「ま、ちょっと最初はもらっちゃいましたけど? 予定通りケルベロス選手から一本取りました! ……ねえケルベロス選手、陰キャ相手でもMMAは甘くないでしょ!?」
何とか勝利を収めた俺はリング上でマイクを受け取って観客に向かって問いかけた。
勝利を収めたと言っても俺はFIZINまだ2戦目。今日の試合はオープニングファイトではなく本戦だったが、本戦中では2試合目。格でいえばボクシング4~6回戦くらいの位置付けだろう。そんな選手がマイクアピールの機会を与えられるなんてこと普通はない。
それが許されたのは俺とケルベロス選手の試合が選手同士の格に見合わぬ注目を集めていたからだ。約1ヶ月にわたるSNSでの煽り合いが功を奏していたからでもあるが、大元を言えばケルベロス選手とそのボスともいえる安平選手……そして『FIGHTING LABO』というコンテンツの力だ。
「ってわけで、ケルベロス選手はキャンキャン鳴いてタップしたんですけどぉ、ご自分の舎弟がやられて大将の安平選手はどうされるんでしょうかね? このまま
俺の挑発的な言葉に会場が大きく沸く。過剰とも言える俺の煽り文句に苦笑を漏らす人もいたが、明らかなブーイングや怒りの表情をしている人はほとんどいなかった。こんなことが許されるのは勝利直後のマイクパフォーマンスという熱狂が生み出す特殊な状況だからだ。
俺自身もそれを言っている自分が自分ではないような感覚だった。勝利後のアドレナリンがそうさせるのか
だがすぐに俺の安い煽りなどとは比べ物にならないほどに観客が湧き立った。
ケージサイドで観戦していた当の安平潮選手が、俺の呼びかけに応じてケージ内に入ってきたのだ。
派手なジャケットを脱ぎ、サングラスを外しながら入ってきた安平潮はやはり誰が見てもスター然としたオーラをまとっていた。
「……オタク君さぁ、ウチのケルベロスちゃんはMMA2戦目だよ? しかもあんなカッスカスの内容で勝って何でそんなにドヤれるの? 俺とやろうって正気かい?」
(……綺麗な眼してるよな、カッケェ……)
俺の目の前に立ちふさがり、顔を近付けてきた安平選手に対して俺は場違いな感想を抱いた。
ガン付けるように俺の顔を覗き込んできた安平選手に対して、俺もオデコが付くくらいに睨み返すが、その状況でも恐怖心などは一切なく、興奮と楽しさだけが俺の感情を占めていた。
俺はここ数年来のFIZIN目玉選手でありインフルエンサーである安平潮という人間のファンだったのだ。
「ま、良いぜ。俺もホントはキミみたいな雑魚を相手にしてる場合じゃないんだけどよ……ウチのケルベロスちゃんが負けちまったからには俺が借りを返しておかないとな。『FIGHTING LABO』が舐められたままじゃあマズイっしょ! ……つーわけで社長、良いですか?」
ケージ内から呼びかけた安平選手に対し、ケージサイドにいた井伊CEOが両腕を頭上に持ってゆき大きく丸を作るという古典的な仕草でもって、オッケーを出した。
「じゃやろうぜ。逃げんじゃねえぞ?」
「安平選手こそ、一度吐いた唾を飲み込みことのないようにお願いしますよ! ……あ、すいません、難しい言葉使っちゃいましたね」
最後の言葉は浮かれた頭から素で出てきたものだったのだが、かなりの挑発的な言葉として聞こえたようで会場からも大きな歓声と罵声が上がる。
そんなこんなで俺はFIZINバンタム級で1,2を争う人気選手である安平潮選手との試合が決定したのであった。
だが俺と安平選手との絡みもこの大会の盛り上がりのピークではなかった。
俺とケルベロス選手の次の次の試合では、俺のFIZINデビュー戦の相手だった椛島俊太選手がKO勝ちを収め会場を大きく沸かせた。椛島選手は俺とのFIZINデビュー戦以降はこれで3連勝となり、俺よりもかなり序列を上げていた。この日の試合もキレのある打撃とテイクダウンディフェンスで相手のベテラン選手にほぼ何もさせず完勝と言っていい試合内容だった。
実力的にも俺と戦った時よりも明らかに強くなっているのが伝わってきた。
そしてこの日のメインイベントは俺のライバル(俺の一方的な思い込みと言われて当然なほど序列は開いてしまっているが)宮地大地君の試合だったのだ。相手はブラジル人ストライカーのジョアン・マチダ選手。
ジョアン・マチダ選手はMMAの本場北米で長く活躍してきた選手で、言うまでもなく実力派選手だ。ブラジル人選手でありながら伝統派空手をルーツに持っているのは日系人の家系だからだそうで「時折話す片言の日本語が可愛い」とFIZIN参戦以降は日本人ファンからも人気の選手だ。
(……宮地君、マジで強くなってたな……)
宮地君とジョアン選手、この試合に勝った方がチャンピオンに挑戦する次期挑戦者決定戦と目されるこの日のメインイベントだった。
ジョアン選手は去年FIZINに参戦して以来無傷の3連勝。下馬評的にはジョアン選手圧倒的有利、宮地君には流石にまだ早いマッチメイクなのではないか……という見方がほとんどの試合だった。
技術的な部分で言えば、ストライカーでありながらテイクダウンディフェンスも寝技も強いジョアン選手に対して宮地君が得意のレスリングを生かしてテイクダウンできるか……というのがテーマの試合だった。
だが試合はまさかの1ラウンド決着だった。
伝統派空手出身のジョアン選手は遠い間合いから飛び込んでの打撃を得意としており、序盤はジョアン選手のカーフキックや飛び込んでの右ストレートがヒットする場面もあった。
だがジョアン選手の打撃のダメージを最小限に抑えた宮地君はジリジリとプレッシャーを掛け続け、追い込まれたジョアン選手がケージ際から《飛び込まされた》瞬間にカウンターのタックルを合わせた宮地君が完璧なテイクダウンを取った。
ジョアン選手はストライカーだがもちろんレスリングの攻防に長け、グラウンドから立ち上がる能力にも優れていた。だが宮地君はそんなジョアン選手に対して完璧なグラウンドコントロール能力を見せ、一度も立たせることはなくポジションをキープし、上からのパウンドや鉄槌を放っていった。最後にはマウントポジションから肘を落としTKO勝利を収めたのであった。
ケージでの試合は一般的にリングよりもストライカーに有利だと言われる。リングでは壁を用いて立ち上がる動きがコーナーポストの4か所しか使えないのに対し、ケージではどこでもその動きができるからだ。
だがジョアン選手のそんな動きを宮地君のレスリング力と組手は完全に封じていた。MMA転向後から宮地君の戦い方は一貫しているから、素人目には宮地君の進化がわかりにくいかもしれないが、細かい組手の取り方やグラウンドでのプレッシャーの掛け方など技術的にも明らかにバリエーションが増えていた。
もちろん1ラウンド決着だから実力差があるわけではないし、判定決着だから実力が拮抗している……というわけではないのだが、そうした印象を与えてしまうほど宮地君の勝利は鮮やかなものだった。
(俺も安平選手に対して同じことができないか? ……いや、流石にムリだろうな……)
安平選手はジョアン選手以上の純然なストライカーだ。俺もストライカーだが、キックボクシングで日本のトップ層だった安平選手に打撃で勝負するのはあまりに馬鹿げている。
相手の弱点を突くのがMMAの基本戦略だから、安平選手には当然テイクダウンにいって勝負するつもりだ。宮地君の試合も何か参考になる部分がないか……という目で観ていたのだが、宮地君と俺とはあまりにレスリング力に差があり参考にできる部分はなさそうだった。