カンカンカンカン!
「は、試合終了? なんで?」「俊太君の負けなの? 意味わかんないんだけど……」「まあ、あんな顔から血が出てるんだし……俊太君の顔がこれ以上傷付くのは見たくないかも……」
1ラウンド後のインターバル中に椛島選手の傷口の出血を確認し俺のTKO勝利というジャッジが下されたわけだが、場内の椛島選手ファンは簡単に納得するはずもなく、会場は静まり返って地獄のような空気が流れていた。
「まだやれるって!!! やらしてくださいよ!!!」
向こうのケージサイドから突如大きな声がして驚くと、椛島選手本人がレフェリーに詰め寄っており、それをセコンド陣たちが宥めて引き剥がすような状況だった。
もちろん椛島選手も、レフェリーが一度宣告した裁定が覆るはずもないことは承知していたはずだ。
だがそれだけの感情が溢れ出してしまうのも納得できる。ファイターはたった15分の試合に向けて何か月も前からキツイ練習をして、キツイ減量をしてこの場に臨んでいるのだ。
試合中のアドレナリンもあるし、それだけ感情的になってしまうのはファイターならば仕方のないことだろう。
「勝者、田村保!」
なおも納得のいかない様子の椛島選手だったが、最終的にはしっかり敗戦を認める形になった。
「……椛島選手、ありがとうございました」
「田村君、ありがとうね。強かったよ……」
軽くそれだけの言葉を交わしポンポンと背中を叩くと、椛島選手はさっさとケージを下りていってしまった。少しは冷静さを取り戻しているように見えたが、彼にとってはそれだけ悔いの残る試合だったということなのかもしれない。
「それでは今回がFIZIN初参戦となりました、田村保選手の試合後インタビューを始めていきたいと思います。まずは試合後の率直な感想をお願いします」
「……そうですね、いつの間にか試合が終わってたなっていう感じです。あんまり自分がKO勝利したっていう実感もないですね、正直……」
FIZINでは全選手が試合後のインタビューを受けることが恒例になっていた。
公式のインタビュアーと記者が何人か集まって短い会見のような場を設けられ、動画サイトにインタビュー動画がアップされるのだ。
今までのダンクラスでも軽くコメントを求められることはあったが、ここまで正式のものではない。
FIZINの試合前・試合後のインタビューは、俺自身試合動画とともに一ファンとして楽しみにしているコンテンツだったから、まさか自分がインタビューを受ける立場になるなんて余計に夢みたいな状況だった。
「なるほど、初参戦の緊張もあったのかもしれませんね。では実際に対戦した椛島選手の印象ですが、試合前の印象と実際にケージで向かい合った時の印象とで何か変わった点があれば教えて下さい」
「……いやぁ、特に違いはなかったですね。映像を見てイメージしていた通りの強さでした。……たまたま自分の得意な打撃を当てることができて、ラッキーだったなと思います……」
「なるほど、ありがとうございます。ではその他媒体で質問のある方は挙手の上でお願いします」
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一応は記者たちも何個か質問をしてくれたが、マスコミの人たちにとって俺は完全な椛島選手の当て馬で眼中にもなかったのだろう。取って付けたような浅い質疑応答を何度か繰り返しただけでインタビューは終わった。
「なんで試合後も謙虚キャラを通してるのよ。勝ったんだからもっと堂々としなさいよ!」
インタビューを終えて戻ると、
自分としては別にキャラを作っているつもりもなかったので心外だったが、まあすずの言うこともわかる。インタビューも『プロ格闘家田村保』をアピールするチャンスの場なのだから、もっとファンの人に注目してもらえるようなものにしろ! ということなのだろう。
そこで人気が少しでも出れば、またFIZINに参戦できる可能性が増えたのに……ということを言っているわけだ。
だがもちろん大舞台での初戦を勝利で終えることができた以上の成功は無い。
すずの言葉も、勝利の喜びと安堵があった上での軽いお小言のようなものだ。その表情はそう物語っていた。
師範もすずも控室に戻ると本当に嬉しそうな表情で俺を労ってくれた。
俺にとっては勝利自体の喜びと共に、最も身近な2人がそれだけ喜んでくれていることが何より嬉しかった。
だが喜びをさらに嚙みしめるよりも先に、椛島選手が俺の控室を訪ねてきた。
「ああ、田村君。試合受けてくれてサンキューね。いやぁ、悔しいけどやられたよ!」
「……椛島選手、ありがとうございました。めっちゃ強かったです」
椛島選手の表情はすでに晴れ晴れとしており、ドクターとレフェリーに「まだ試合をさせてくれ!」と叫んでいた時よりかなり落ち着いているように見えた。
もちろん椛島選手自身悔しい気持ちは大きいだろうが、それを表に出さず俺のためにこうして挨拶に来てくれたことに、彼の器の大きさを感じざるを得ない。
「あれ、肘は狙ってたの?」
俺の肘で切り裂かれた右の瞼の上には痛々しく血で染まったガーゼが貼られていた。
「いやぁ、反射的に出たって感じです。試合前から特別狙っていたってわけではないですね」
「そうかぁ……まあ今思い返すとボクの方が焦っていたよね。日本のFIZINファンの皆に認めてもらわなくちゃ、圧倒的な勝利を見せなきゃ……ってね。目の前の田村君じゃなくてボクはそっちばかりを見ていた気がするよ。対戦相手の田村君に対して失礼な試合への臨み方だったのかもしれない」
「あ、いや……そんな、そんな!」
椛島選手に殊勝にそんなことを言われると「いけ好かないイケメンのボンボン」と勝手に反感を抱いていた自分の器の小ささが恥ずかしくなってきて消えたくなってきた。
「ところで田村君、打撃はどんなところで習っているの? ボクも色んな人と練習してきたけど、あれだけのキレと多彩な打撃は正直始めて味わったよ!」
「打撃ですか? えっとこちらの師範が自分の師匠でして……」
隣にいた師範を紹介すると、椛島選手は驚いた表情をしてみせた。
「Really!? 失礼ですがあなたのことは知らなかったです! マスターはスゴイ経歴の方なのですね!」
「ああ、いやいや、自分なんかは全然。打撃は最初の基礎は自分が教えたけど……後は保君が自分で磨いていっているって感じだよね?」
師範が苦笑まじりに言ったことに再び椛島選手が驚く。
「もしかして田村君、他にマスターは居ないのかい? 全部独学でやってるってこと?」
「あ、いや、柔術は強い先生に教わってますよ!」
打撃戦で終わってしまった椛島選手との戦いでは、『柔術仙人』
「う~ん……そうか。とはいえ、よくそんな練習環境でFIZINに出るまでの選手になったね。もっと専門のところでそれぞれの分野を学んでいけば田村君はもっと強くなると思うよ。……って負けたボクが偉そうに言うことでもないんだけどね!」
それから椛島選手は自分の控室に戻っていった。
自分の練習環境が貧しいものだなんて今まで一度も思ったことはなかった。師範からMMA全般を教わり、『柔術仙人』小仏選手から寝技を学ぶ……これ以上ない練習環境だと思っていたが、たしかにアメリカのトップレベルの選手たちはもっとそれぞれの専門家のコーチを置く……というのは聞いたことがある。
先ほどの口ぶりからするに、椛島選手もそうした環境で練習を積み重ねてきたということだろう。
そんな彼に俺がこのFIZINという大舞台でKO勝利できたのは本当に幸運なことだったのだな……と改めて実感が込み上げてきた。