レンが私にキスしてる……!?
その予想外の出来事に、体は硬直して。
瞳を閉じることもできなくて。
手からカバンが滑り落ち、床の上に落ちた。
頭の中を過去の出来事……。
まだ、みんなのことを避けていたレンとか……。
クレープのこととか……。
体育祭のこととか、文化祭のこととか……。
寝てるレンの頬にキスしたこととか……。
そういう思い出が
触れ合う唇。
優しい温もり。
すべての神経がそこに集中していくような感覚。
初めてのキスがレンで良かった。
そう思うと同時に、切なさも込み上げてくる。
レンは……他の誰かとしたことがあるの?
その想いに胸の奥がキュッと音を立てた。
どれくらいそうしていたのだろう?
やがて、レンがゆっくりと離れた。
それは一瞬だった気もするし、とても長い時間だった気もする。
「……これでいいのか?」
その一言に、我に返って。
何か言わなくちゃ!
そう思って口を開くけれど。
「——っ!!」
でも、それは言葉にはならなくて。
私は手の甲で唇を押さえた。
目の前には伏し目がちにこちらを見ているレンの姿。
「なぁ……なんか言えよ」
何度も聞いてるレンの声なのに、なぜか胸がドキッとして。
思わず頬に手を当てて
「わ……私、初めてだから」
「俺だって初めてだよ」
「えっ?」
その予想外の言葉に、咄嗟に顔を上げる。
レンと目が合った。
「えっ? て、なんだよ?」
「や……だ、だって、なんか妙に上手かったというか、優しかったというか……」
「あー……」
レンは無造作に頭を掻いた。
一度目をそらして、そしてチラリと私を見る。
「それは……気持ち込めたからじゃね?」
少しぶっきらぼうな言い方。
でも、私は気付いてしまった。
その頬が赤く染まっていることを。
きっとそれは、窓から入り込む夕日のせいなんかじゃなくて。
レンも必死に平静を装っているんだって、そう感じられた。
そして、たぶん私の顔も真っ赤だ……。
心臓はもう、激しい鼓動を奏でっぱなし。
この前お父さんが見ていたテレビで、小動物の心拍数は速いってやってた。
人間の心拍数が1分間で60から70回なのに対し、ウサギなんか180から250回も動くんだって。
「
そんなこと言って笑ってたけれど……。
お父さん!
ユイぴょん、今、ウサギ超えしてると思いますっ!!!
頭の中が沸騰しているみたいに熱くて。
言葉が一つも出てこない。
それはレンも同じなのだろう。
お互い、相手を真っ直ぐに見ることができなくて。
チラリと見て、視線が合ったら頬を染めて目線を外す。
そして、またチラリと見る。
……そんな視線の応酬に終止符を打ったのはレンだった。
「……じゃあ俺、帰るわ」
「あ、うん……わかった」
「また、明日な」
レンはカバンを手に取ると、急ぎ足で教室から出ていく。
「一緒に帰るか」
なんて言うこともできない余裕のなさ。
ただ顔を赤らめて立ち去ることしかできない姿に、本当に初めてのキスだったんだな……と強く思った。
もちろん、私だって余裕なんてこれっぽっちもなくて。
あと少し一緒にいたら、きっと沸騰して蒸発してしまったに違いない。
お互い、命拾いをした……。
ふと見上げた空の夕映えに、温かさを感じて。
不意に静かになった教室に、寂しさを感じて。
「……またね」
そう
ふわふわとした足取りで帰路につく私。
辺りがすっかり暗くなってしまった頃、ようやく家に辿り着いた。
どうやって帰って来たとか、途中で何を見たとか全然覚えていない。
とにかくずっと、夢見心地ってやつだった。
玄関を開け、手を洗って自室へと向かう。
机の横にはゴミ箱が置いてあって。
お母さんが捨ててくれたのかな。
中は、もうすでに空っぽになっていた。
それを横目に見つつ、机の一番下の引き出しを開けた。
小さな箱を取り出し、机の上に置いて蓋を開ける。
——そこには、猫のキーホルダーがあった。
あのとき捨てようとして。
でも捨てることができなかった。
私はそれを取り出すと強く握りしめる。
チャラッ!
久しぶりに聞く澄んだ音色は、なんだかとても懐かしかった。
「やっぱ、もうダメだ……」
やっぱり、私はレンが好き!
この気持ちはもう、抑えることはできない。
「……アイリに、ちゃんと話さなくちゃ」
ベッドに腰かけると、制服のままだけれどコロンと横になる。
スカートがシワになっちゃうとか、今だけはどうでもいいと思った。
そっと、唇に指を当ててみる。
レンの唇の感触が——。
その温もりが思い出されて。
私は枕に顔を押し付けると、足をバタバタさせた。
「私……レンとキス……しちゃったんだよね?」
夢じゃないよね?
現実だよね?
これであとから
残念!
実は夢でしたー!
とか言ったら、私、怒るからねっ!
* * *
「……い」
ん……。
「結衣ー」
誰かが名前を呼んでる……?
「結衣、起きなさい!」
その声が……。
お母さんだと気が付いて、私は思わず飛び起きた。
カーテンの隙間から入り込む陽射しが眩しい。
「あれ? お母さん、どうしたの?」
「どうしたの? じゃないわよ。まったく、夕べはご飯も食べないで。疲れてるのかと思って起こさなかったけれど、あなた制服のまま寝てたんじゃない!」
「あ、やば……」
時計の針は午前6時30分。
制服のまま朝まで寝てしまった。
ブラウスもスカートも変なシワができている。
いつの間にか上着だけは脱いでいたのは不幸中の幸いだった。
「あらあらもう! ほら、お母さんがアイロンかけておくから、結衣はシャワーを浴びてきちゃいなさい」
「う、うん、ありがとう!」
私は着替えを手にすると、部屋を飛び出した。
シャワーを浴びて、朝ご飯を食べて、着替えをして。
スカートは新しいものを下ろした。
パリッとした感覚が心地よい。
「行ってきまーす!」
朝の住宅街に私の声が響き渡る。
お母さんがいつもより早く起こしてくれたから、普通に歩いても余裕で間に合う。
通勤、通学の人の流れに紛れて、私はホッと息を吐いた。
それと同時に昨日のこと……。
レンとのキスを思い出して、私はハッとした。
「あれ……? もしかして、夢だった!?」
夢だって言ったら、私、怒るからねっ!
なんてこと思ってた気もするけれど、それも夢か現実かはっきりしなくて。
更には、どこに怒ればよいのかもわからず、モヤモヤとした気持ちで歩道を歩いていく。
ふと前を見ると、人混みの中にレンの姿を見つけた。
こんなときでも、私の能力は健在みたい。
そして次の瞬間、レンが不意にこちらを振り向いた。
さすがは同じ能力を持つ者同士といったところ。
「……よお」
レンが遠慮がちに手を上げた。
「おはよ……」
私もその挨拶に応える。
足を止めて二人で向かい合って。
だけど、お互い言葉はなくて。
脈拍だけが異常に上がっていく。
その瞬間、レンが口を開いた。
「……なんか言えよ。昨日のこと、意識しちゃうだろ」
そう言って頭を掻く姿に、私の顔が瞬時に熱くなる。
見れば、レンの顔も真っ赤で。
なんだか
「ふふふっ」
思わず笑った私に、レンの顔にも笑みが浮かんだ。
「あはははは」
そして、二人で顔を見合わせて笑い合った。
昨日のこと、夢じゃなかった。
そして、ちゃんとレンも意識してくれている。
そのことが嬉しくて、いつまでも笑っていた。
レン、大好きだよ……。