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第96話 選べる強さ

カーン!

第2ラウンドが開始したが、第1ラウンド後半とほとんど同じ展開が続いていた。すなわち徐々に宮地君が押されていったということだ。

まだまだ決定的なダメージを負うような被弾はないが、判定を付けるならば9割のジャッジがヘフナーに旗を上げるだろう。


「……くそ、ヘフナーが完全に距離を制しとるな」


高松君の言う通りだった。

ヘフナーは、自身は被弾せずに自分の方だけ一方的にパンチを当てるというアウトボクシングスタイルを徹底していた。KOとなるようなビッグヒットはないが、外からのパンチでじわじわと削り続ける展開だ。


「ヘフナー選手ってこんな戦い方の選手じゃなかったわよね?」


すずが憮然とした表情で呟いた。すずのスカウティング能力でもヘフナーのこうした戦い方は予測できなかったようだ。


「これが、MMAの総合力なんだよ」


師範もやや悔しそうに説明してくれた。

ヘフナーはアメリカのカレッジレスリングのチャンピオンという経歴が示す通り、今まではゴリゴリのレスラーらしい戦い方をしてきていた。すなわち無尽蔵のスタミナを生かして何度も何度もしつこくタックルにいってテイクダウンし、そこからはグラウンドコントロールで上を取り続けてのパウンド、ないしはサブミッションで一本勝ちを収めるという勝ち方だ。

もちろん打撃は今までの試合でも見せていたが、あくまでタックルにいくための布石でしかないという印象だった。ここまでフットワークを使って距離を取り、打撃で勝負するという展開は初めてだろう。

そしてこういったことが出来ることこそがMMAにおける総合力の差だ、と師範は言うのだ。


当然のことながら外部の人間は選手が試合で見せているものでしか判断できない。

ヘフナーが今までレスリングスタイルで戦ってきたことしか我々は見ていないから、こうして宮地君を圧倒するアウトボクシングの戦い方ができるなんて思いもしなかった。

宮地君相手にレスリング勝負をするのは確かにバカらしいというか非効率な戦い方だが、宮地君との勝負が決まってからアウトボクシングの練習を始めたというわけではないだろう。ヘフナーのそれは一朝一夕で身に付けたものではないほど染み付いていた。

様々な選択肢が取れる中で、レスリング主体の戦い方をしてきたということだ。


「あっと、ここで再びヘフナーのジャブがもろに宮地選手の顔面に入りました! これは宮地選手、目尻の辺りが切れたかもしれません。血が滴ってきております!」

「宮地選手の気持ちの強さは見えますが、これだけの出血だと視界も妨げられますからね……。このままの展開では厳しいですね」


2ラウンド後半に入っても展開は変わらず、さらにヘフナーがプレッシャーを強めてきていた。

宮地君はこうした展開になってもほとんど動きは落ちず、相変わらずの身体の強さや気持ちの強さを見せていたが劣勢は明らかだった。

宮地君も何度か組み付こうとタックルに行っていたが、その度にあっさりと切られていた。

プレッシャーを掛けているのはヘフナーの方だから、宮地君が苦し紛れにタックルに行ってもそれを切るのは容易いことになってしまう。


「やっぱり相手に合わせて戦略を変えられる選手の方が強いんだよ。そしてこれをやられるというのは、総合的な実力において差があるってことだ。悔しいがそれを認めざるを得ないだろうな……」


師範の声に誰も反論することができず、重苦しい空気が流れていった。

ヘフナーがアウトボクシングスタイルを隠し持っており(別に本人は隠していたつもりはないだろうが、今までの試合では披露していなかった)宮地君相手にほとんどなにもさせず試合を支配している。戦略においてヘフナー陣営の方が完全に上回っていることは明らかだった。

でも普通はこんなことは出来ない。相手に合わせて多少戦い方を変えることは考えるが、ガラリと戦い方を変えて、なおかつここまでの完成度で宮地君という実力者を圧倒することなど普通は出来ない。師範の言う通り総合的な実力において差があると言わざるを得ないだろう。


カーン!


「あっとここで第2ラウンド終了のゴングです」

「宮地選手は苦しい展開です。何度かタックルに行きましたがそれも切られていますからね。判定勝負になっては宮地選手の勝ちは難しいでしょうから、3ラウンドは多少強引にでも攻めに出るしかないです」


実況・解説陣にも俺たちと同様に、さらに言えば会場やPPVで観戦しているファンたちにも同様の重苦しい空気が流れていた。

宮地君はレスリング金メダルという鳴り物入りでMMAデビューを果たし、デビュー後も連勝を重ねファンの期待を一身に背負っていた。「宮地大地なら世界一のMMAチャンピオンになれるだろう!」具体的には口に出さずとも、そうした幻想がファンの間で広がっていたことは確かだ。

それが、チャンピオンどころかWFC参戦経験すらないギルバート・ヘフナーという選手に圧倒されて負けるかもしれない状況だ。

日本のMMA、FIZINという舞台が築き上げてきたものが、本物の「世界」と比べるとさしてレベルの高いものではなかったのではないか? ……そんな疑念が広がりつつあったのだ。


「……でもまだ勝負はわからないですよね。宮地君ならやってくれるかもしれない」


俺はそうした空気に対する反発を込めて、あえてそう口に出した。

宮地君の劣勢を語る師範だけではなく、味方であり俺たちの代表でもある宮地君の勝利を信じられない俺たち自身に腹が立ってきたのだ。


「そうや、宮地君の諦めの悪さは異次元や。絶対やってくれるはずや」

「……レスリングでペーペーだった僕からしたら、金メダリストなんて人外の化け物だよ。宮地君なら絶対やってくれると思う!」


高松君に続いて大兼君が相槌を打った。大兼君はレスリング時代から宮地君を知っているだけに、宮地君を応援する気持ちはこの中で一番強いのかもしれない。


「でも、だいぶカットがあるわね……」


第3ラウンド前のインターバルの間、モニターの映像は宮地君の顔を間近で映していた。

引きの映像ではそこまでわからなかったが右の目尻の辺りはヘフナーのパンチによってざっくりと切れて血が滲んでいたし、左の目の下は青黒く腫れあがっていた。ヘフナーのパンチによって宮地君がぐらついたような場面は一度もなかったが、ダメージは相当溜まっているだろう。


カーン!

悲痛な空気の中、宮地君のタイトルマッチ最終ラウンドのゴングが鳴った。




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