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第11話 私の知らない彼(2)

 一夜明けて、祝日の今日は学院もお休み。

 そして、当然ながら先輩もお休み。というわけで――


 きのう、『休みの日の彼を見てみたい』って急に思い立った私は、彼の自宅へ初突撃することにしたの。

 手土産は、お母さんの作ったあの『イモヨーカン』。

 こんな美味しい手土産があれば、彼だってきっと家に入れてくれるはずよね! 二人っきりの環境で、先輩の真意を確かめてやるんだから。


 ……って、これじゃあなんだか、クリスのゴシップ好きが私にも移ったみたいじゃない。

 ちがうちがう、そっちじゃないわ。

 私は彼のことが知りたいだけだもん。



     ◇◇◇



 私はお昼を少し回った頃、先輩のおうちに向かったの。たぶん午前中は寝ているだろうからと思って。


 うちと学院の間くらいの場所だから、そんなに遠くはないのよね。帰り道で一度だけ先輩が、ここに住んでるよって教えてくれた。


 通学路に立ち並ぶ、古いアパルトメントのドアを開けると階段が。私は軋む木製の階段をゆっくり昇っていったわ。そして一室のドアを、私はドキドキしながらノックしたわ。


 いるかな……先輩。

 まだ引越の片づけ中って言ってたけど、どんなお部屋なのかしら。

 きっとオシャレな家具とか、美術品とか、いろいろあるんでしょうね。


 なーんて色々と想像していると、部屋の中から物音が聞こえた。

 そして、分厚い扉が耳障りな音をたてて少し開いたの。

 そのドアの隙間から、ぐちゃぐちゃ頭にヨレヨレパジャマの彼が、恨めしそうな顔でこっちを見たの。


 次の瞬間、

「どちらさまで……ええ⁉ ええええええええええええええ⁉

ミ、ミラ⁉ ど、どどど、どうして」


 突然の私の訪問にビックリした彼は、腰を抜かしそうになってたけど、なんとか気を取り直して、もう少しだけドアを開けてくれた。

 そこまで驚かなくてもいいのにな~。


 それにしても……。

 うわぁ、ヒドい有様……。

 これホントに先輩?

 普段とぜんぜん違う……。


 正直、引いてしまいました。先輩ごめんなさい。


 私は戸惑いを押し殺しながら、あらかじめ考えていた台詞のとおり、彼に挨拶をしたの。


「おっはよ、先輩。抜き打ち査察に来ちゃった♪ ほら、イモヨーカンもあるのよ! お部屋に入れて~」

「え……。さ、査察? イモヨーカン?」


 先輩はまだ眠いのか、ぼんやりしていて事態が呑み込めてないみたい。

 彼が銀色の長い髪をかき上げると、眩しそうに細めてる切れ長の目が見える。これまた普段は見られない顔だから新鮮。

 だけど、寝起きのせいか彼の声はガラガラで、普段の美声はどこにいったのかしら……。


「先輩、おねがい、おうちの中に入れて~」

「いや、でも、部屋片付いてないし……身支度もしてないし…………また今度」


 だんだん目が覚めてきたのかな。

 先輩はどうしても私を中に入れたくないらしいわ。

 でも、ここまで来たのに引き下がれないわ!


「お掃除なら手伝うし、身支度するの待ってるから」

「だけど……君に、寝起きのこんな僕を見られるなんて耐えられない」


 たしかにこのギャップはすごいわよね。

 でも一緒に暮らす気なら、どうせ見られるのだし今さら気にすることなのかしら?


「もう見てるでしょ」

「そうだった……。じゃなくて、本当にごめん、今日は帰ってくれないか」

「なんで? 貴方の愛しのミラちゃんが来たのよ?」

「わかってる。心から君を愛してるよ。でもそれとこれとは違うんだ」

「どーして?」

「もっとちゃんと準備をしてから招きたいんだよ。わかってくれないかな……」

「いつもちゃんとしてるから大丈夫! 今日はそのままでいいから、ね?」

「しかし……」


 先輩がオロオロしてる。

 だんだん彼が可愛そうになってきちゃった。

 だけど、ここで退いたら負けなのよ、ミラ!


「本当にごめん。もう少し睡眠を取りたいんだ。頼むから今日のところは引き取ってくれ。じゃ、おやすみ……」


 先輩は私との押し問答を切り上げて、ドアを閉めようとしたの。

 そうはさせるもんですか!


「や、やだ~~~っ」


 私は反射的にドアノブを引っ張って抵抗したの。ついでにドアの隙間につま先も突っ込んだわ。

 こうすると聞き込みの時にドアを閉められなくなる、ってクリスから聞いたのが役に立ったわね!


「困った子だな……」


 彼はドアを閉めるのを諦めて、力を緩めたわ。そのせいで、思いっきり引っ張っていたドアがぐわっと開いて、少しよろけちゃった。

 そして先輩は急に無言になって、それから……私の全身に粘っこい視線を何周か這い回らせて、一歩近づいてきて。


「ダメ。いま飢えてるから」

 と耳元で囁いたの。

 国立庭園の時、馬車の中で見たのと同じ、あの妖艶な顔で。


「う~~~~~~~ッッッ!」

 私は耳から顔まで、一瞬で熱くなっちゃった。

 やっぱり、やっぱりあのとき、先輩は私のこと……!


「ねえ、僕に食べられちゃう前に、お帰り。ミラ」

 と彼がささやいて、そしてまたドアを閉めようとするの。


 でも、せっかくここまで来て引き下がるわけにはいかないわ。

 私はドアのへりに手をかけて、ぎゅーぎゅーひっぱって抵抗したの。

 無理に閉めると私の手足が挟まるから、彼にはそんなこと絶対出来ないわよね。


 こんなに抵抗するなんて、もしかして……

「さては、中に誰かいるんでしょ!」

 と詰め寄った瞬間――。


 彼は急に『バンッ!』とドアを全開にして、


「な、なんだって!? まさか、君は僕が浮気してるとでも言いたいのか!! あり得ないよミラ!! 中をあらためもらって構わない!!」


 って、すごい剣幕で怒鳴ったの。


 わかってるわ、そんなこと。

 ユノス・シンクレアは、私一筋だってこと。


「ぷっ。ふはははっ。やっと目が覚めたね、先輩」

「え?」

「私ちゃんとわかってるもん、貴方が一途な人だって」


 血相を変えた彼は一旦落ち着くと、はぁと大きくため息をついて、

「まさか……、ドアを開けさせるために僕を謀ったのかい? ああ、君に一本取られたな」


 先輩は長い髪をかき上げながら、呆れ半分に笑ったの。

 これはこれで悪くないかも? って思ったわ。


「コーヒー淹れてあげる。キッチンどこ?」

「君が朝のコーヒーを淹れてくれるのは大歓迎なんだが、飲んだらすぐ帰ってくれよ」


 そう言うと、先輩は疲れた笑顔で部屋の奥を指さした。

 やれやれ、やっと中に入れてくれる気になったのね。



     ◇



 さぁ~て、先輩のお宅、拝見っと……。


 先輩に続いて部屋に入った私はぐるりと中を見回して驚いたわ。

 まるで安ホテルのような素っ気なさ。

 想像していたのと全く違う様子に私は――。


 壁に一着の黒いロングコートが掛かってる他は、数個の木箱だけ。

 荷物の片づけが終わらないって話、あれってウソだったのね。


「キッチンならあっちだけど。ん……ミラ、どうかした?」

 急にテンションの下がった私に気が付いた彼が、気遣わしげに声をかけてきたの。


「ひどく寂しい部屋ね……。生活感がまるでないわ」


「ああ……、そうだね。この街に引越して間もなく君と付き合い始めたから、今まで部屋に構うヒマがなかったんだ」


 眠そうな顔でヘラヘラ笑う先輩。

 まるで何かを誤魔化すように。


「これしか荷物がないのに、片付ける時間がなかったなんて嘘でしょ」


 先輩は少し間を置いて、返事をした。

「……別に嘘ついたつもりはないよ。荷物は箱に入れたまま使ってるし」


 私は振り向いて、

「崩れるほど箱もないのに、ケガしたっておかしくない?」


 先輩は無理な作り笑顔でつぶやいた。

「僕の言葉をよく覚えてくれてるんだね……。それとも警戒してる?」

「してないよ警戒なんて」

「そうか……よかった」

 先輩は少し悲しそうな顔で、そうつぶやいた。



 いくら恋愛初心者の私だって、そろそろ愛玩動物は卒業しなきゃって思ってる。あんなに大事にしてくれるのだから、彼の想いにも応えてあげたい気持ちもあるの。


 でも隠し事ばっかりじゃあ、踏み込めないのも当然よね?

 手の内をぜんぜん見せてくれない先輩も悪いんだから……。



 それから先輩は私をキッチンに案内すると、身支度をするからといって別の部屋に入っていったの。

 私は私で、とにかく今はコーヒーを淹れなくっちゃ。彼から全てを聞き出すには、きっと飲み物が必要になるはず。……わかんないけど。


「さて、と……」


 残された私は、さっそくキッチンの中を見回した。コーヒーを淹れるって言ったとき断られなかったから、きっとどこかに豆はあるのよね。


 狭いキッチンには、陶器タイル製のシンクと、作り付けの簡素なカウンター。そして食器棚があったの。

 コーヒー豆とミルはカウンターの上に。そしてカップ類は食器棚の中で見つけたけど、最低限の食器しか入ってなかったの。

 これじゃあ食事は外でとるしかないわよね。


 カーテンがないから、朝日が部屋の中程まで差し込んでいたわ。

 とりあえず、明るくていいキッチンね。

 でも、せめて、お花のひとつもあればいいのに。

 こんど家のお庭から、いくつか摘んで持って来てあげようかな。

 あ、その前に花瓶を用意しなくっちゃ。


 ……こんな寂しい生活を一人でしていたなんて、ちっとも知らなかった。

 彼は、何も教えてくれない。

 暮らしぶりだけじゃなく、何もかも。


 私はキッチンでお湯を沸かしているあいだ、コーヒー豆をミルで挽いたの。

 家ではたまにお父さんがコーヒーを飲むから、そのお手伝いで子どもの頃からコーヒー豆を挽いていたわ。ミルをぐるぐる回すのって楽しいじゃない? だから、豆を挽くお手伝いが好きだったのよ。


 コーヒーの用意をしている最中、バスルームから先輩が顔を洗ってる音がする。一緒に暮らすようになったら、きっと毎日聞くことになるのよね。

 そういうの別にイヤじゃないし、いまでも毎日いっしょにご飯を食べてるから半分家族みたいだし。


 そろそろ先輩の身支度が終わりそうなので、私はコーヒーを淹れ始めたの。

 シンプルだけど質のいい道具が揃えてあって、先輩って身の回りのことを割とちゃんとしてる人なんだな、って思ったわ。

 そう思うと、だらしない姿を私に見せるのをあんなに嫌がってたのも、少し分かる気がする。ちょっぴり罪悪感……。


 このまま流れで彼と一緒に……って、たしかに悪くはないけど、そう。悪くはないのよ。でもやっぱり、はっきりしておきたいことがいくつもあって。


 だからここに来たんじゃない、ミラ。

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