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第40話 「まだ、花は枯れていない」

 息を整えた私はベッドの上で姿勢を正した。そうして、ヴィンセント様に向かって深く頭を下げた。


「どうした。ヴェルヘルミーナ?」


 突然のことに驚いたのだろう。ヴィンセント様の声に少しの戸惑いを感じた。だけど、私はそのまま頭を上げずにお礼を口にした。


「ヴィンセント様のおかげで、ケリーアデルを捕らえることが出来ました。ありがとうございます」

「それは、君が能力で成したものだ」

「その能力も、アーリック族に会うことで知ることができたのです。そうでなければ、私は気付くことすらなかったでしょう。すべて、ヴィンセント様と出会えたおかげといえます」


 もしもヴィンセント様が手を差し伸べてくれなかったら、私は修道院送りになっていたかもしれない。ケリーアデルに家を奪われ、弟の帰る場所を失っていたかもしれない。

 それを考えると感謝が尽きることはなく、胸の奥に熱いものが込み上げてくる。


「結婚の条件を守っただけだ。そう畏まることはない」

「私ヴェルヘルミーナは、これよりヴィンセント様の妻として、ロックハートの為に」


 決意を告げようとした私の頭に、大きな手が優しく触れた。

 優しく撫でつける手のぬくもりに、ふとお父様を思い出す。幼い頃はよく頭を撫でてくれていた。それを、なぜこのタイミングで思い出すのだろうか。


 じわりと涙が込み上げてきた。


 私はヴィンセント様に嫁いだ。もう、レドモンドの娘ではない。これから、私はロックハートのために生きなければならない。


 決心していたつもりなのに、どうしてそれを告げようとすると胸が苦しくなるのか。あそこには、もう、私を愛してくれる人はいない。これからは、ヴィンセント様と──


「ヴェルヘルミーナ。そう、難しく考えることはない。これからは、ヴェルヘルミーナ・ロックハートとしてセドリックが成人するまでの後見人となり、レドモンド領を見守ればいい」

「……え?」

「リリアードの女主人になり、さらにレドモンドの再興を続けるのは骨が折れるだろうが、君には頼りになる侍女もいる。そうだろ?」


 突然の言葉に驚き顔をあげると、変わらず優しい笑みを湛えるヴィンセント様と視線があった。


「ヴェルヘルミーナ様、私も、両親もお嬢様とレドモンド家が大好きです。セドリック様の成人まで、しっかりとお守りいたします」


 すぐ横にダリアの気配を感じて振り返ると、湯気をくゆらせるカップを銀のトレイに載せた彼女が立っていた。


 渡されたティーカップを受け取ると、指先にじんわりと熱が広がった。柔らかなハーブの香りが鼻腔をくすぐり、胸の奥に広がっていく。


「私……これからも、レドモンド家を助けて良いのですか?」

「何を言い出すんだ。私は君と結婚した。つまりロックハート家はレドモンド家と繋がったんだ。簡単に衰退されたら困る。何より、苦心してあの家を守ってきたのは君だろう」

「で、でも……私は妻としてリリアードの」

「ヴェルヘルミーナとなら、一緒に苦労するのも悪くない」


 ヴィンセント様は、琥珀色の瞳に優しい光を浮かべ、再び私の髪を撫でた。


 嫁いだら私の人生は終わるような気持ちになっていた。セドリックのためにレドモンド家を守る以外、私には何もなかったから。


 でも、まだ私にも、セドリックやレドモンドのためにやれることがあるというの?


「それにだ。今まで通りレドモンド家を守ることが、延いてはロックハート……いや、国のためになるだろう」

「それは、どういう意味ですか?」

「まだ、花は枯れていない」

「……え?」


 静かに呟いたヴィンセント様は、ちらりとセドリックを見た。


 花って、もしかしてアーリック族で聞いた闇の花のことかしら。それが枯れていないということは、幻惑の魔女はいるということ。


 もしかしてヴィンセント様は、幻惑の魔女がレドモンド領に身を潜めていると考えてるのかしら。


「セドリック。悪いが少し席を外してもらえないか」

「分かりました。姉様、お祖母様も心配していました。お話が終わりましたら、顔を見せてあげてください」

「うん。後で行くわ。お祖母様に、そう伝えておいてくれるかしら」


 頷いたセドリックがダリアと共に部屋を出ていくと、ヴィンセント様は自らの手でお茶をカップに注いだ。


「ヴェルヘルミーナ……残念な知らせだ。ケリーアデルは幻惑の魔女ではなかった」

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