息を整えた私はベッドの上で姿勢を正した。そうして、ヴィンセント様に向かって深く頭を下げた。
「どうした。ヴェルヘルミーナ?」
突然のことに驚いたのだろう。ヴィンセント様の声に少しの戸惑いを感じた。だけど、私はそのまま頭を上げずにお礼を口にした。
「ヴィンセント様のおかげで、ケリーアデルを捕らえることが出来ました。ありがとうございます」
「それは、君が能力で成したものだ」
「その能力も、アーリック族に会うことで知ることができたのです。そうでなければ、私は気付くことすらなかったでしょう。すべて、ヴィンセント様と出会えたおかげといえます」
もしもヴィンセント様が手を差し伸べてくれなかったら、私は修道院送りになっていたかもしれない。ケリーアデルに家を奪われ、弟の帰る場所を失っていたかもしれない。
それを考えると感謝が尽きることはなく、胸の奥に熱いものが込み上げてくる。
「結婚の条件を守っただけだ。そう畏まることはない」
「私ヴェルヘルミーナは、これよりヴィンセント様の妻として、ロックハートの為に」
決意を告げようとした私の頭に、大きな手が優しく触れた。
優しく撫でつける手のぬくもりに、ふとお父様を思い出す。幼い頃はよく頭を撫でてくれていた。それを、なぜこのタイミングで思い出すのだろうか。
じわりと涙が込み上げてきた。
私はヴィンセント様に嫁いだ。もう、レドモンドの娘ではない。これから、私はロックハートのために生きなければならない。
決心していたつもりなのに、どうしてそれを告げようとすると胸が苦しくなるのか。あそこには、もう、私を愛してくれる人はいない。これからは、ヴィンセント様と──
「ヴェルヘルミーナ。そう、難しく考えることはない。これからは、ヴェルヘルミーナ・ロックハートとしてセドリックが成人するまでの後見人となり、レドモンド領を見守ればいい」
「……え?」
「リリアードの女主人になり、さらにレドモンドの再興を続けるのは骨が折れるだろうが、君には頼りになる侍女もいる。そうだろ?」
突然の言葉に驚き顔をあげると、変わらず優しい笑みを湛えるヴィンセント様と視線があった。
「ヴェルヘルミーナ様、私も、両親もお嬢様とレドモンド家が大好きです。セドリック様の成人まで、しっかりとお守りいたします」
すぐ横にダリアの気配を感じて振り返ると、湯気をくゆらせるカップを銀のトレイに載せた彼女が立っていた。
渡されたティーカップを受け取ると、指先にじんわりと熱が広がった。柔らかなハーブの香りが鼻腔をくすぐり、胸の奥に広がっていく。
「私……これからも、レドモンド家を助けて良いのですか?」
「何を言い出すんだ。私は君と結婚した。つまりロックハート家はレドモンド家と繋がったんだ。簡単に衰退されたら困る。何より、苦心してあの家を守ってきたのは君だろう」
「で、でも……私は妻としてリリアードの」
「ヴェルヘルミーナとなら、一緒に苦労するのも悪くない」
ヴィンセント様は、琥珀色の瞳に優しい光を浮かべ、再び私の髪を撫でた。
嫁いだら私の人生は終わるような気持ちになっていた。セドリックのためにレドモンド家を守る以外、私には何もなかったから。
でも、まだ私にも、セドリックやレドモンドのためにやれることがあるというの?
「それにだ。今まで通りレドモンド家を守ることが、延いてはロックハート……いや、国のためになるだろう」
「それは、どういう意味ですか?」
「まだ、花は枯れていない」
「……え?」
静かに呟いたヴィンセント様は、ちらりとセドリックを見た。
花って、もしかしてアーリック族で聞いた闇の花のことかしら。それが枯れていないということは、幻惑の魔女はいるということ。
もしかしてヴィンセント様は、幻惑の魔女がレドモンド領に身を潜めていると考えてるのかしら。
「セドリック。悪いが少し席を外してもらえないか」
「分かりました。姉様、お祖母様も心配していました。お話が終わりましたら、顔を見せてあげてください」
「うん。後で行くわ。お祖母様に、そう伝えておいてくれるかしら」
頷いたセドリックがダリアと共に部屋を出ていくと、ヴィンセント様は自らの手でお茶をカップに注いだ。
「ヴェルヘルミーナ……残念な知らせだ。ケリーアデルは幻惑の魔女ではなかった」