その後も時田らの奮闘は続いた。
まず、時田達は疲労したように見せかけ、軍を一時的に後退させる。
その様子を確認した斎藤軍は追っ手を差し向けた。
先の戦で城に逃げ帰ってきた将兵も再編成し、敵が絶え間なく銃撃を浴びせてくることなどの情報を手に入れた斎藤軍はもう一度同じ数で攻め寄せてくる。
事前に情報を入手し、万全な心構えで挑む。
それに対して時田達は一目散に逃げるのみであった。
しかし。
「……やはり想定通りですか」
その様子を見た時田は急遽軍を反転。
一切の疲労の様子を見せず、時田勢は再度三段撃ちを斎藤軍に仕掛ける。
「な……何だと!?」
まさかの迎撃に、斎藤軍は手痛い被害を被ることとなる。
斎藤軍は時田勢の追撃を急ぐあまり、軍は細く伸び切っており、まともに戦うこと無く先頭から崩れていく。
更に。
「突っ込め!」
「明智の強さを見せつけよ! この光安に続け!」
細く伸び切った軍の両側から明智の騎馬隊が攻め寄せる。
実は騎馬隊はいち早く離脱し、近くの茂みや家屋等に潜んでいたのだ。
斥候を放ち、慎重に追撃をすれば見落とすことは無かった筈なのだが、目の前にいた時田勢を討ち取る事に躍起になっていた斎藤軍は気付かなかった。
「……少し違う気もしますが、槌と金床、ですね」
槌と金床戦法。
それは部隊を二つに分け、一部隊が敵を引き付けている間に、別働隊で敵の背後や側面を襲い、包囲、挟撃する作戦である。
それは島津の釣り野伏等とも近い戦術で、近代でもよく使われ、朝鮮戦争等でも使われた戦術である。
「ひ、退け! これ以上兵を失うわけにはいかん!」
数的不利もあり、時田は斎藤軍を包囲殲滅するまでには至らなかった。
斎藤軍はからくも稲葉山城に逃げ帰る事が出来た。
しかし痛手を与え、斎藤軍に強烈な印象を植え付けたのは確かであった。
その、敵は強いという認識が、時田が望んでいた物である。
「さて。作戦通り、我らはこのまま城攻めの形に移ります。用意の方をお願いしますね」
「承知した」
時田は平松に攻城戦の支度に取り掛かるよう伝える。
時田勢は稲葉山城の南から攻め寄せる姿勢を見せ、斎藤軍も残された兵、ほぼ全軍を稲葉山城の南側に配置したのである。
その報せは、すぐさまとある男に届いた。
「……時田め……やりおるわ」
その男は届いた報告を聞き、歓喜と共に立ち上がる。
「皆の者! 出陣だ! 我らが居城、稲葉山城を取り戻すぞ!」
稲葉山城から北に少し離れたところで鬨の声が上がる。
稲葉山城に届くほどの声ではなかったが、その声からは士気の高さを感じる。
「……義龍、待っておれよお主の父、斎藤道三がお主に引導を渡してやる」