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第74話 〔理玖side〕後悔と初めての感情


〔理玖side〕


 あの時、あの瞬間。オレは、どうして選択を間違ってしまったのだろう……。



 あの時、颯人から連絡が来た瞬間、今まで感じたことなかった颯人の焦りと茉白への心配が同時に重なって、行かない選択なんてきっとなかった。


 沙羅のことが気になりつつも、沙羅はきっとどこかでわかってくれるだなんて、そんな自分勝手な考えを持っていたのかもしれない。


 それどころか、あいつのことだから、またチョロい感覚でこんな状況を勘違いしてオレを好きだと思い込んでいるんだろうとさえ思ってしまっている自分がいた。


 まさかその時の選択が、このあと自分を苦しめる選択になるだなんて思いもせずに……。




 その状況を重く捉えてなかったオレは、自分の部屋に戻った瞬間、ようやくその状況を少しずつ実感し始める――。



 さっきまで沙羅がいて明るく温かい雰囲気だったこの部屋が、静かで真っ暗ないつもの自分の部屋に戻っていることに気付くのに時間はかからなかった。


 帰っていいと言ってしまった沙羅がいなくなっているのはもちろん、そのままでいいと言っていた料理もテーブルから消えていて、オレは夢から醒めたような気分になる。 



「沙羅……?」


 いるはずのない沙羅の名前をなぜかオレは無意識に呼ぶ。


 当然返ってくるはずない言葉。


 さっきまでのあの温かい空間と沙羅の笑顔を、なぜか無性に思い出してしまう。


「この部屋……。こんな暗くてつまんない場所だったっけ……」


 そんな風に感じたのは初めてだった。


 誰にも邪魔されないこの空間が自分的には気に入っていて、居心地が良くて、逆にこの殺風景で静かなこの空間がオレの唯一落ち着ける場所でもあった。


 誰に感情を揺さぶられることもなく、自分自身を保てる場所。


 自分にとってもそれは変わることはないと思っていた。


 それはある意味自分の気持ちと重なる部分があるはずなのに、なぜかあの時、沙羅に自分の家を料理の練習に使えばいいと自分から提案したことは、今も自分で不思議に思う。



 沙羅は昔からあの明るさと性格と人懐っこさで、不思議と自然に自分の中にスッと入ってくるような存在だった。


 それが決して嫌な感じもしなくて、ただそこにいてくれることでなんだか温かかったというかホッと出来たというか。


 オレとは違う真っすぐで純粋で、眩しく感じるほどのその存在は、いろいろ抱えてるオレにとって、その明るさと温かさに、どこか救われていたようなそんな気もしていた。


 そんな中で昔みたいにまたオレの中に自然と入り込んできた沙羅は、オレのそんな感情を少しずつ穏やかにしていたのも確かだった。


 長年こじらせて一人抱えていたその想いは、そんな簡単に無くなるものでもなく、その恋の終わらせ方もわからなくて。


 自分にとってそれがホントの愛情なのか家族愛としてなのかも区別がつかなくなってしまっていたオレは、茉白がいなくなったと聞いたあの瞬間、条件反射で何も考えることなく動いていた。


 正直沙羅とのあの時間は居心地よくて、茉白のことも思い出すこともなかった。


 それ以上に、沙羅の健気な努力が微笑ましく思えて、ずっと見守ってやりたいとそんな風に思えたり、甲斐甲斐しく料理を作る沙羅の姿を見て、正直相手の男がどんなヤツなのかふと気になったりしたのも、今まであいつに感じていた兄的な感情なのだとそう思っていた……。



 さっきとは違うこの部屋に帰ってきたら、なぜかそんな沙羅とのことばかり思い出してしまう。


 冷静になろうと冷蔵庫を開け、水を取り出そうとすると、いつもと違うその異変にようやく気付く。


「これ……」


 冷蔵庫にみっしり沙羅の作った料理がちゃんと保管されていた。


 周りに目をやると、その料理をどうすればいいか、ちゃんとメモまで残してくれている。


「あいつ、こんなことまで……」


 あんな冷たく突き放したのに、沙羅はちゃんとオレのことを考えて……。


 沙羅の書いてくれたメモを見ながら、一つずつ冷蔵庫から料理を取り出す。


「こんなちゃんと作ってたのか……」


 ラップされた料理や鍋に入ったスープを見ると、想像以上に凝った仕上がりで。


 見るからにわかるそれとメモに書いてある内容が一致して、そこで初めてオレが好きだと言っていたエビがたくさん使われてるのも知った。


「そっか、ホントにオレのためだったんだ……」


 そこで初めてあいつの想いにも改めて気付く。


「フッ。てか、アボカドどんだけ好きなんだよ」


 サラダに使われているアボカドにも気付き、あいつの笑顔が脳裏に浮かぶ。


「あぁ……。オレなんであの時……」


 沙羅が想いを告げたあの瞬間の、あの泣きそうになっている沙羅の顔や絞り出した声とか、今更になって思い返してしまう。


 それと同時に胸の奥が感じたことない痛みと切なさをもたらす。


 ここまでしてくれてたのに、なんでオレはちゃんと沙羅の気持ちを優先して一緒に食べなかったんだろう……。


 沙羅の言う通り、茉白には颯人がいるし、オレがどうこうしたところで、なんの意味もないし、誰も望んでもないのに……。


 沙羅は間違いなくあの時オレを必要としていたはずで。


 あいつのあの瞬間の告白も、きっと不本意で、オレが冷静じゃなかったから仕方なく口にしてしまったのだろうということも、今のオレならちゃんと理解出来るのに……。



 料理は鍋で作ったスープ以外、オレ一人だけの分しかない。


 メモをよく見ると、最後に「すごく美味しく出来たから絶対食べてね!」と書いてあることで、あいつは一人この料理を食べたことがわかる。


 どんな気持ちでこの料理をあいつは作って、どんな気持ちでこの料理を一人で食べて、どんな気持ちでこの料理をオレのために残しておいたのか……。


 それを考えるだけでまた胸がキリキリと痛んで苦しくなる。


 あいつがまさかオレのことが好きだなんて思いもしなかったから。


 あいつをそんな傷つけることになるなんて思いもしなかったから。


 今まで適当に関係を持った女たちに、必要以上に気持ちを重ねることなんてなかったし、実際傷つくようなことになる相手は元々関係も持たなかったから、オレは今まで知らなかったんだ。


 こんな風に何気ない行動が大切な相手を傷つけてしまうことがあるのだということを……。


 沙羅の親切を、沙羅の想いを、沙羅の純粋さを、オレはあんな形で裏切ってしまった。


 すべてを無かったことにしてしまった自分自身に今更ながら苛立ちを感じる。



 そんな気持ちを感じながら、沙羅の作った料理を沙羅のメモ通りに温め直し食べられる準備をする。


「いただきます……」


 そう一人呟き、沙羅が作ってくれた料理を口にする。


「うっま……」


 サラダを一口、口にした瞬間そのウマさに驚く。


 そして次々と全部の料理を口にして、ちゃんとその料理を味わう。


「あいつ、すげーな……」


 どれも料理初心者とは思えないほどのウマさで、オレはただただ感心してしまうほど。


「あぁ……。あいつにウマいってちゃんと言ってやりたかった……」


 一口一口、口にするたび、その美味しさが広がって、その分沙羅の想いが伝わってくる。


 これほど頑張ってオレのために作ってくれたのだと、これを食べたことでそれがわかる。


「あいつのお願い。なんだったんだろ……」


 料理がウマかったら叶えてやると約束したお願い。


 ホントなら、そのウマいという言葉を目の前にいる沙羅に伝えてやって、きっと沙羅は嬉しそうにそのお願いをしてきたんだろうな……。


 誰かの気持ちに応えることが出来なくて、こんなにも胸が痛くなるのは初めてで。


 なぜかこんなにも切なくなって……。


 その初めての感情を、オレは一つずつ実感していくだけで、その感情に大きな意味があるということも、その時のオレはまだ気付いてはいなかった。


 それがどれだけオレにとって大きな意味があったのか、どれほど大切な存在を傷つけてしまったのか。


 その取返しの出来ない大きな過ちに、オレはこのあと、長く苦しめられることになるなんて、まだ知らずに……。




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