ようやく、ここにきて良い話しが書ける形になりました。
前にも書いた通り、年末に敗血症性ショックで倒れて、なんとか一命を取り留めた母でしたが、足腰が動かなくて要介護5の状態です。
-母が倒れて救急車で緊急搬送されて、入院してから6ヶ月。
家族は、倒れた母の看病や見舞いなどに加えて、自営している町工場の経営難、それに色々な困難や苦難が加わって、死闘の毎日でした。
家族全員が1日を生きるのに、やっとの状態です。
母が救急搬送された病院を今年の2月初旬に出て、リハビリ病院に転院して、4月の末のあたりから、介護施設へ移る話が出ました。
要介護5の状態では、到底、家で母を見るのは絶望的な状態だから、どこかの施設に預けるしか道がない状況です。
介護施設は、なかなか空きが出ずに、日々苦闘する毎日でして、仕事の合間に、空きがあって脈がありそうな施設があれば、施設に入所希望の書類を書くようなコトを何度も繰り返しました。
母は、足腰が全く動かないだけで、痴呆の症状がない状態だから、施設に入る事を内心は拒否していても、私たちが到底、母の面倒が見られないことを考えて、家に帰ることをできない胸を、担当のケアマネジャーに伝えます。
ケアマネジャーさんから、その旨に関して、私に電話がかかってきましたが『お母様の言葉は、とても虚しかった…』と。
そんな感じで施設に空きのない状態が20日ぐらい続きまして、惰性での入院生活が続きましたが、先日になって光が見えてきました。
母が、現在、入院しているリハビリ病院の系列施設に、ショートステイの空きができたのす。
これはとても有利な話でして、病院に隣接している施設のために、移動に時間が全く掛からない事や、母の病状が急変したときに、病院が隣であることから、容易に診察が可能という事になります。
リハビリなども引き続き、この病院で行うことも可能になります。
ただ、苦難は続きました。
今は仕事が相当に忙しくて、納期に追われている時ですから、母の施設への移動日が納期厳守の仕事と重なりましたし、私の胸腺腫のフォロー診察日とも重なった影響で、私の診察予約の日時を変更せざるを得ない状況に追い込まれていたのです。
母の件も、病院と施設側に事情を話して、退院して施設に移動する日をずらして頂きましたが、色々な諸手続で、私が母のことで奔走する事態は変わらずですから、内心は本当に悲鳴をあげています。
ただ、ここにきて、一歩ずつ改善傾向でかつ、前に進んでいる気がしています。
母が施設に慣れてきたら、半日や夕刻までになるかも知れませんが、一時帰宅の態勢を整えてあげたいと考えています。
頭がシッカリとしているぶん、母は少しでも良いから家に帰りたい筈です。
このことは、母が施設に移った後に、暫くして生活に慣れてから展開を考えたいと私は考えているのです。
本音は、母は私の子供達の顔を少し忘れ掛かっているから、どうしても、合わせてあげる手段を作ってあげたいと考えている…なんて理由もあったり。
暫くの間は、母のことで施設に預けながらも、色々なことで奔走する日々が続くと思います。
やっぱり、倒れるまで家事までシッカリこなしていた母が、70代中盤にして、敗血症性ショックで倒れて再起不能になったのは、私たちとしては、とても痛かった…。
この件に関しては、暫く苦闘が続くと思われます。
命が繋がったのは本当に良いことだったが、本当に疲れた…。
これが私たちの本音でもあったります。