目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第十四話 平常心、平常心だ

 感謝を述べるイリアに、ルーカスは「気にしなくていい」と首を横に振って答えた。

 全て、偶然が重なった事だ。礼を言われるような事ではない。



「魔獣討伐は任務だ。それに、ここに連れて来たのは——」



 「俺の我儘わがままだからな」と、聞こえないように呟く。



(あの時——。倒れているイリアを見て、誰にも触れさせたくないと思った。

 君を助けるのは自分でありたいという、傲慢ごうまんな願いをいだいた。

 ……浅ましい想いだな)



 ルーカスが自嘲じちょうめいた笑みを浮かべていると、「それでも」と、イリアが言葉を続けた。



「私が伝えたかったんです。この気持ちを」



 彼女の神秘的な淡い輝きを宿した瞳が、見つめて来る。

 目がらせない。



「ありがとうございます、ルーカスさん。それから……おかえりなさい」



 イリアが微笑んだ。

 陽の光にキラキラと輝く銀糸を風になびかせて、花のような笑顔を咲かせている。

 庭園の花々がかすんでしまう美しさだ。



「ああ……ただいま」



 みなからも貰った言葉。

 只々ただただ嬉しかったそれが、笑顔を浮かべた彼女の口からつむがれると、嬉しさとは違う別の感情で胸が熱くなった。



「……それと、君が目覚めた時の事は、本当にすまなかった」



 ルーカスは誠意を籠めて頭を下げた。

 手紙でも伝えてはいるが、やはり謝罪は対面でおこなうべきである。



「いいえ、大丈夫です。私も誤解してましたから……お互い様ですね」



 顔を上げると、イリアはおだやかに微笑んでいた。

 彼女の様子に、謝罪が受け入れられたのだとさとって、胸のつかえが取れて行く。



「ありがとう、イリア」


「はい。これで仲直りですね」



 またイリアが笑った。はなやかな笑顔だ。

 自然とルーカスも頬がほころんでしまう。



(仲直りか。ちょっと違う気もするが——彼女が笑顔ならそれでいいか)



 笑顔の花が咲き誇り、なごやかな空気が流れ始めると、それを見計らったかのように朝食が運ばれて来た。


 今日の朝食の目玉はエッグベネディクトらしい。

 トーストしたマフィンにベーコン、ポーチドエッグを乗せ、オランデーソースをかけた料理だ。


 料理の乗った皿が次々とテーブルの上に乗る。


 焼き立てのロールパン、白パン、クロワッサン。

 色取りの良い新鮮野菜とたまごのサラダ、香草焼きの魚にローストヴォー。


 ポムの冷製スープ。

 他にも数品、副菜におかずが並べられた。


 二人分なので量はひかえめだが十分な品数がある。


 テーブルを彩る料理に、イリアが目を輝かせていた。



「さ、料理も来たことだし、いただこうか」


「はい!」



 ルーカスとイリアは拳を握って胸に当て目を閉じると「日々の恵みに感謝を」と食事の挨拶を口にした。


 並べられた料理を手に取ったイリアが綺麗な所作でカトラリーを扱い、口に運んだ料理をそれはもう美味しそうに頬張ほおばっている。


 ルーカスはくすりと笑いをこぼした。



「美味しいか?」


「はい、とっても! 公爵家のお料理はいつも美味しくて、幸せな気持ちになります」



 イリアがほわほわと柔らかな笑顔を浮かべた。



(記憶をなくしてもこういうところは変わらないな)



 ルーカスは料理を美味しそうに頂くイリアながめながら、時折会話も交わしつつ、食事を楽しんだ。






 完食して空いたお皿が下げられると、食後にはティーセットが運ばれて来た。


 金のがらえがかれた、白い陶磁器とうじきのティーセットだ。

 侍女が手際よくカップへ紅茶を注ぎ、ルーカスとイリアの前へ静かに置いた。


 ルーカスはカップを手に取ると、口元へ寄せて。

 芳醇ほうじゅんな香りを楽しみながら、深いべに色の湯を口に含ませた。


 程よい苦みと甘み——このんで飲む、いつもの味だ。


 イリアもカップに口をつけている。

 そして一口飲んだところで「あ!」と声を上げた。



「どうした? 熱かったか?」


「いえ、大丈夫です。そうじゃなくて、これ。確か、ルーカスさんの好きな茶葉ですよね?」


「ん? 良く知っているな」



 ルーカスは瞼をまばたかせた。

 一瞬、イリアが自分の好みを覚えていたのかと思ったのだが——。



「シェリルさんが『お兄様のおすすめの銘柄めいがらなんですよ』って言ってたから、そうかなって」


(……シェリルからの情報か)



 違ったようで、落胆してしまった。



(でも、思い出せば懐かしい話だな)



 ルーカスがこの銘柄めいがらの茶葉を好きになったのには理由がある。

 ……目の前にいる彼女。イリアがきっかけだ。



「君が教えてくれたんだ」


「私が……?」


「ああ。よくこうして、お茶を共にした」



 イリアがぱちくりと目を開いた。



(やはり覚えてないか……)



 覚えていない事実に胸が痛む。

 彼女とのティータイムは特別な時間だっただけに、余計だろう。



(記憶がないのだから、仕方ない)



 ルーカスは感傷を流し込むように紅茶を飲み干すと、控えの侍女に告げて二杯目を頂いた。

 再度、紅茶の注がれたカップを口元へ運ぶ。


 すると、唐突に。



「……ルーカスさんと私は、友人……その、こ、恋人、だったんですか?」


「ぐっ! げほっ」



 イリアが衝撃的な言葉を口走った。

 口に含んだ紅茶でルーカスはむせ、激しく咳込む。



「だ、大丈夫ですか!?」



 イリアの心配そうな声が響く。

 紅茶が変なところに入り込んでしまったようだ。

 中々収まらず、咳を繰り返す。



(記憶の事を聞かれるだろうとは思っていたが、何故そんな結論に至ったんだ……?)



 予想外すぎて、軽くパニックだ。

 立ち上がり駆け寄ろうとするイリアが見えたので、ルーカスは「大丈夫」と手で示した。


 だいぶよくなってきた。

 だが、代わりに心臓が煩く鼓動している。



(平常心、平常心だ)



 ルーカスは動揺を悟られぬよう呼吸を整えて行き「んんっ」と咳払いして姿勢を正す。

 視線をイリアへ向けると、眉根を下げて頬を赤らめていた。


 心配してくれているのはわかる。

 が、頬を赤くしているのは、どんな感情と受け取ればいいのだろうか。


 ルーカスはイリアの表情に何とも言えない気持ちを抱いたが、誤解は更なる誤解を生むだけだ。

 自分達の関係を正すため、言葉を紡ぐ。



「……その、友人ではあるが、恋人では……ない、な」


「あ、ち、違うんですね。変な誤解をしてしまって、ごめんなさい……!」



 勘違いだと知って、イリアはさらに顔を赤らめてうつむいてしまった。


 ——またしても気まずい雰囲気だ。

 しかし、事実は事実。誤解したままの方が、余計気まずいに決まっている。


 とはいえ、恥ずかしさに茹で上がる彼女を見ていると、居た堪れない。

 ルーカスはイリアがその考えへ至った原因が妙に気になって、問い掛ける。



「……何故、そう思ったんだ?」


「うう……だって、侍女さんと、お医者様が……。

 シャノンさんとシェリルさんも、あんな事言うから、てっきり……!」



 イリアはよほど恥ずかしかったのだろう。

 耳まで真っ赤に染めて、両手で顔を覆って伏せた。



(なるほど、留守にしている間にある事ない事吹き込まれた訳だ。

 ……あとで詳しく聞く必要がありそうだな)



 ルーカスは、心の中で冷笑する。

 彼女に誤解を与えた者達への罰は何にしようか——と。


 表面上は笑顔を取りつくろうが、ふたをした気持ちを刺激された事もあって、穏やかではいられなかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?