《琴葉side》
お義姉様が華月家に戻って数日後。
家の中は荒れ果てていた。お父様は出かけることが多くなり、家に帰ってこない日もある。
お母様はそんなお父様に愛想をつかし、諦めモードに入っていた。
「……はぁ。なんでこうなったのかしら」
お義姉様を連れ戻し縁結びの儀を成功させ、八重桜家の名誉を挽回するはずだったのに。いつの間にかお義姉様と和解したような雰囲気になり、華月家に戻って行った。
私はため息をつきながら庭にある桜の木を眺めた。お父様の話によると縁結びの儀はお義姉様中心に執り行うことが決定したらしい。
そのことに苛立ちを隠せないお父様。私に当たることも多くなっていた。
「琴葉、ごめんなさいね」
ぼんやりと桜の木を眺めているとお母様が隣に座りながらポツリと謝る。こんな風に家族が壊れていくなんて誰が想像しただろうか。
お母様も心中穏やかではないはず。
「……ううん。私の方こそ、ごめんなさい。最初からお義姉様の事を大事にしておけばよかったのよ。それを……。お母様は、何も悪くないわ」
今は何を言っても響かないかもしれない。ただ、お母様は悪くないと、それだけは伝えたかった。悪いのは全部お父様とお義姉様に嫉妬していた自分の心。
つまんないことに嫉妬して、情けなかったと今更思い始めていた。最初から素直にお義姉様を慕っていれば、違う未来があったかもしれない。
そう思うほど今の現状になったことに後悔していた。
「琴葉も悪くないわ。悪いのはあの人よ。八重桜家のこととなると何も見えなくなる。自分のことしか考えられない。……昔から、そんな人だったのは気づいていた」
昔のことをポツリポツリと話し出す。お母様はどこか遠い目をしていて、どんな反応をしたらいいか分からなくなった。
ただ黙って隣に座り、話を聞くだけの私は。
なんという無能さなのだろうか。
「これから、どうしようか?もう無理に舞を踊らなくていいのよ。どっちみち、この八重桜神社はもう受け継ぐことはできないと思うから」
……舞を踊らなくてもいい……。
そう言われて、私の中で何かが切れた。
散々稽古してきて、今さらそれは無いでしょう?
確かに私はお義姉様みたいに強い異能はない。でも……微かだけど私にも縁結びの異能はある。
それを引き継がないで、このまま八重桜神社を終わらせろと……?
「冗談じゃないわよ」
「……琴葉?」
今までの自分の努力を否定された気になって、思わず立ち上がる。そんな私を見て驚くお母様。ふつふつと怒りが湧き上がってくる。
「冗談じゃないわよ!私だって今まで頑張ってきたんだよ?そりゃ、お義姉様みたいに仕事をこなすことは出来ないけど……この神社を受け継ぎたいと私は思ってるの!」
初めて、大声出叫んだかもしれない。今まで貯めてきた思いが爆発したかのように解き放たれる。私は、悔しくて拳を握りしめた。
お父様とお母様からたくさん愛されて育ってきた私。何年も舞の練習をしてたくさんのお客様の前で踊って。
何も経験が無いわけじゃない。
ここから、回復させればいいじゃないの?
お母様は、私に無理と思っているのかしら。これからは、私が支えていきたいと思っていたのに。
……過去の両親の愛や期待は……全て嘘だったの?
「琴葉……そんなこと、思っていたの?」
「そうよ。私、これでも優秀なのよ?お母様とお父様の子だもの。将来は、私に引き継がせてよ」
……初めて話した本音と将来のこと。
お母様はどう思ったか分からない。だけど、これが私の考える“自分の未来”だ。
思い通りにいかないかもしれない。お父様に反対されるかもしれない。それでもいい。何年かかってもいいから、いつか八重桜当主になれるように努力するつもりだ。
「ありがとう。琴葉。あなたは……なんて素敵な娘なのかしら。……わかったわ。あの人とちゃんと話し合うから、琴葉は少し待っててね」
私の思いが届いたのかお母様は私を優しく抱きしめる。お母様に抱きしめられたのなんていつぶりだろうか。
優しい温もりが体を包み込み、どこか懐かしい匂いがする。お母様って、こんなに暖かかったんだ。
「……わかったわ。お母様を信じてるから」
私もそっと抱きしめ返す。この壊れた八重桜家を絶対に元に戻してみせる。
お母様。
私はもう、子供じゃないのよ。
お母様とお父様を守れるような……そんな大人になってみせるから。
***
……ふわふわ、ゆらゆら。
何も無い真っ暗な空間に私ひとり取り残されていた。ハッとして顔を上げるも周りには誰もいない。
(……ここは、夢の中かしら?)
奥にも続く、真っ暗な空間にふと夢の中にいると考えた。最近よくわけのわからない夢を見ることが多くなった。
こんな風に何も無い空間に私がいて、たまに家族が出てくる。時には何も無いまま夢から覚めたりすることもあった。
この空間では声は出せない、体は動かない。基本自分からは何も出来なかった。どうしたらいいか分からず、いつも立ち尽くしっぱなしだった。
しばらくこの空間に身を任せていると突然ぱあっと明るい光が目の前に広がる。
眩しくて目を瞑り、光が無くなった頃。そこにはお義姉様がいて。驚いてしまった。
(……なんで、お義姉様がここに……?)
そう思ったけどやっぱり声を出すことはできない。お義姉様は私を見ながらなんだか切なそうな表情になっている。
こんな表情を見て、私はなんだか苛立った。お義姉様にそんな顔されたくない。
私は惨めじゃない。
そんな顔するな!
「琴葉、ごめんなさい」
苛立ちと共に心の中で暴言を吐く。するとお義姉様は謝り、私のことを抱きしめた。突然のことに驚いて思考が止まってしまう。
……なんだか、お義姉様が出ていく前日のことを思い出してしまった。
お父様から殴られていた私を庇うようにして……確かこんな風に抱きしめられ、謝っていた。
お義姉様はきっと自分だけ八重桜家から逃げたことに罪悪感を持っているのだろう。そういう人だということは十分わかっていたつもりだった。
……でも、お義姉様の気持ちを素直に受け取れない自分もいる。
八重桜家を戻すと心の中で宣言したのに……なんて情けないのだろう。
(私……どうしたらいいの)
一方的に抱きしめられながら思った。
あのお父様を止めるにはいったいどうしたら……そう考えながら立ち尽くしているといつの間にかお義姉様は消えていた。
次の瞬間、目映ゆい光が私を包み込み、やがて見覚えのある天井が見える。
「……夢、か」
まだ眠気の残る頭の中で先程見た夢を思い出していた。ここは自分の部屋だということにすぐ気づいた私。
夢の中でもお義姉様に会うなんて……。
どういうことなのだろうか。夢の暗示なんか分からない。だけどこういう夢を見た時、だいたい何か良からぬ事が起こっていた。
私はゆっくり体を起こすとため息をつく。このまま何もしないで縁結びの儀の当日を迎えるのはダメだとわかっているが……。
異能が弱い私にはどうすればいいのだろうか。こういう時お義姉様は……どんな考え方をするのだろう。
そんなことを考えながら、私は自分の支度を進めた。
***
「……はぁ」
街を歩きながらため息が出てしまった。今日は久しぶりに女学校に出席した。久しぶりの登校だったので憂鬱だったが、案外皆普通に接してくれた。
……だが、八重桜家が壊れかけていると噂が出回っているのか、どこかよそよそしい雰囲気もあった。
それもそうだ。私はあの皇帝様に口答えしたのだ。しかも皆が通るような街中で。放課の時間帯でもあったので女学校の生徒も数人いたらしい。
その様子を目撃され、更には華月家にも喧嘩を売ったという噂が出回った。
起きてしまったことはしょうがないが、まさかここまでとは思わなかった。お義姉様が華月家に嫁いだことも大半の人は知っている。街を歩くと思い出す。
あの日、なぜ私はあんなことをしたのだろうと。
人生で初めて大きな失態をしてしまった。あの時はむしゃくしゃしていて、周りが良く見えていなかった。普段の私なら周りのことも考えながら行動していたのに。
「……琴葉?」
俯きながら街を歩いていると後ろから声をかけられた。名前を呼ばれた私は聞き覚えのある声にハッとする。
「お義姉様。お久しぶりね」
後ろを振り向くとそこにはお義姉様と眉間にシワを寄せた華月千隼がたっていた。
私の存在に警戒しているらしい。華月千隼はお義姉様よりも一歩前に出て私を睨んでいる。
そこまでしなくても、もう私はお義姉様を襲ったりしないのに。
「久しぶり。……どうしたの、ひとりで」
「別に。少し買い物にきただけよ。お義姉様こそ、旦那を連れて買い物なんて……いいご身分ね」
久しぶりに再会したお義姉様はとても幸せそうだった。その姿が憎らしくて思わずボソリと呟いてしまう。
……今、私はこんなに苦しんでいるのに。
なんで、お義姉様だけ……幸せになろうとしているのかしら。
「おい、口の利き方には注意しろ」
私の言い方に怒りを買ってしまったのか、華月千隼に怒られた。あまりの気迫に一瞬後ろに下がりそうになった。
だけどそこはこらえ、その場にとどまる。
「旦那様……私は気にしていませんから」
そんな華月千隼を宥めるお義姉様。その様子を見せられ、胸糞悪くなった私は、早くここから離れようと歩き出す。
「あっ……琴葉!?」
……何よ。何よ、何よ!
街なんか来るんじゃなかった。こんなことになるならすぐに家に帰ればよかったわ。
ただお義姉様の幸せな姿を見せつけられただけじゃない。悔しくてギリっと拳を強く握りしめる。どうしようもないこの怒りをどこにぶつけたらいのか。
「琴葉……待って!」
「ひゃあ!な、何するのよ!」
振り返らず歩いていると突然お義姉様が私の腕を掴んだ。いきなりのことで驚いた私は腕を振り払おうと力を込めたのだけど。
何故か腕はビクともしなかった。
お義姉様にこんなに強い力があったなんて……。
「ごめんなさい。でも、琴葉の事……放っておけないのよ」
頭を下げながら謝るお義姉様は、この前の夢の中で見た状態と同じだった。私を捕まえておきながらキョロキョロ視線を泳がし言葉を濁す。
きっと何を言っていいのか分からないのだろう。何を言ったら私を怒らせてしまうのか、機嫌を伺っているように見えてしまった。
その様子に私はさらにいらだちが増してしまう。
「謝るくらいなら放って起きなさいよ!どうせ、私は惨めで情けない妹だって思ってるんでしょ!?そういうの、たくさんだから!」
そう言って私は腕を強く振り払った。先程まで振り払えないほど力が強かったのに、今回は呆気なく腕が離れる。
「紗和。もう行こう。これ以上何を言っても無駄だ」
お義姉様を追いかけてきた華月千隼は私を睨む。そのすきに私はこの場から離れようと歩き出した。いつの間にか周りに人だかりができていて、野次馬がたくさんいた。
皆興味津々にこちらを見ており、何やらヒソヒソと話している。お義姉様は何を思ったのか分からない。
だけど、今度こそ追いかけてくることはなかった。やはりお義姉様とはまだ和解できそうにない。
野次馬の間を通り抜けながら、私はくちびるを強く噛み締めていた。