試合の勝敗で大きく命運が分かれるのは、俺よりも椛島選手の方だろう。椛島選手も自分を取り巻くそうした環境……FIZINのスター選手に育て上げようという気配は強く感じているはずだ。どう考えてもプレッシャーを強く感じざるを得ないのは椛島選手の方だ。ナーバスにならないはずがない。
もちろんすべては俺の希望的観測に過ぎない……という可能性もある。
「バッティング、サミング、ローブローに気を付けて。クリーンファイトで!」
試合開始前のレフェリーからの注意はダンクラスとさして変わりがない。舞台は違えど同じMMAをやるという点で違いはない。そのことを思い出すと俺の心は少し落ち着いた。
カーン!
いよいよ運命のゴングが鳴った。
「さあ注目の椛島選手のFIZINデビュー戦が始まりました! おっと一気に距離を詰めていったのは椛島選手の方だ!」
(……んだよ! いきなり全開かよ!)
椛島選手の方が試合開始と共に猛ダッシュして一気にラッシュを仕掛けてきた。
遠間から飛び込んでのワンツー。さらに追撃のミドルキックを放ち、後ろに下がった俺に対し再び飛び込んでパンチを連打し、距離が詰まると膝蹴りを放つ……本気で仕留めるつもりであろう打撃の雨を降らせてきたのは椛島選手の方だった。
意表を突かれた俺は守勢に回ってしまう。直撃は避けたがガードの上からパンチを浴び、膝蹴りは2発ほど腹に被弾した。
「いきなりのラッシュだ、椛島選手! これは日本デビュー戦での華々しいKO決着となるか!?」
実況も観客もやたら沸いていたが、もちろん俺はそんな簡単に試合を終わらせる気はなかった。さらに突っ込んできた椛島選手に対し、距離が詰まったタイミングで俺はクリンチして四つ組に組み付いた。
「良いよ保君! ナイス、冷静な判断だ!」
いつもと変わらぬ師範の声が飛んできたことで俺はさらに落ち着くことができた。
試合開始と共に仕掛けてきた椛島選手のラッシュを俺が防ぎ、四つに組み合った状態で若干の膠着状態になっていた。
「……ふ~、ふ~」
耳元の椛島選手の呼吸音がやたら大きく聞こえた気がした。
(やっぱり、焦っていたのは向こうの方だな……)
派手な攻撃を連続して出していた椛島選手に対して俺は防戦一方だったが、もちろん大きなダメージとなるような直撃は免れていた。全力の打撃を繰り返した椛島選手の方が消耗しているのは間違いない。
普通は試合開始とともにこんなラッシュを仕掛けては来ないものだ(もちろん一気に勝負を決めにくるのが信条の選手もいるが)。
そうしないのは、同等程度の実力の相手にそんな特攻を仕掛けても簡単に勝負を決めることはほとんどの場合できないからだ。相手のことを観察し適切なタイミングや距離を測った上で攻撃するからKOは生まれるのであるし、また闇雲に間合いを詰めるのは当然カウンターをもらうリスクも高まる。
俺も面食らって反撃のチャンスを逸していたから、今回のケースは椛島選手のラッシュも悪くなかったとも言えるが、それでも消耗しているのは向こうの方だ。
(……やっぱり、あまりコンディションが良くないのか?)
組みの圧力も思っていたほどではなかった。すずの事前予想のステータスではレスリング力でも向こうの方が少し上だったはずだが、どうも組み負けるような感じはしなかった。
一気に勝負を掛けに来たのも、もしかしたらスタミナ面などのコンディションに不安があり、それが露呈する前に一気に勝負を決めたい……という願望だったのかもしれない。
「おっと、ここで田村選手がポジションを入れ替え、椛島選手の方がケージを背負うことになりました!」
ダンクラスからFIZINに舞台が移ったことで競技的に大きく変わった部分は、試合がロープの張られた四角いリングではなく、八角形に金網を張り巡らされたケージと呼ばれる場所となったことだ。
日本では伝統的にMMAでもリングでの試合が多かったが、世界最高峰の舞台であるWFCなどでもケージを使用する団体が世界的に多くなってきたことに合わせたものだ。
当然のことながらリングとケージとではかなり戦略も異なってくる。
「おおっと、ここで両者離れた! 再びスタンドで距離を取っての試合再開だ!」
テイクダウンに行くことも考えたが、やはり深追いはせずもう少し様子を見たいと思った俺は、椛島選手を突き放しスタンドでの勝負を選んだ。
選択肢が俺の方にあったということが、この時点での若干の俺の優勢を物語っている。