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第93話 『逆襲のいじめられっ子』を背負う

「……っしゃあ~~!!!」


レフェリーが間に入り俺の勝利が確定した瞬間、俺は叫んでいた。

こんなにも興奮したのはMMAを始めてから今までで初めてのことだった。この試合に臨むまでのプレッシャー、試合中も「もう勝てないんじゃないか」と何度も思った中での逆転一本勝ちは、俺をそんな状態にするに十分だった。

思わずケージによじ登り客席に向かって両拳を高く上げる。俺のアクションに応えて飛び跳ねて喜んでくれる観客ももちろんいたが、場内の多くを占める安平キッズたちは御大将の敗戦に呆然としているように見えた。


「……保君! 安平選手に挨拶に行こう!」


未だ自我を忘れるほど興奮していた俺に師範が声を掛けてくれて、俺は正気を取り戻すことができた。


「安平選手……本当にありがとうございました……」


安平選手は呆然として、最後決着の付いた辺りでまだケージに背中を預けて体育座りしているような状態だった。

床に座っている彼に対して俺も土下座のような体勢になり手を取って礼を述べる。

何度やっても我ながら不思議に思えるのだが、つい数十秒前までは本気でぶっ潰すくらいの気持ちで殴り合っていた相手に対し、試合が終わると土下座しても全然足りないくらいの感謝の気持ちを本気で覚える。

こんな感情の変化は他のどんなことでもあり得ないことだろう。MMAならではの魔法に思える。


「……いや、こっちこそありがとうな。試合前は色々ごめんな……」


呆然としていた安平選手だったが、俺の声にようやく我に返ったようだった。


「あ、いや、そんな。盛り上げようとしてくれてるのはわかってましたし……」


安平選手傘下のケルベロス選手、イフリート選手や俺の盟友である高松君なども巻き込みSNSで散々やり合ってきた俺たちだが、FIZINを盛り上げて試合の注目度を高めようという気持ちは一致していたはずだ。そこに個人的な恨みは微塵も無い。

SNS上のくだらないレスバや罵倒も含め、この試合は俺と安平選手とで作り上げてきたものなのだと思う。


「しかし……くっそ、悔しいなぁ。いつかリベンジさせてくれよな、田村君」

「もちろんです……いつでも待ってます」


最後にポンポンと俺の肩を叩いてから安平選手はケージを後にした。

去り際ふと見せた安平選手の横顔には憂いも悲しみも怒りも充実感も様々な要素が含まれていたように見えて……俺が勝っておきながらなんだが、安平潮やすひらうしおという選手がさらに魅力的に見えた。


「みんな、ごめ~ん! 申し訳ない! すいません!」


安平選手は自分を応援してくれたファンに1人1人声を掛けながら、花道を通って控室に戻って行った。その姿も誠実さとフランクさが同居しており、俺もしばらくその様子を目で追ってしまっていた。

この試合に勝ったのは俺だが、それでもなおこの試合の主役は安平潮その人であり続けたようだ。カリスマはむしろ負けた時にこそ人を惹き付けるのかもしれない。




「保君、マイクだって! ……なるべく簡潔にな! 次どうしたいか、それだけを宣言しよう!」

「え? ……は、はい!」


師範の言葉に俺は驚く。

このまま俺も控室に戻るのだとばかり思っていたら、なんとFIZIN運営側がマイクアピールの時間を与えてくれたようだ。

人気選手である安平選手との一戦だっただけにそれだけこの試合の注目度が高かった、ということなのだろう。


「どうも『逆襲のいじめられっ子』田村保です! え~、応援してくれた皆さん、それから戦ってくれた安平潮選手、本当にありがとうございました!」


俺の言葉に場内からは拍手が返ってくる。

他の選手に比べて俺に対する反応が特別大きかったわけはないだろうが、それでも今まで味わったことのない規模での反応に俺の興奮は増す。

あまりに色々な光景が浮かんできて……何を言うべきかまるでまとまりそうにない。


「え~……『逆襲のいじめられっ子』なんていうキャッチフレーズ、ちょっと最初はすごく恥ずかしかったんですけど……でも高校生の時のボクがいじめられっ子で、それからジムに入ったのは本当です! だから……自分と似たような境遇の子たちに勇気を与えるためにこれからもボクはこのFIZINで戦ってゆきたいと思います!」


場内からはまた俺に拍手が返ってきた。


「保君! 短く! 短く!!」


師範の声が届く。


「え~、今日自分が安平選手に勝ったのはまだまぐれだと思われていると思うんですけど……すぐにまたこの場で戦って実力を証明して近いうちにバンタム級のベルトに絡んでゆきたいと思います! ……え~、金松誠史郎かねまつせいしろう選手! 自分はダンクラスで一度負けていますが、もし良かったら今度はこのFIZINの場でもう一度戦わせてもらいたいです! ……皆さん、今日は本当に応援ありがとうございました!!!」


マイクをスタッフの人に返し俺はケージを後にした。

勝った瞬間、特に安平潮というFIZINのスター選手の1人に勝ったこの瞬間だけは俺の言葉を聞いてくれる条件が揃っている。

次に対戦したい選手は何人も顔が浮かんでいたが俺の口から出たのは金松誠史郎選手だった。ダンクラス新人王後のタイトルマッチであっさりと負けた相手だ。もちろん金松選手も長年の実績を買われ2、3回FIZINには出場経験のある選手なので、そこまで突飛なことを言っているわけではない。だが金松選手を知っているのはFIZINファンでもどちらかというとコアな層だろう。

本音を言えば宮地君やジョアン・マチダ選手、その他上位陣の選手たちの顔が浮かんでいた。だが俺の今の立場を客観的に見て金松選手というのは悪くないチョイスだったと思う。ダンクラスで負けたこともずっと悔しい思いとして引っ掛かっているのも事実なのだ。


(……井伊さん、苦笑してやがるな)


ケージから出たところでFIZINの最高責任者である井伊CEOの顔が目に入った。

もちろん退場する俺に対して拍手は送ってくれていたが、その笑顔はどう見ても引きっていた。安平潮というスター選手の圧勝劇を見せるつもりで組んだこのカードを、田村保という地味で冴えない選手にひっくり返されたことがプロモーターとしては気に入らないのだろう。


(今に見てろよ!)


すぐに、もっと強くなって実力ですべてを捻じ伏せるほどのファイターになりたい!

俺は自分の内からさらなるモチベーションが湧いてくるのを感じた。

むろん井伊さんの立場からすればその思いは理解できる。運営してゆく者と競技者とは当然その思惑は食い違ってくるものなのだろう。俺は俺の立場で精一杯もがくだけだ。




「田村選手! 勝利おめでとうございます! あの、僕、田村選手のファンで……何回もDM送らせてもらったりしてたんです……今日、会場に来れて本当に良かったです……」


観客の中の花道を歩き控室に戻る途中、客席のほぼ最も外側の辺り、もう花道も終わりかけた辺りで1人のファンに声を掛けられた。

試合後に花道を歩いてファンの人たちから「おめでとう!」という声を浴びたり、スマホのカメラを向けられたり、ハイタッチを交わすというのは選手にとってファンの存在を実際に感じられるハイライトの一時だ。


「ありがとう! 俺もっと頑張るよ。これからも応援よろしくね」


声を掛けてきた彼に俺も返事をして握手を交わす。

もちろん普通は1人1人に対してここまで丁寧な対応をすることはできない。だが彼に対してはそれだけ向き合った対応を俺もついしてしまった。

恐らくはまだ10代であろう少年。どこか冴えない風貌と自信のない表情は昔の俺をそっくりそのまま見ているようだったし、DMを送ってくれていたということは俺のことをかなり以前から応援してくれているコアなファンだということなのだろう。そして俺を見つめる彼の眼には本当の感情が宿っていた。


「……あの! 僕も自分を変えたくて、格闘技やってみたいんです!」


選手がファンとこれだけ言葉を交わすのはあまりない事例だとは思うが、会場のスクリーンは次の試合のプロモーションVTRが流れ始めており、一瞬俺に群がってきたファンたちももうそちらに興味が移っていた。


「ホント? ぜひウチのジムに来てよ。『FIGHTING KITTEN』で検索してみて」

「はい! ぜひ!」


「格闘家としての田村保」にできた純粋なファンの第一人者、という風に彼のことが俺には映っていた。

プロとして「格闘家としての田村保」の人気を上げてゆくには彼のようなファンを大事にしてゆかなければならない。

だがそんな営業根性よりも、俺は彼のような存在が俺の目の前に現れてくれたことが本当に嬉しかったのだ。まだ恐らく10代であろう彼がこの会場に足を運ぶのは、かなり勇気の必要な行動だったに違いない。チケット代も安くはない。

俺が戦うことで彼のような存在に何か勇気を与えられるのであれば、これ以上嬉しいことは無いだろう。

『逆襲のいじめられっ子』という、俺にとってはやや予想外のキャラ付けではあったが、それでもできる限り俺はこのキャラクターを背負ってFIZINの舞台に立ち続けたい、そんな感情が一気に沸いてくる出来事だった。




「田村君、おめでとう。やったね!」

「ありがとう! 宮地君も勝ってね!」


控室に戻ると、俺のライバルでもあり、今日のメインイベント出場選手でもある宮地大地君が声を掛けてきてくれてグータッチを交わした。

俺は試合の終わった開放感と勝利の喜びで叫び出したいほどの感情だったが、試合前の宮地君の邪魔にならないよう最小限の接触に留める。


宮地君に勝って欲しい。このバンタム級で日本人の手にタイトルベルトを取り戻して欲しい。

すぐに俺は自分の勝利も忘れ、宮地君の試合に向けて胸が高まってゆくのを感じた。




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