ルージュからステラ領全体の状況を訊き終えたソフィア達。今は店から出て、実際に確かめようと街中を歩いていた。
勿論、余計な騒動を起こさない為にアイリスとソフィアは服装を変えている。
アイリスは部屋で着た服に外套を羽織り、深いフードで顔を隠している。多少の怪しさはあるが、日照りが良いこともあって疑問を持つ人はいないだろう。
そしてソフィアの恰好は、白を基調とした肩空きブラウスに太ももを出して白のキュロットスカート。その上から薄茶色の外套を羽織っている。腰の部分には茶色の剣帯があり、後ろに短剣を帯びている。足には膝上まである茶色の編み上げブーツ。
そして髪の色は黒く眼は赤色。存在感も薄くなり、滅多なことじゃ彼女の存在を覚えられないようになっている。
本来なら気分が舞い上がってもおかしくないのだが、今の状況がそれを許さなかった。
「……」
「ソフィア様……」
あえてここは偽名を出さずに本来の名前で呼ぶも、ソフィアはそれを嗜めない。
複雑そうに俯いて歩き続けるだけだ。
「はぁ……。ったく面倒くせぇマスターだな。おら、しっかりしやがれ」
「あたっ……!」
呆れたアイリスがソフィアの頭を後ろからはたいた。
「な、なにするの……!」
「いつまでも辛気臭くいられたら鬱陶しいんだよ。たかだか人間一人、利用できる使い勝手の良い駒を失った程度で落ち込みすぎなんだよ。また新しい奴見つければ良いだけの話だろ」
「ちょっ……! アイリス様! ソフィア様はリューエル様の死を悼んでいるんですよ!? そんな言い方しなくたって……!」
「だから、外で大声出すなら偽名を使えっての。オレは別に間違ったことは言ってねぇだろ。――なぁ? あの洞穴でオレに啖呵を切ったマスターはどうした?」
ソフィアの前に出て、アイリスは下から覗き込むように碧い双眸を見る。同じ系統の色の瞳。
けれど、そこに宿る強い意志の差をソフィアは感じ取り、思わず口端が上がった。
「まったくもう……。アナタってなんでそう、言いにくいことをズバズバ言っちゃうのよ」
「それがオレだからな。オレからすりゃ遠回しに言う理由も分かんねえっての。昔も今も人間って本当に面倒な生き物だよ」
ソフィアの瞳に弱々しさが消えたことを感じ取り、バッとアイリスは離れて後ろへと下がる。
その隙にハーベがソフィアを慰めようと近づいた。
「げ、元気出してください。アイリス様が言ったことなんて気にしなくとも――」
「いいえ、ハーベ。リューエルの死を悼んでいたのは本当だけど、アイリスが言ったことも間違いじゃないわ。私はリューエルを頼れなくなったことを嘆いているのも事実よ」
「ソフィア様……」
アイリスの言葉を肯定し、先程とは打って変わって力強く前を向くソフィア。その変化にハーベは主君の新しい姿を見た気がした。
「まぁ現実問題として、リューエル様を頼れなくなったのは相当な痛手ではありますからな。なにせ儂等はリューエル様のお力を借りるためだけに命を振り絞ってここまで来たのですから」
「えぇ、クルルの言う通り。今の私たちは最大の味方を失ったに等しいわ」
「では、どうされるおつもりで?」
クルルの質問に、ソフィアはリューエルの屋敷がある北の方に視線と手を向ける。
「最善策が使えないのなら、次善策を練るまで。差し当たっては、アステリアに力を借りるとしましょう」
「力、貸してくれますかな? 今のアステリア様では、この街を収めるだけで精一杯でしょう」
「ソレを含めての次善策よ。私たちはその次善策を最善策に変える必要があるの。一緒に考えてくれる?」
微笑みながらソフィアはクルルとハーベを見る。
全幅の信頼。『ハイディ』で姿を黒髪赤目に変えているが、感じるオーラはやはり
それを向けられた臣下二人も笑顔で返事をする。
「御意」
「かしこまりました!」
方針が決まったところで、アイリスが口を挟む。
「なぁ、ずっと聞きたかったんだがそのアステリアとマスターはどういう関係だ?」
その疑問にソフィアは懐かしむように答えていく。
「アステリアは私の一個下でね。幼い頃にカルメリアに来た時に初めて会ってずっと仲良くしていたの。だから、力を借りるという点だけで言ったらむしろやりやすくはなったかもしれないわ」
「ほーん。幼馴染ってやつか」
関係の深い
手を結ぶことが出来たら強力な味方になることは間違いない。
「そうですな。『セレネ』が
「そうね……。今の私たちじゃ、まず間違いなく無理でしょうね」
「え、え? 問題って? アステリア様に会いにいくだけじゃないんですか?」
楽観的に首を傾げるハーベにクルルが嘆息する。
「ハーベよ、よく考えてみぃ。対象が変わっただけで相手の立場が『侯爵家』であることに変わりはないのだ。今の儂等はあくまでただの『一般人』。簡単に会えるわけがなかろう」
「昔はアステリアと一緒によく街に降りてきてたんだけどね。街の人たちが元気を失ってるところを見る限り、今はそれをしていないんでしょう。会うには信頼を得た形で、こっちから出向いていかないといけないわ。もちろん、『私』として行けばそれは叶うかもしれないけど」
「あ……」
そこでハーベも、アステリアに会う難易度の高さに思い至った。
そしてアイリスがソフィアの指を見ながら、ハーベの考えを代弁する。
「マスターの正体は最後の最後までバレないことが前提条件にして絶対条件。その時が来るまで帝国兵にバレるわけにはいかないわな。その為に、わざわざ残党狩りもしたわけだし」
「アイリス殿の言う通り。帝国兵がここにいなければ話は早かったが、こうも深く入り込んでいてはどうしようもない。正面から行くことは不可能だろう」
まさしく前途多難。帝国兵に正体がバレないように動き、アステリアに会って味方に引き込む。ステラ領に残っている脅威の問題もあることから、考えなければならないことは無数にあった。
それらを考えただけでも普通の人ならため息を吐きたくなるが、ソフィアはもう止まらない。
「とりあえず、今はやれることをやりましょう。クルルはアステリアに会う方法がないか、ステラ領全体の様子を見ながら探ってちょうだい」
「御意」
「『セレネ』様、わたしは?」
指示に即座に動き、離れていくクルル。ハーベも手を挙げて指示を待った。
「ハーベは私と一緒にカルメリアを回りましょう。久しぶりに王国民と触れ合うの。アイリスは護衛をお願いね」
「あいよ」
今度こそ明るい笑顔を浮かべ、ソフィアは指示を出す。
十年ぶりとなるお忍びでの街の散策。楽しんでいる場合じゃないことは分かっているが、それでもようやく臣下以外の王国民に表立って触れ合うことが出来るのだ。
その懐かしさにはどうしたって抗えない。
「ほらっ、行きましょう二人とも!」
「ま、待ってください『セレネ』様!!」
ソフィアがハーベとアイリスの手を掴み、カルメリアの街へと歩いていった。