「いやぁ、さっき会見前にチラッと見たらビックリしましたよ。まさかホントここまで怒ってくるとは思ってなかったです。たかがSNS上でのこと、しかも最初に絡んで変な因縁を付けてきたのはそっち側じゃないですか? なのに本気で自分が悪くないって思えるなんて、やっぱヤンキー上がりの人たちってどこか頭おかしいんじゃないですかね?」
「っんだと、てめえ~!!」
ガタンとイスを倒すほどの勢いでケルベロス選手が立ち上がり、俺に掴みかかって来ようとする。
「止めて下さい!!! ケルベロス選手落ち着いて下さい!!!」
司会の女性の悲鳴にすぐに何人かのFIZINスタッフの人たちが間に入って、ケルベロス選手を押し留める。
「ほら? 明日ケージの中でやり合うんですから、今ここで殴りかかってくる意味がないじゃないですか。それなのにそんなことも理解できずわざわざこの会見の場でやろうとする。……ま、あれがヤンキー流の演出なのかもしれないですけどね。とにかく明日になればどっちが強いかわかるんで。陰キャの強さを見せつけてやりますよ。ボコボコにします」
言いたいことを言い終えると、俺はとっとと次の選手にマイクを渡した。
(……やっべぇ、震えが止まんねえな! ははは……)
いよいよ明日に迫った新谷ケルベロス篤人選手との試合の前日記者会見に来ていた。
高松君の試合後に生じた、安平潮選手や『FIGHTING LABO』関連の選手たちとのSNS上のトラッシュトーク(挑発的なやり取り)から、結局俺とケルベロス選手がFIZINで戦うことが決定したのだった。
一度演じ始めてしまったキャラを下りるわけにはいかない。正直言ってケルベロス選手に対してムカつくような気持ちは一切なかったのだが、俺は「ヤンキーを揶揄するイヤミな陰キャ」を全力で演じ、ことあるごとにケルベロス選手たちを挑発する言動を繰り返していた。
SNS上でのやり取りはスマホでできるし、時間もかけることができるので何とか自分のキャラを演じてこられたが、会見のような生のやり取りの場で最後まで演じ切れるかは正直言って自信がなかった。
だが、まあ、なんとかケルベロス選手を挑発して怒らせることができ、俺とケルベロス選手のやり取りを楽しみにしていた観客にもある程度満足のいくものが提供できたのではないか……ということでホッと胸を撫で下ろしたのであった。
「よう田村君! やりやがったな、この野郎!」
無事会見が終わり明日の試合に備えてとっとと引き上げよう……と思っていたところでダンクラスのCEOである笹塚さんに肩を叩かれた。
「あ、笹塚さん……どうも、お疲れ様です」
ここはFIZINの場だが、今大会もダンクラス出身の選手が出場する関係で笹塚さんは会場に来ていた。というかFIZINの井伊CEOと笹塚さんは古くからの付き合いでもあるし、選手のマネジメントやマッチメイクなどでも笹塚さんは絡んでいるので、試合の日は大抵会場に来ている。
「『勝手なことしやがって!』って井伊さんも最初は苦笑してたけどな! 安平君はSNSで100万人近いフォロワーがいるからな、あれだけ注目を集めてしまったら試合を組まないわけにはいかん! 昔はSNSなんてなかったから選手同士の因縁を作るのも難しかったけど……時代は変わったよなぁ」
「……井伊さん怒ってました?」
もちろん俺もケルベロス選手も安平選手も、FIZINのボスである井伊CEOの意向を確認した上でSNS上のトラッシュトークを繰り広げていたわけではない。
今回の一連の流れは、主催者である井伊CEOの思惑ではなく俺たちが勝手に作り上げたものだということだ。最高責任者に嫌われてしまえばFIZINから呼ばれなくなるのではないか……という懸念も少しだけあったというのが正直なところだ
「ば~か、良いんだよ! そんなこと気にしなくて! 井伊さんもそんなに器量の小さい男じゃないっての! 選手が自発的に盛り上げて注目を集めようとした行動だってことくらいはちゃんと理解してるよ。キミらは俺たち大人を信頼して細かい調整とかは任せて、試合に集中すれば良いんだっての! ……それより田村君、明日はマジで大丈夫なんだろうな? 『FIGHTING LABO』出身の選手に負けたらダンクラスの格が疑われるぞ?」
「なんだ……そんなの大丈夫に決まってますよ! 流石に負けないですよ、任せといてください!」
ジロリと笹塚さんの細い目が俺を睨んだが、それに対して俺は大袈裟に胸を叩いてアピールした。
(大丈夫……だよな?)
笹塚さんには大きい口を叩いたが、少し経つと不安な気持ちが首をもたげてきた。
それはケルベロス選手との試合自体に対する不安というよりも、俺自身のコンディションの不安だった。
今回は急遽試合が決まったこともあり減量幅がかなり大きかった。俺も体重が増えてきて通常時は71~2キロに達するようになっていたのだ。
……もちろん一般の人が考えるような“太っている”という状態ではない。練習……特に組み技の練習をしていると、どうしても筋肉が増え体重も増加していってしまうのだ。脂肪よりも筋肉の方が重い。
そのため今回の減量は過去最高にキツく、水抜きの途中には脱水症状になりかけた。何とか計量自体はパスすることができたがかなりフラフラだった。明日の試合でいつも通り動けるかは明日になってみないとわからない……というのが正直なところだ。
「2ラウンド4分36秒、肩固めによる一本勝ち! 勝者、田村保~~~!」
(……いやぁ、全然動けなかったなぁ……)
試合は何とか2ラウンド終盤にケルベロス選手を抑え込んでパスガードをして、最後は上からの肩固めで一本を取って勝つことができた。
ただハッキリ言って褒められた内容ではなかった。
1ラウンド序盤は様子を見ていた……と言えば聞こえが良いが、恐らくはケルベロス選手のことを舐めていた。
ケルベロス選手に打撃を出させた上で「俺の方が打撃でも上だよ。プロの打撃とのレベルの違いを見せてやるよ」という慢心がどこかしらあった。トラッシュトークを繰り返しているうちに、SNS上の性格が選手としての俺自身にまで影響を与えてしまったかのようだった。
一方のケルベロス選手は慎重であり大胆だった。
1ラウンド開始直後はしっかりと俺の動きを見て防御重視の戦いをしていた。
結果論だがこの時点で俺はとっととテイクダウンに行くべきだったのだ。調子に乗って不用意なパンチ連打を放っていったところ、ケルベロス選手に右ストレートのカウンターを合わせられフラッシュダウンを喫してしまった。
後になって話を聞くとケルベロス選手はかなり俺のクセを研究して、俺の右ストレートあるいはローキックに右のカウンターを合わせる……というのを狙って練習を重ねていたとのことだった。
ダウンして一瞬意識の飛んだ俺はパニックになりかけたが、反射的に足元に組み付き、なんとか追撃を免れた。ケルベロス選手の組み・極めがもう少しレベルが高ければ一瞬で負けていただろう。
何とか第1ラウンドは凌ぎ、迎えた第2ラウンド。
1ラウンドの反省を生かした俺は打撃には一切付き合わずテイクダウンにいき、スタミナぎりぎりでなんとかフィニッシュすることができた……という息も絶え絶えの試合だった。