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第78話 多様な側面

「普通にやれば高松君が負けるわけないから! 相手は短時間の勝負に慣れているから開幕と同時に突っ込んでくる可能性がある。とにかくそれだけ気を付けよう! 時間が経てば経つほど有利になるから!」

「……うっしゃ、ブチかましたるわい!」


旧来の仲間である高松君に頼まれて、彼のFIZINデビュー戦のセコンドを俺は務めていた。

季節は巡り9月となっていた。俺も高松君も二十歳、大学3年生の年だ。


「直人~! いけよコラァ!」「秒殺しろよな!」「そのハゲ生きて返すなよ!」


観客席からは非常にガラの悪い野次が飛んできていた。俺はその野次にむしろ懐かしさを覚えた。

吉田たちに巻き込まれた不良同士の抗争のこと……その時出会った『FIGHTING KITTEN』の兄弟子野島信二のことなどを一瞬で思い出した。そういえば野島は元気なのだろうか? まだ北竜会の件で服役しているのだろうか?


カーン!


だがそんな感傷を断ち切るように試合開始のゴングが鳴り、俺は目の前の現実へと引き戻された。


「高松君、落ち着いて! 丁寧にジャブで作っていこう!」


だがそんな俺の声が届く間もなく、相手選手は一気に突っ込んで大振りのフックを連打してきた。

高松君はその勢いに一瞬驚いたようで、ガードの上から何発かもらってしまったが、距離が詰まるとクリンチしてその勢いを止めた。


「はい、ブレイク! ……ファイト!」


(……立ってる状態で審判のが入るのって、やっぱ慣れないな)


MMAでは審判の介入する余地は少ない。だがこの試合はキックルールだ。そのため相手を掴んだり、投げたりは反則となるし、距離が詰まると膠着を防ぐためにこうしての指示が入る。そうなると両選手は距離を取ってからの試合再開となるわけだ。


「卑怯な真似してんじゃねえぞハゲ!」「そうだ、正々堂々と殴り合えや!」「まあすぐに直人にぶっ飛ばされるんだけどな!」


たった一度のクリンチで、すぐに相手選手の応援であろう不良っぽい連中から執拗に野次が飛んでくる。

今回の高松君の対戦相手はリングネームを「新谷しんたにイフリート直人《なおと》」といい、宮地君のデビュー戦の相手だった「新谷しんたにケルベロス篤人あつと」選手の実の弟で、兄弟ともに『FIGHTING LABO』での人気選手

なのだ。


(いやぁ、しかし俺ってやっぱめちゃくちゃ恵まれたFIZINデビュー戦だったんだな……)


ふと周囲を見渡すとそんなことを思ってしまった。

オープニングファイトとはいえガラガラの試合会場、ガラの悪い相手応援、そしてここは九州のとある街での試合だった。

国内最メジャー団体FIZINといえども、こうした現状が存在するのだ。




「良いよ、相手疲れてきたから! 今度はこっちから仕掛けていこう!」


今回の大会は関東を離れ遠く九州のとある街での開催となっていた(遠いというのはあくまで俺たちの主観だ。FIZINに出場する海外選手からすれば「九州を遠いなんて笑わせるな」とお叱りを受けても仕方ない)。

FIZINは関東での大会だけでなく、北海道から沖縄まで日本各地で大会を開いてきた。

その地方在住の格闘技ファンに試合を生で観られる機会を設ける、という意味ではとても平等な試みだ。もちろんどこの地方にも関わらず遠征して会場に足を運ぶ熱心なファンもいるし、多くのファンは映像での配信を中心に観戦しているので開催地による大きな影響はあまりない。

だが選手は違う。当然現地に行って試合をするわけだから普段とは違う状態で試合に臨まなければならない。試合当日も自宅から試合会場まで行けた俺のデビュー戦のケースはとても恵まれていた……ということだ。


「高松君、ガードしっかり! あと距離意識して!」


高松君は1ラウンド序盤まだ少し戸惑っているように見えた。

MMAというのは総合格闘技だ。当然打撃の練習も日常的にするからキックボクシングでも簡単に試合ができるだろう……と思う人もいるかもしれないが、MMA選手がキックルールで試合をするというのはそんなに簡単なことではない。

俺もどちらかというと打撃の選手だし、高松君は俺以上に打撃を得意とするストライカーだ。だがそれでも得意なのは「MMAの打撃」であって「キックボクシングの打撃」ではないのだ。この違いは想像以上に大きい。

ルール上の大きな違いといえばMMAルールでは5分3ラウンドの試合時間なのに対し、キックルールでは3分3ラウンドになるという点がある。当然試合時間が変わってくれば、ペース配分・試合のスピード感というのも変わってくる

また技術的な部分に注目するならば、攻撃・防御の選択肢の多さ、そしてそこから来る距離感……といった部分は大きな違いだろう。


MMAでは当然組みもあるしタックルもある。そのためリング上で対峙する距離がキックよりも遠くなるのが一般的だ。

またMMAでの打撃の防御は「ステップで距離を取って外す」というのが一番染み付いている、という要素も大きい。

MMAのオープンフィンガーグローブはほとんど素手に近い大きさだ。そのためMMAではボクシンググローブのように飛んできたパンチをグローブでブロックするという防御はかなり難しい。もちろんダッキングやスウェイといったヘッドムーブは重要な防御要素だが、それらもどちらかというと相手に的を絞らせないという予防的な意味合いが強い。薄いオープンフィンガーグローブでは一発でも急所に入ればKOとなる可能性があるため、メインの防御方法とするにはリスクが大きい。

そのためMMA選手は相手の打撃の予兆を感じたら間合いの外にステップに逃げる……というのが最も確実な防御方法として染み付いている場合が多いのだ。


だがキックの選手は違う。

両腕のガード高くしてガチガチに固め、ボディへの攻撃は体幹と腹筋の力で防ぐ。そして相手の打撃の打ち終わりにカウンターを放つ。キックルールではそんな戦い方も可能だ。

MMAでそれをやろうとすれば、簡単にタックルに入られテイクダウンを取られる。あるいはバックに回られたり、関節を取られたりとやられ放題だ。

似ているようでもMMAの打撃とキックボクシングとはやはり全然別の競技なのだ。


「効かねえぞ! そんなザコパンチ!」「本物のパンチを見せたれや直人!」


高松君が上手く距離を詰めて何度か連打を放ったが、ガードをしっかりと固めたイフリート選手にはほとんどダメージを与えるには至らなかったようだ。

自分の応援団の野次に押されるようにイフリート選手が両手を高く上げて「効いてないよ?」というアピールすると、応援団がそれに応えるように過剰に湧き上がる。

広い会場の半分も埋まっていない客席にその声がやたらと響いたような気がした。


(ま、これもFIZINの一面だよな……)


高松君とイフリート選手の試合はオープニングファイト最初の試合だ。

最終のメインカードまでは10試合以上、大体6~7時間掛かるのが一般的だ。

そんなに長くは集中力が続かないから、または遠方だから、という理由でこの時間は会場に到着していないお客さんが多い。

そして当然こうなることを見越してFIZIN運営は『FIGHTING LABO』効果で人気のあるイフリート選手をオープニングファイトに起用したのだ。しかもここはイフリート選手の地元だ。彼を応援する地元の人間たちが会場に駆け付ければ、それだけでも数百枚のチケットは売れる……というのが運営の思惑だ。


FIZINは日本最メジャーMMA団体ではあるが、経営のためにこうしたことも多く行われている。

そのため実はイロモノ的なマッチメイクも多い。キックの試合もあるし、ボクシングルールの試合もある。女子MMAもあるし、過去には運動自慢の芸能人が参戦したこともある。『FIGHTING LABO』関連の選手の起用もそうだし、明らかにピークを過ぎた海外のレジェンド選手に大金を積んで試合をさせる例もある。

実力至上主義ではなく、まだ話題性・人気先行の部分があるのは運営側にとって仕方ない部分もある。実力さえあれば観客は見に来るかというと、そこまで日本にMMA文化は根付いていないというのが現状だ。


こうした傾向からFIZINを「エンタメ団体だ!」と批判する向きもあるが、しかし上位陣やベルトに絡む層には本当の実力派の選手が揃っているというのは、近い人間ほど感じていることだと思う。

上位陣はほとんどが各マイナー団体のチャンピオン経験者やランカーばかりだからだ。競技者が皆この場に憧れるのは、日本で最も有名で金が稼げるMMAの舞台であるとともに、本当に強い選手と戦うことを願っているからなのだと思う。




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