(……みんな活躍してる。俺だけ置いていかれてるみたいだな)
それからあっという間に半年が過ぎて季節は初夏になった。
その間FIZINは2回大会を開催したが、当然俺は出場機会がなかった。もちろんこれはMMA選手としては普通のことだ。試合間隔が短い場合でも最低3~4ヶ月は空けるのが普通で、それ以上短い場合はやや特殊なケースだ。
だがその2回の大会で、ライバルたちはしっかりと試合に出場し結果を残していた。
俺がFIZINデビュー戦で勝利した
安平選手は短い間隔での復帰勝利を収め「人気先行型選手」というアンチたちからの悪口を完全に黙らせる実力を示した。片岡タクマという中堅ベテラン選手が相手だったが、派手なKO勝利ではなく片岡選手のしつこいテイクダウンをきっちりと切って3ラウンド「打撃の塩漬け」をやり切ったところにむしろ俺は彼の更なる成長を感じた。
またタイトル保持者であるギルバート・ヘフナー選手は、次の挑戦者となったジョアン・マチダ選手をあっさりと切って捨てた。宮地君相手に見せたアウトボクシングなどではなく、5分3ラウンドひたすらタックルに行ってグラウンドで抑え込む「塩漬け」という本来得意とする形で勝利を収めた。もちろんヘフナーの強さに疑う余地はないのだが、当然こうした戦い方は多くのMMAファンからすれば面白くない。ライトファンからすればグラウンドでの戦いというのはそもそもわかりづらいものだ。その中でもポジションを重視するヘフナーの戦い方はグラウンドの攻防の中でも動きが少なく、ライトファンからすると「つまらない試合」の代表格のような言われ方を散々されていた
そして我らが宮地大地である。
(……やっぱ井伊CEOは宮地君を絶対に負けさせたくないんだな)
ヘフナーに敗れた後4月の大会で復帰戦を果たし見事勝利を収めたのだが、相手はビクトール・バルデスというベテラン選手だった。北米で長く活躍しWFCへの参戦経験もあるが、年齢的にはもう40歳を迎えており明らかにピークを越えている選手だった。宮地君との試合でも経験から来る巧者っぷりは見せたが、タイトル戦線に絡む他の選手にはやはり一段落ちる印象だった、
悪い言い方をすれば「明らかに宮地大地を勝たせるためのかませ犬」を呼んできた、というマッチメイクだ。宮地大地というFIZINバンタム級スターを絶対に連敗させるわけにはいかない……という井伊CEOの思惑が透けて見えるようだ。
だが宮地君の凄いところは、ビクトール・バルデスとのこの試合をきっかけに北米に武者修行を敢行したことだ。バルデス選手の所属するチームに1か月という短期間ではあるが、MMAの本場アメリカに渡りWFCに参戦している本当の世界トップ選手たちとも練習した様子がSNSを通じて伝わってきた。
宮地君がMMA転向時に言っていた世界最強になる……ということを意識してそれにきちんと邁進している様は流石生粋のアスリートという感じがして、素直に尊敬の気持ちを覚えた。
「ジャッジ松室、青田村! ジャッジ吉田、青田村! ジャッジ矢野、青田村! 以上3-0の判定で青コーナー田村保選手の勝利となります!」
念願だった
フィジカル・テクニック……すべての面で上り調子の俺に対し、36歳になっていた金松選手はややコンディションを落としていたように思えた。
「田村君、ありがとうね。……俺もそろそろ引退かなっていう気もしてたんだけど、田村君に指名されてもう一度火が点いて今年はここまでやってこれたよ。もう一度FIZINっていう大舞台で戦えたことは本当に良かった。ウチ子供たちも現地で観戦することができたしね」
「こちらこそありがとうございました。……ボクも金松選手にダンクラスのタイトルマッチで負けたことが逆にモチベーションになっていた所が大きかったので、今日こうやって再戦させてもらえて胸のつかえがとれたような気分です」
試合後のリング上で俺は金松選手と挨拶を交わし、FIZINという大舞台で再び戦えたこと、そして金松選手にリベンジできた幸運を俺は嚙み締めた。
「……でも俺はまだ引退はしないよ。FIZINからは声が掛からなくなったって、ダンクラスではまだ俺もランカークラスの実力はあるからね。……ダンクラスに恩があるし、俺も何よりMMAが好きだからさ」
そういう金松選手の笑顔は俺たち若造とは違った深味に満ちていた。
引退を一旦は意識してからも現役を続けること。家族を背負い、本業である会社員を続けながらでもケージ・リングに立ち続けること……金松選手は俺にはまだ計り知れない強さを持っているのだろう。
「あ、でも田村君も若いうちに自分の引き際をちゃんと考えといた方が良いよ? MMAなんてずるずると辞められなくなるに決まってるんだからさ」
「それは……たしかにそうかもしれませんね!」
そう言って俺と金松選手は肩を組んで笑った。
俺と金松選手の試合が行われた9月大会では安平選手と宮地君の試合も行われた。
一度は安平選手が右ストレートから左フックという得意のコンビネーションでダウンを奪うシーンもあったのだが、徹底的にテイクダウンにいった宮地君の前に安平選手はスタミナ切れを起こし、最終的にはバックに回りチョークスリーパーで一本勝ちを収めた。
この試合の勝者が王者ギルバート・ヘフナーへのタイトル挑戦者となることが決まっていた。
そしてその年の大晦日、宮地君はヘフナーに対するリベンジを果たし、遂にFIZINバンタム級チャンピオンに輝いたのだった!!
「3年の内にMMAで世界最強のチャンピオンになることにします」
宮地君がレスリングで金メダルを獲得した時のインタビューで語っていたことだ。宮地君のMMA転向など露ほども知らなかったインタビュアーの大いに戸惑った表情はいまだに脳裏に焼き付いている。
ともかく3年で宮地君はFIZINのチャンピオンにまで辿り着いた。もちろん本当の意味で世界最強と言えるかは微妙だ。MMAの本場アメリカのWFCという団体こそが世界最高峰だ、というのが多少知識のある人間の一般的な意見だろう。
マッチメイクの点で優遇されていた、チャンスが多く与えられていた……という批判もあるが、それでも今の宮地大地が実力のないチャンピオンだと見る人間はいないだろう。宮地大地は正真正銘の実力でチャンピオンに辿り着いたのだ。
(……その3年の間、俺は何をしていたのだろうな?)
ふとそんな思いが湧いてきそうになるが、そんな気持ちを俺はねじ伏せるように消す。俺は俺のできる最善を尽くしてきた。宮地大地という異常な才能と凡人の俺との速度を比べることが間違っている。
要は最後に勝てば良い。単純な話だ。
幸いなことに俺もなんとかバンタム級のトップ戦線に食い込んでいる立場だ。リベンジしてあのベルトを奪うチャンスは手を伸ばせばすぐそこにあるのだ。
【宮地君、タイトル獲得本当におめでとう! 今まで一緒に切磋琢磨してやってこれたこと、本当にうれしく思っているよ。でも忘れないでね。次にそのベルトを奪うのはボク……田村保だから!】
宮地大地がタイトル獲得した日の夜に俺はそうメッセージを送り、その後すべてのSNSで宮地大地のアカウントをブロックし完全に関係を断った。