(動け、動け!)
ダウンを喫してからの俺は、必死で攻撃を出していた。
息は切れ、頭はボーっとしていたが、それでも安平選手の攻撃を防ぐため、攻撃は最大の防御という意識でとにかく自分から手を出していた。
だがその攻撃のどれもが手応えがなかった。こっちが必死で攻撃する分だけ向こうは余裕をもって冷静に外すことができるみたいだった。
空振りの攻撃はさらに自らを消耗させる。それでもダメージの回復を図るために俺は死力を尽くして攻撃を繰り返した。
だが……ワンツーから左フックという3連発の俺のパンチをあっさりと外した安平選手は、右のローキックを放ちその右足を軸足として前に置きオーソドックスからサウスポーにスイッチした。
そして、ローキックを当てられ意識が下に行っている俺に対し、その瞬間に左のロングフックを放ち的確に俺のテンプルにヒットさせた。
(くそ、スイッチか……技のバリエーションも多彩だな)
「何としても勝つ!」と気合を入れ直していた俺だったが、安平選手の無慈悲な攻撃を受けて再び膝から崩れ落ちる。何を当てられたかはすべて後から映像を見返して理解したものだ。その瞬間は何をもらったかはわからなかったが、スイッチした軸足だけはやけにはっきりと見えていた。
「立てよ、オタク君。まだやろうぜ?」
相変わらず絶好のチャンスだというのに安平選手は追撃に来ず、クイクイと手招きして俺に”立て”というポーズを示した。例によって会場の多くを占める安平キッズはそのポーズを見て大歓声を上げる。
(グラウンドには、どうしても来ないのか?)
膝から崩れた俺はそのままグラウンドに寝転び、ガードとして上げた脚を安平選手に向けてグルグルと回してみた。
だがここまで露骨に寝技に誘っても安平選手は”立て”というジェスチャーを繰り返すだけだった。やがてレフェリーが俺に立つように指示を出しスタンドで試合は再開した。
(いや、向こうはカウンター待ちに切り替えているんだ……)
ダウンを喫し冷静さを失っていた俺は安平選手の動きの変化を見落としていたようだ。
最初の攻防の際は攻撃を出していた安平選手だが、俺がダウンを喫し反撃に出てこざるを得なくなったのを見てカウンター主体の戦略に切り替えていたということだ。
必死に出てくる相手を冷静に見てそれに反撃を返すのは、安平選手ほどのレベルになれば難しいことではないだろう。最初のダウンで奪われたリードを確実に広げられている、ということだ。
(それなら、こちらもやり方を変えるか……)
二度ダウンを喫した俺だったが不思議とかえって冷静になれたようだった。一種の開き直りもそこにはあったのだろう。
相変わらず必死で反撃しようと打撃を繰り返している俺だったが、先ほどまでのように打撃で倒そうという意図は捨て狙いを変えていた。
(……今だ!)
安平選手がカウンター待ちになっているのを確認し俺は仕掛けた。
ニータップだ。
相手の肩の辺りと逆足の膝裏を掴んでテイクダウンする技で、柔道では朽木倒し、相撲では無双などと呼ばれる。
足元へのタックルが体勢をかなり低くする必要があるのに対し、打撃を放つのに近い体勢で入れるニータップは便利な技だ。そのまま前方に駆け抜けるように掛けることもできるので、足を止めて待っている相手に対しては特に有効だ。
向こうがそれだけグラウンドの勝負を避けるであれば、こっちが何とかグラウンドに持ちこめば勝機はあるのかもしれない。
(掛かった!)
俺の攻撃をパンチと判断した安平選手はガードを上げた状態で待ち構えており、安平選手の左膝(前足側の膝)を見事掴むのに成功した。そのまま俺は前方に駆け抜けるように足を進める。
後方にケンケンするような体勢となった安平選手の脚を掴みながら進むと、ケージの壁際にそのまま激突しあっさりとテイクダウンに成功した。
「逃がすなよ、保君! まずはキープだ!」
テイクダウンで局面が変わり場内の歓声も一際大きく盛り上がっていたが(ほとんどが安平選手を応援する安平キッズのものだっただろう)、師範のセコンドの声は冷静に聞き分けることができた。
(わかってますって!)
言われるまでもなく絶対にここは立ち上がらせるわけにはいかない。第2ラウンド残り時間はそこまで多くないかもしれないが、俺に訪れた千載一遇のチャンスと言っていい。
だからこそ師範の言う通りまずはしっかりと上のポジションをキープするべきだ。極めにいくことを急ぐよりも、自分のダメージの回復の時間を稼ぐためにも判定の際のアピールのためにも、上になる時間を1秒でも長く確保すべきだった。
「……やるじゃん、オタク君」
ケージの壁に激突した結果の偶然ではあるが、安平選手の脚を束ねるような形で俺の脚が絡まり、マウントに近いポジションをとることができた。
安平選手の背中の上半分がケージの壁にもたれかかっているので、これをズラして背中全部を地面のマットに寝かせることができれば完全なマウントポジションとなる。
やや半身となり身体を支えている安平選手の右手を、俺は自分の左手で払いにいった。この手を払えば安平選手はマットに背中を着けるしかなくなるだろう。
(……え!?)
だが少し体勢を動かして前のめりに瞬間、俺の脚の間にあった安平選手の身体が一気に俺の足の方に潜ってゆき、尻の辺りを両足で蹴り上げられた。
思わずケージの壁面に手を付いたが、その時にはもう安平選手の身体は俺の足の間をすり抜けていってしまっていた。
(……グラウンドの対処も完璧じゃねえかよ!)
安平選手がグラウンドへの追撃が来ないのはグラウンドでの能力に自信がないからかと思っていたが、あれだけのスムーズな身体の身のこなしを見るととてもそうでは無そうだった。
バックを取られることを警戒した俺は急いで立ち上がって振り向いたが、そこでも安平選手は立ち上がって余裕そうな表情を浮かべているだけだった。
カーン!
そこで2ラウンド終了のゴングが鳴った。