《紗和side》
縁結びの儀が終わり、数日が経った頃。
季節は夏から秋へと移り代わっていた。あれ以来皇帝様から呼び出しされたり、国が大きな問題を抱えたりすることなく平穏な日々が過ぎ去っていく。
私はというと、縁結びの儀以来、琴葉とは会えていない。
八重桜家がどうなったかなんて分からず、ずっとモヤモヤしていた。だけどこんなこと旦那様に聞けるはずもなく。
自分も特に大きな仕事が舞い込むことなく、毎日を過ごしていた。
「紗和様!千隼様がお呼びですよ」
自分の部屋でぼんやりと外を眺めていると名前を呼ばれ、はっと顔を上げる。
「わかったわ。ありがとう、結愛」
「いえいえ。とんでもないですよ」
襖から顔を出し、私の名前を呼んだのは結愛だった。
結愛はあの後、ご子息様と無事に婚約を結んだ。本当ならご子息様に仕えて、国の仕事や屋敷内の仕事をしなければならない。
だが、結愛はしばらくの間、まだ私のお世話係をしたいと申し出てくれたのだ。それは申し訳ないと思い、私は一度断ったのだけど、結愛は引き下がらなかった。
そのため、私が完全に婚約を終え、華月家に嫁に入るまでの期間限定でお世話係を続けることとなった。
旦那様や皇帝様、ご子息様もそれに納得していて、今は結愛を見守っている。
「……旦那様、失礼します。紗和です」
結愛に呼ばれ、私はすぐに旦那様がいる書斎へと向かった。
なんの話をするのだろうか……と少し身構えながら声をかける。
「入れ」
中から返事が聞こえ、そっと扉を開けると書斎の椅子に座りながら旦那様が待っていた。私は何故か緊張してしまい辺りを見渡す。
……なんで緊張しているのだろう。
「休んでる最中に呼び出して悪かったな」
「い、いえ!私は全然大丈夫です!……あれ、今日は風神さんはいないんですか?」
旦那様と目が合い、微笑みかけられた。その瞬間、心臓が止まりそうになるほど胸がときめきでいっぱいになる。
何度も旦那様の笑顔は見てきたというのに……未だ慣れないなんて。
私は気持ちを誤魔化すように話題を振った。
「今は席を外してもらった。紗和には今後に関わる大事な話をしないといけないと思ってな」
「……大事な、話……?」
不思議に思って旦那様に聞き返す。だけど旦那様はそれ以上何も言わない。
その変わり、何故か旦那様は顔を真っ赤に染め、私を見ていた。
「そうだ。縁結びの儀も無事に終わり、一段落した。そろそろお前と……籍を入れたいと思っている」
「……え!?旦那様!?」
あまりにも突然の話に素っ頓狂な声を出してしまった。
真面目に、私を真っ直ぐ見て話をするもんだから、視線を外すことができない。
私の顔はみるみる熱くなり、真っ赤になっていると自分でもわかった。
「本当なら縁結びの儀の後、園遊会の前に公開で籍を入れようと思ったのだが……思いの外、予想外のことが起きてしまってな。ようやく落ち着いた今日。籍を入れようと思った。勝手に決めてすまない」
「へっ……わ、私は……う、嬉しいですけど……旦那様は、本当に私でよろしいのでしょうか?」
あまりにも現実味のない話に頭の中が混乱して失礼なことを聞いてしまったと思った。
どうしていいか分からず、勝手にあたふたする私。
そろそろそんな話をされるだろうなと思っていたけどまさか今日だとは思わず。
どうしようと嬉しいという言葉が頭の中で埋め尽くされていた。
「何を言っている。私は紗和がいいからこうして想いを伝えてるんだ。こんなに女性を愛おしいと思ったのは紗和が初めてだ。紗和は、そう思わないのか?」
旦那様のあまりにも誠実すぎる言葉に心臓は暴れまくって、収まることを知らない。私が聞いた言葉に案の定、旦那様は怒ってしまった。
「わ、私も旦那様を愛しています!こんな気持ち、旦那様にしか思いません。旦那様に出会って、色んな経験をして。たくさんの初めてをもらって、気持ちが豊かになりました」
旦那様に出会う前は、こんな命は早く尽きてしまえばいいと思っていた。
自分は生きている価値なんて無い。
一生、このまま八重桜家のために身を捧げて生活するんだと思っていた。
だけど……ひとつの縁談の話しでこんなにも人生が変わるなんて思わなかった。旦那様に出会って、たくさんの愛を知って。
こんなの……感謝してもしきれないくらい、私は幸せになってしまったのだ。
「旦那様は世界一素敵な方です!こんな私を……見つけて、愛してくれて。ありがとうございます」
……やっと、言えた。
旦那様への本当の気持ち。
今まで、たくさん愛している、という言葉は伝えてきた。
でも……こんな風に自分の気持ちを改めて伝えることができた。突然の事で話す内容がまとまっていなかったかもしれない。それでもいい。
私は旦那様の……千隼様の傍にいられるのならば。どんな困難だって乗り越えて見せる。
「……そうか。紗和にそんなふうに言って貰えるとは。私は……幸せ者だな」
旦那様はそう言って笑うと私の傍まで来て強く、優しく抱きしめる。何度も何度も旦那様に抱きしめられたけど。
この時ほど旦那様に愛されて幸せで、最高の人生だと思わなかった。
今までの苦労が報われた気がして、生きていて良かったなぁと心の底から思った。
「……旦那様。こんな私を見つけてくれて、幸せにしてくれて……ありがとうございます」
部屋いっぱいに幸せな空気が満たされる。自分は愛されない、生きていてはいけないと思っていた自分の人生も。
こんなに輝くなんて思わなかった。
「私の方こそ、ありがとう。紗和、愛している」
旦那様はそっと私を離すと口付けを交わす。くちびるに触れた暖かな温もりはとても心地よくて。
最高でしか無かった。
私はもう死にたいなんて思わない。
ずっと、旦那様の傍にいられるように努力する。
「……愛しています。旦那様」
私がこの幸せを信じることができたのは真っ直ぐに愛してくれる旦那様の気持ちがあったから。
この幸せを永遠に信じていたい。
いや、信じるんだ。
「それじゃあ……これに、紗和の名前を書いてくれるか?」
ひとしきり旦那様からの愛を感じたあと。引き出しから、ひとつの紙を出し、私に差し出した。
それを見るともう既にその紙には旦那様の名前が書いてある。
そう。
それは、婚姻届だった。
「わかりました」
私は旦那様と並んでソファに腰をかけ、震える手を抑えながら自分の名前を書いた。
自分の名前をこんなに緊張しながら書いたのは初めてかもしれない。
旦那様と愛を誓って、今後もずっと傍にいる約束を、この紙一枚で終わすのは全然実感無いけれど。
幸せで、この先もこの人となら一緒に人生を歩んでいけるという気持ちだけは確信していた。
「旦那様。これからも、よろしくお願いいたします」
こうして、私は正式に華月家の花嫁になり、旦那様の妻になった。
これが私の幸せな人生を約束した瞬間。
「ああ。私こそ、よろしくお願いします。面倒な私だが、紗和を愛する気持ちはずっと変わらないからな」
お互い見つめ合いながら、優しく微笑む。そして、また旦那様は私を抱きしめた。
***
……幸せな夢を見た。
婚約を交わしたその日の夜は旦那様の隣に布団を敷いて並んで眠った。旦那様の家に来て結構経つけど、こうして旦那様と並んで眠るのは初めてだった。
正直、婚約初夜だったから夫婦の営みの心構えはしていた。
こうなることはだいたい予想していた。
だけど……旦那様はそんなことをしてくることはなく、“明日も早いから”という理由で口付けだけで終わってしまった。
少し残念な気持ちはあったが旦那様の準備もあるだろうと大人しく隣で眠りについたのだった。気づいたら眠っていて、ぼんやりとした意識を取り戻したのは夢の中。
ここ最近は忙しくて夢を見ることはなかったが、久しぶりの光景に思わず固まる。また良くない夢を見たらどうしよう。
そう思って身構えたけど特に何かが起こるわけでもなかった。ただ、旦那様が夢の中でも私の傍にいる夢。
いつもなら何かしらトラブルとか良くないものが起こるのだけど今日は違った。
現実と同じように旦那様は私の隣でたって、優しく微笑む。
そんなふうにただ時間が流れ、朝を迎えた。
「……紗和、おはよう」
旦那様に呼ばれ、夢から覚めた私。
ぼーっとする頭で旦那様を見つめていると。
ふと私の方に旦那様の腕が伸びてきて、自分の髪を撫でられる。
「お、おはようございます、旦那様。ど、どうされました!?」
朝から至近距離で心臓の悪いことをされた私は。変な声を出してしまった。
心臓はドキドキと暴れまくっていて、まともに旦那様の顔を見れない。
「んー、いや、紗和が可愛くて。こういうふうに一緒に寝るのはとても幸せだ。朝一番に紗和の寝顔も見れるしな」
慌てる私をよそに旦那様は楽しそうに話をする。
か、可愛いなんて……!
そういえば何も考えずに旦那様の隣で寝ていたけど、寝相大丈夫だったかな!?寝言とか言ってないかな!?
……と一気に不安な気持ちと恥ずかしい気持ちが押し寄せる。
「だ、旦那様……からかってます?」
「からかってないぞ?本当のことを言っているだけだ」
布団を顔の方に持っていこうとすると、それを阻止するように旦那様の手で制された。力強くて簡単には振り解けない。
旦那様は私の質問に若干拗ねながらもじっと見つめてくる。
「私は紗和については絶対嘘は言わないしつかない。自分に自信がない紗和のことは知っているが、これからは私が何度でも可愛いと言うし、容赦なく愛を伝える。私に愛されるということはそういう事だ」
ニヤリ、と旦那様は笑いながらとんでもないことをサラッと言ってのけた。
「……な、だ、旦那様……!もう、朝から刺激が強すぎます!」
心臓はドキドキいって、痛いくらいだったけど。
気持ちは幸せで、満たされていた。
「そうか。紗和、愛しているぞ」
旦那様の言葉通り私は困惑しているのにさらに追い打ちをかける。
「うっ……私も、愛しています」
ちらっと布団を下げ、顔を上げると。
旦那様は私に口付けを交わしてから起き上がる。
あまりにも幸せなこの空間に溶けてしまいそうになりながら、私も朝の支度を整えた。
「何かいいことあったみたいですね、紗和様」
「ひぇっ!?ゆ、結愛何を言うの!?」
朝ごはんを終え、華月家の屋敷を掃除していると隣で窓を拭いていた結愛に話しかけられた。
ここ数日は特にやることなかったが花嫁修業として華月家の掃除や使用人の仕事、これからのことについて学んでいた。
いつまでも縁結びの儀のことを引きずってはいけないと思った私は今後のためになることをしようと旦那様に申し出た。
掃除こそしなくていいと言われたが何か動いていないと落ち着かない私。
何度かお願いして、今屋敷中の掃除をするまでになった。
私が華月家の花嫁になったあと、結愛はご子息様の本邸に戻ったが、たまに顔を出して話し相手になってくれる時がある。
私は大丈夫だと遠慮したが、結愛が来ることはやめなかった。
「だって朝から顔が赤いですよ。婚約が成立して、本当の花嫁になったと聞いて私はとても嬉しかったんです。確か昨日は初夜でしたね?何かあったんですか……?」
結愛はニヤニヤしながら私に詰め寄る。
私と旦那様の婚約を誰よりも喜んでくれた結愛。それ以前に私の生活を支えてくれ、感謝してもしきれない人なのに。
時々距離感が近すぎてこっちがびっくりするほど。でも、友達という存在が今までなかった私にとって、初めてできた友達でもある。
こうして話をして名前で呼びあって。
楽しいと思える瞬間が何度も何度も訪れる。
「ゆ、結愛!からかうのやめてよー。昨日は一緒に寝ただけで……特に何もなかったんだから」
「……え?一緒に、寝て……何も無い?」
これ以上何か言ったらさらに大変なことになるとわかっていても。この幸せな気持ちを誰かに話してみたくなった。
だけど、私の話を聞いた結愛はみるみるうちに怒り顔になる。
「ど、どうしたの、結愛。顔が怖いよ?」
あまりにも変わる結愛の表情に思わず突っ込んでしまう。
「あ、あの、それは本当ですか?」
「ん?何が?」
結愛の質問の意味が分からずきょとんとする私。
「一緒に寝たけど何も無いって……」
「そ、そうだけど」
なんでそれを聞くのだろう。
何も無かったのは事実だから、特に否定もすることはない。
なのになんで結愛は怒っているの?
「紗和様はそれでいいんですか!?千隼様はいったい何を考えているんですか!」
不思議に思っていると結愛が突然大きな声を出して怒り、私の肩を揺らす。
何が起こったのか分からない私はされるがまま。
「お、落ち着いて〜!」
周りの使用人たちもなんだろうと興味津々にこちらを向いている。
とにかく結愛を落ち着かせようと声をかけるが私の声は届かなかったらしい。
「これが落ち着けますか!こんなに可愛い花嫁をもらっておいて初夜に何も無いなんて……。紗和様は本当にそれで良かったんですか!?」
……何となく、結愛が怒っている理由がわかった。
きっと結愛は婚約初夜は夫婦の営みがあるものだと思い込んでいる。
それをしなかった私の話を聞いて、旦那様に怒っているんだ。
「結愛、落ち着いて。私は特に気にしてないし……そういうことは急いでないの」
結愛を説得しようと話をするけど内容が内容なだけに恥ずかしくなってくる。最後は聞こえないくらいの小声で話していた。
「そう、なんですか?」
私の話を聞いてようやく落ち着きを取り戻す結愛。そのことにほっとしながらもこの後何を話せばいいかわからなくなってきた。
私ったら、ご子息様の花嫁にいったい何を話しているのかしら。
自分で言ったことに自分で恥ずかしくなり思わず縮こまる。
これは夫婦の問題だから結愛を巻き込んでもしょうがないことなのに。
だけど……婚約した日の夜何も無くて少しがっかりした気持ちはあった。旦那様は私のことを大事にしてくれてるのはわかるけど。
私……女としての魅力がないのかなって思ってしまう。
「……紗和様、思ってることはちゃんと口に出して言わないと伝わりませんよ?千隼様もいくら異能者とはいえ、人の心を読むことはできませんから」
黙り込んだ私に急に真剣な眼差しで話す結愛。“人の心を読むことができない”という言葉に一瞬ドキッとした。
だって、私には読心能力があるから。
最近は幸せ過ぎてこの力を忘れるくらい充実していた。
だけど結愛に言われてはっとする。
この前までの私だったら、この力を使って周りの人の心を読んで自分の気持ちを押さえ込んできた。
自分のことを話してもいいことは無い。
いつの間にか自分のことを塞ぎ込むようになり、この力も封印していた。
だけど旦那様と出会って、幸せな気持ちを知って自分の気持ちを話す大切さを学んだ。
「……わ、わかったわ。今日の夜旦那様と話してみる。恥ずかしいけど……勇気をだしてみる!」
旦那様にこんな話をできるかどうか不安しかない。
だが、“夜の営み”も興味無い訳では無い。
旦那様が嫌じゃなければ、そういうことをしても……。
「そうですか。これも夫婦関係を保つ大切なことですからね。もう顔が真っ赤ですよ、紗和様。本当に大丈夫ですか?」
今から緊張してしまい、顔から火が吹き出そうになるくらい熱くなっていた。
結愛はそのことに気づいたみたいでケラケラと笑う。だけど私のことを心配しているのが伝わってきて全然嫌な笑い方じゃなかった。
「だ、大丈夫!結愛、ありがとう」
早速不安になったけど私は気合いを入れて掃除を進めたのだった。