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第12話 「幸せな瞬間」

《千隼side》


 紗和が華月家に戻ってきた。


 紗和が戻ってくるのはもう少し先だろうと考えていたが予想以上の早い戻りに少々驚いた。もちろん、戻ってきてくれたことはとても嬉しい。


 だけど……あの八重桜当主は紗和を快く返すとは思えない。そう思った私は紗和に直接理由を聞いた。そうしたら、琴葉と和解し、義理の母親から戻って良いと言われたらしい。


 あの琴葉と和解するとは……。


 紗和はいったいあの琴葉にどんなことをしたのだろう。紗和は出会った頃は弱々しくて今にも消えてしまいそうだと思っていたのに。


 いつの間にかこんなにたくましくなっていた。あの八重桜家から離れて数ヶ月しか経っていないはずなのに。


 紗和の背中はとても大きくて。


 見違えるほど綺麗になっていた。


 「……紗和。おかえり」


 今、私の横ですやすやと眠っている紗和にそう話しかけた。今日は私も仕事が休みなので紗和とゆっくりしようと部屋に招いた。


 色々話をしていたらいつの間にか紗和は眠っていた。最初、出会った頃より安心しきった表情で眠る紗和を見て愛おしいという気持ちで溢れた。


 こんな結婚生活を送れると誰が思っただろうか。


 この私がひとりの女性をこんなにも愛すると誰が思っただろうか。


 私はそっと紗和の頬に手を伸ばす。ふわふわで柔らかい紗和の頬はとても心地よかった。そんな私の手に擦り付けるように動く紗和。


 起こしてしまったか……と思ったがまだ気持ちよさそうに眠っている。そろそろ夏本番を迎えようとする七月下旬。


 セミの鳴き声、強い日差しが照りつける私の部屋は、平和そのものの空間が流れていた。紗和を見ていると私も段々と眠くなる。


 今日は休みなのだ。


 少しくらい昼寝でもするか……と流れに身を任せ、目を瞑る。すると私はすぐに深い眠りへと落ちていった。


 ***


 ……ここは、どこだ?


 眠りに落ちてしばらくした後。私はぼんやりする頭の中で意識を取り戻した。


 といっても目を覚ましたわけではなく、夢の中で意識を保っていた。


 いつもは夢を見ずに寝ていたのだけど……こんな昼寝ではっきりと夢を見ているなんて。


 これも紗和の異能の力か?


 そう思いながら辺りをゆっくりと見渡す。夢の中は真っ暗で先は何も見えない。誰かいる気配もない。私は警戒しながらもその場で立ち尽くしていると。柔らかい光が目の前を霞んだ。


 (……なんだ?この光は)


 不思議と夢の中では声が出ない。口を動かすことはできない。


 どうしたものかと困っていると光が消えた瞬間、目の前に紗和が現れた。そのことに驚きつつも少しほっとする私。おそらくこの夢は紗和の異能が見せているもの。


 縁結びの異能の中には夢を見せるということもあるらしい。さらにあの八重桜当主は『予知夢』という異能を持っている。


 少なからず紗和はそれを受け継いでいるのだろう。縁結びと予知夢の異能が見せている夢だとすれば……これは未来を映し出すものかもしれない。


 そこまで考えて紗和をよく見てみる。目の前の紗和は巫女の衣装を身にまとい、髪を下ろしている。


 普段見ない格好に少しドキッとするがどんな姿でも紗和は綺麗だった。紗和に触れようと手をのばすがそれは無理だった。


 手を伸ばし、紗和に触れる程の距離にいたけど。それを拒むように身体を透かし、触れることは無かった。


 (どういうことだ……?)


 目の前の異常な光景に目を見開く。夢の中なら現実でありえないことが起こっていても仕方ないと思うが。紗和に触れることが出来ないのは演技でもないと思ってしまう。


 どういう意味でこの夢を紗和は見せているのだろうか。


 まさか、いつも寝ている時にうなされている理由は……こういうものを見ているせいか?


 ふと紗和の眠っていた姿を思い出す。私の前から消える前、紗和はよく寝ている時にうなされていた。それはきっと八重桜家の過去の出来事が関係していると思っていたが……。


 もし違うなら、紗和は未来を見ていたということになるのか?


 「……旦那、様」


 そうこう考えているうちに紗和は私を呼ぶと目の前から消えてしまった。


 ハッとして前を見た時にはもう何も無い真っ暗な空間が広がるだけだった。どうしたらいいか分からずその場で立ち尽くしていると。


 どこからか、また私を呼ぶ声が聞こえた。


 「旦那様……旦那様!」


 「……さ、わ……?」 


 その声に反応するように目をゆっくりと開ける。すると、そこには心配そうに私を見つめる紗和がいた。まだ眠気の残る頭を無理やり起こす。


 ……やはり夢だったか。


 紗和が目を覚ましたから、夢の中で消えたのだろうか。よく分からない出来事にそんなことを思ってしまった。


 「大丈夫ですか?だいぶうなされてましたけど……」


 紗和は私の隣に座り、私をじっと見つめる。その仕草に胸を鷲掴みされたような感覚になる。


 ……って、私は心配してくれてるというのに何を考えているのだろうか。


 「大丈夫だ。久しぶりに昼寝をしたから夢を見ていただけだ。紗和が心配する必要はない」


 紗和に安心して欲しくて笑いながらそう言った。


 だけど紗和の表情は変わらない。どうしたものかと思っていると急に紗和が私との距離を縮める。


 あまりの近さに思わず驚いてしまった。


 「旦那様。少し目を瞑っていてください」


 「……ん?わかった」


 真剣な表情だけどこれでもかと顔を真っ赤にしながらお願いされる。


 これから何をするのだろうと不思議に思うが紗和に言われた通りに目を瞑った。その間、何故か心臓が騒がしくて。甘い空気が部屋いっぱいに広がる。


 「……愛しています」


 「……っ、んっ……紗和……!?」


 しばらく待っていると紗和がつぶやく。


 その直後。


 私のくちびるになにか柔らかいものが当たり、思わず目を開けてしまった私は、今起こっている出来事が信じられないと思った。


 だって……紗和から、甘くて優しい口付けをされていたのだから。くちびるに当たっていたのは紗和のくちびる。


 至近距離で見る紗和は緊張しているのか少し震えていた。


 どうして急に……と思ったがそんなことはすぐにどうでも良くなる。私は、気づいた時には、紗和を押し倒していた。


 「……きゃ!旦那、様……?」


 恥じらう紗和が可愛くて愛おしくて。今にも抱きたい衝動に駆られてしまう。紗和の頬を撫でると私はまたすぐに深い口付けを落とした。


 乱れる音にただ幸せという気持ちでいっぱいになる。


 私だけ愛しているのかとたまに不安になってしまっていた。でも、こんな紗和の姿を見てしまったら自惚れてしまう。


 それほどまでに、私は……紗和に溺れていた。


 「んっ……旦那様……はぁ……んっ」


 何度も何度も口付けを落とすがそれでもまだまだ足りない。


 紗和を求めて、縋って。


 こんなの私らしくないと思いながらも。止まることは出来なかった。


 「……はぁ。紗和……私も、愛してる」


 スルッと何も考えず紗和の着物の下に手が伸びてしまう。


 「きゃ!だ、旦那様……!それ以上は……」


 止まらなくなった私を見て戸惑う紗和。それを見た私は、はっと理性を取り戻す。


 まだ婚約前なのにこんなみだらな行為をしてはいけないと頭の中で警告音が鳴り響いた。


 口付けは今まで何回かしてきたけどここまでのことはしてこなかった。


 「す、すまない……」


怖い思いをしていないか不安になり、慌てて謝る私。普段なら冷静に物事を判断して状況を理解するのに。


 私は……紗和のこととなると何も考えられなくなる。


 「いえ……私から始めたことですので。旦那様は何も悪くないです。私こそすみませんでした」


 紗和の腕を引いて身体を起こすと申し訳なさそうに頭を下げる。


 本当は紗和とこの先のことをしたかったと思ったのは私だけの秘密にしておこう。


 大切にすると心に誓っているからには婚約と縁結びの儀が終わるまで紗和にはもう手を出さない。


 「そんな謝るな。私は幸せだから、それでいいだろう?誰にも迷惑かけてないんだ。休みの日くらい私に思う存分甘えろ」


 どうにかして不安を取り除こうと頭を優しく撫でる。


 甘えることに慣れていない紗和は私といる時いつもどこかぎこちない。そろそろ心を開いてくれているのかと思ったがそう簡単にはいかないみたいだ。


 ただ、こうして自分から甘えようとしてくれたり、紗和なりに頑張っていると思うと愛おしいという気持ちが溢れてしまう。


 私は、はにかむように笑う紗和をそっと抱きしめた。さっき見た夢のことを忘れてしまいそうになるほど私は幸せで満たされていた。


 ***


 数日後。


 私は仕事の合間に皇帝様に呼び出された。おそらく縁結びの儀についてだろう。


 仕事を少し片付けた後皇帝様の部屋に向かう。


 「失礼します。千隼です」


 「入れ」


 いつものように襖の前に座り、返事を待つ。するとすぐに中から声が聞こえ、襖を開けた。


 「呼び出して悪いな。今日は少し折言った話があってだな」


 布を被せられた奥の部屋から皇帝様の声が聞こえる。今日も顔は見えない。


 私は、顔を上げながら皇帝様の話を聞いていた。


 「折言った……と言いますと?」


 「ひとつは縁結びの儀について。もうひとつは……八重桜紗和について話をしようと思っているんだが」


 「……紗和、についてですか?」


 縁結びの儀について話すならわかるが今更紗和についてなんの話をするのだろう。


 思いがけない皇帝様の言葉に思わず聞き返す。


 なんで皇帝様から改めて紗和の話を持ちかけるんだ?


 「まぁ、とりあえず話を進めるぞ。一つ目の縁結びの儀についてだ。これはもうお前も知っているだろうが、中心人物を八重桜紗和に変更となった。それと日程も軽く決まり、事が大きく動き出している」


 私の疑問を遮るように話を進める皇帝様。早口に話すのでそのことに不思議に思う私。


 正直、あまり話の内容が頭の中に入ってこない。だいたい先日、皇帝様の言伝で聞いた内容だったから特に問題ないが。


 紗和についての話が頭から離れなくて、眉間にシワがよる。


 「……千隼、聞いているか?」


 あまりにも音を出さないためか皇帝様が少々怒り気味に私に尋ねる。私は慌てて返事をした。


 「申し訳ございません。聞いています」


 話はほとんど頭に入っていないが正直に言えるはずもなく。その場しのぎの謝罪をした。布の奥から皇帝様のため息が聞こえる。


 いつもならこんな失態はしないのに、紗和のこととなると本当に私はダメになってしまうな。そう思いながらそっと目を伏せる。


 「まぁ良い。縁結びの儀については以上だ。お前が気にしているであろう二つ目の話に入ろうとしようじゃないか」


 私の様子を感じ取ってか縁結びの儀についての話を早々に切り上げる皇帝様。


 ……やはり皇帝様に嘘を着くのは無理だったようだ。改めて私自身の態度に反省する。


 「……はい」


 いったい何を話すのかと身構えてしまう。皇帝様が紗和のことを話すなんて思いもしなかったから、緊張してしまう。


 琴葉の本性を知る前は紗和のことなんて見向きもしなかった皇帝様だ。


 ……でも、確か紗和と初めて対面した時なんか言っていたような気がする。


 あまりよく覚えていないが、まるで知り合いに会ったかのような反応をしていたということはぼんやり覚えている。


 「千隼。これを見てみろ」


 「……写真、ですか?」


 身構えていると布の隙間からある一冊の本のようなものを差し出してくる。


 私はそれを受け取ると、中には写真のようなものが挟まっているのに気づいた。


 「そうだ。見ても良いぞ」


 「はい。失礼します」


 皇帝様から見ても良いと許可を得たのでゆっくりと分厚い表紙をめくった。


 かなり昔の写真なのかホコリ被っていて冊子を動かす度にむせ込みそうになる。何とか堪えながらめくったページを見てみると。


 「……さ、わ……?」


 そこには紗和にそっくりな女性の写真があった。思わず名前を呟いてしまうほどそっくりな女性。


 写真の中の彼女は白黒の写真でもわかるくらい上等な着物を着ていた。キリッと目を釣り上げ、気の強そうな雰囲気を醸し出している。


 「……なぁ?お前の婚約者にそっくりだろう?私も最初八重桜紗和を見た時、驚いた。まるで“昔の婚約者”を見ているようだった」


 「……は!?今、何と仰いました!?」


 息をのみ、写真を凝視していると皇帝様がなにかとんでもないことを言ったような気がして。反射的に聞き返す。


 言った言葉を信じることができなくて。


 落ち着くことなんかできるはずが無かった。


 「まぁまぁ、少し落ち着け。今から話すと言っているではないか」


 あまりの慌てぶりに皇帝様はため息を着く。それを聞いて何とか気持ちを落ち着かせ、座り直した。


 「……確か、私がその女性と出会ったのは、私が15の時。ちょうど今の息子と同じくらいの年齢だな」


 皇帝様は思い出すようにポツリポツリと話し出す。皇帝様の婚約者だった人の話を聞くのは初めてだったのでどんな反応をすればいいのか分からない。 


 ただ、私は黙って話を聞いていた。


 「その頃、私の未来の嫁を見つけるために縁結びの儀を執り行うことになった。その中の花嫁候補の中に、その写真の女性がいたのだ」


 聞けば、この女性の家系はかなり異能が強いらしく、産まれてくる子供はみな優秀だったらしい。


 影で軍事を引っ張ったり、お偉い様の付き人をしたりと上流階級の中でも名が知れた家系だったんだとか。私は、改めて写真を見る。


 やはり、そこには紗和がいるようにしか見えない。見れば見るほど紗和そっくりで。目が離せなくなった。


 「当時、私は選ぶ権利などなかったから、当日まで花嫁候補のことは全然知らなかった。だけど、当日。私は、写真を見ただけでこの女性に一目惚れしてしまったのだ」


 ……私と、同じだ。


 無意識にそう思ってしまった。私も今までは女性に対して興味を持てなかったが、紗和の写真を見た瞬間、何かが反応してこの娘を花嫁にすると心に決めた。


 父上もそのことに驚いていたのでかなりの予想外の出来事だったのだろう。


 「だがしかし。その娘は私からの花嫁候補を辞退した。それは何故かわかるか?千隼」


 「……いえ、分かりません」


 試すように私に問いかける皇帝様。私は咄嗟に首を横に振る。


 「そうか。その娘は、“八重桜家に嫁ぎ、旦那の縁結びの儀”を支えると言ったそうだ。彼女の異能は“縁結び”と“読心能力”。八重桜家の花嫁候補でもあったのだろう」


 「……八重桜家の、花嫁候補」


 ……つまり、この女性は、八重桜家の異能を強めるために、皇帝様の花嫁候補を辞退した。


 そして、当日になって、嫁入りし、縁結びの儀を成功に導いた……という流れになった。


 「ここまで話せば分かるかもしれないが、その写真の女性は八重桜紗和の母親に当たる人物だ。それを八重桜紗和に見せると良い。きっと何かを思い出すだろう」


 縁結びの儀は無事成功し、皇帝様の花嫁が決まった。それが今の皇后様。皇后様はあまり表には出ないが私は何度か話をしたりしたことはある。


 縁結びの儀があったからこそ、今この国はいい方向になっていて、戦争も起こっていない。


 八重桜家は本当はかなり優秀な家系なのだ。それなのに。あの現八重桜当主は、ひん曲がった性格のまま当主を任され、今まさに八重桜家が壊れようとしている。


 自分の愚かさに気づかず周りばかりを責め立てる姿はなんとも惨めだと思ってしまった。


 「皇帝様は、今の結果に満足していますか?」


 紗和の話を思い出しながら無意識にそう聞いていた。無礼を承知で聞いた質問だった。


 この国に、結果的に良かったとしても皇帝様の思いはちっとも反映されていない。むしろ、一目惚れした女性が八重桜家の花嫁に行って縁結びの儀を支えていたなんて……。


 私だったら、どうなっていただろう。想像しただけでも恐ろしい。


 「……まぁ、直接会った訳では無い。そこまで恋心が膨れ上がっていなかったからな。私はまだ取り返しの着く段階で縁結びの儀を行った。今の嫁もなかなか悪いものじゃない。少々気難しいところもあるが……なんだかんだ、愛しているしな」


 そう言って豪快に笑う皇帝様。皇后様への想いを初めて聞いた。


 そこまで想っていたなんて……。 


 その姿に驚いてしまう。


 「お前も愛する人を見つけたのだ。一生離さないで、大切にするんだぞ。……私からの話は、以上だ。仕事に戻りなさい」


 「……かしこまりました。失礼します」


 “一生離さないで、大切にするんだぞ”


 皇帝様からのお言葉が心の奥深くに染み込んでいく。凪砂や父上からもたくさん似たような言葉を言われてきたけど、皇帝様から言われた言葉はやはりどこか違った。


 私は写真の入った冊子を大事に抱えながら書斎へと戻る。


 「おかえりなさいませ、千隼様。……おや?これはいったいなんですか?」


 書斎へ戻ると凪砂が中で書類整理をしながら待っていた。凪砂は私を迎えるとすぐに手に持っていた冊子に気がつく。


 「これか?これは……写真だ。ほら」


 凪砂に見せようか迷ったが隠すことではないと思ったので、その場で見せる。


 「……これは……紗和様、ですか?」


 中の写真を見て驚く凪砂。


 凪砂も、この女性を見て紗和だと思ったらしい。親子とはいえ、ここまでそっくりだと見分けがつかないのはわかる。


 「いや、これは紗和の母親らしい。皇帝様の花嫁候補だった女性だ。その話をさっき皇帝様から直接聞いてきた」


 「なんと!これはかなり似ていますね。紗和様の母親なら納得出来ます」


 私の言葉に驚きながらも頷く凪砂。今度、紗和にもこの話をじっくり聞かせてやろう。紗和はいったいどんな反応をするだろうか。


 ……なんて考えながら写真を閉じた。


 「仕事に戻るぞ。縁結びの儀が大きく動き始めたから、これから忙しくなる」


 「そうですね。身を引きしめます」


 机に向かい、私は写真の冊子を引き出しの中に大切にしまい込む。


 色々落ち着いたら、紗和とまたゆっくりしよう。


 幸せな未来を描きながら、私は目の前の仕事をこなしていった。

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